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「ガンダム レコンギスタの囹圄」第34話「岐路に立つヘルメス財団」前半 [Gのレコンギスタ ファンジン]

「ガンダム レコンギスタの囹圄」


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第34話「岐路に立つヘルメス財団」前半




1、



「・・・では、ベルリ・セナムとアイーダ・スルガンはどうなるのですか? あなたの血を分けた子孫なのでしょう? ご自身が子孫を残しておられるのに、我々は否定なさるのか?」

それは悲痛な叫びのような訴えであった。ビーナス・グロゥブのヘルメス財団のうち、エンフォーサーと呼ばれる集団はラビアンローズを分離したのち突然姿を現したカール・レイハントンによって殺された。正確に言えば、肉体を奪われてしまった。彼らのうち3分の1ほどはラビアンローズに用意された機械式アバターの中で個を保っているという。その他の残留思念はこの地に留まることなく宇宙の中へと消えていった。だがその小さな思念もいずれは別の思念と合わさって光の粒となって宇宙を満たすとレイハントンは告げた。

ロザリオ・テンに残されたヘルメス財団の面々は、そうと説明されて、ではと肉体を捨て去ることなどできない。死の恐怖があるからこそ、彼らは生の形を認識できる。死が誕生のための通過儀礼だと言葉で説明されても、あるいは眼前でそれを見せられても、彼らにとって死は終わりでしかなかった。

永遠の命を持つ者と肉体の命を持つ者。人間はどちらの生を受け入れ進化の土台とすべきなのか。ベルリたちメガファウナの面々がクレッセント・シップ、フルムーン・シップとともに立ち去ったのち、ビーナス・グロゥブの人間たちはにわかに大きな岐路に立たされたのである。それは突然やってきた最後の審判であった。ラ・ハイデンはビーナス・グロゥブ数百万の命を預けられたのだ。

金色の髪をオールバックになでつけたカール・レイハントンは、ラビアンローズの艦長席に独り座りながら、命の在り方から説明した。

「肉体のある者は、血族を持って存続と見做す。血の繋がりが生まれ変わりであると考えるからだ。自分は死ぬが、自分の血を引いた子は生き続ける。ファミリーラインを一個の命と捉えている。だからこそ、レイハントンには子がおり子孫がいると、わたしに問いかける。あなたは永遠の生かもしれないが、肉体においても永遠性を持たれているではないか、そうであるならば、わたしたちの肉体の永遠性も認めてくれなくては困る。つまりはそういうことだと解釈したのだが、正しいかな?」

「そうです」話はラ・ハイデンが引き継いだ。「永遠の命はひとつではないということです。確かにわたくしどものような肉体を持つ凡俗は、俗物にして愚か極まるのかもしれない。だがこの生にも永遠性はあるのです。我が永遠には何の保証もありません。誰もが愛する者に愛されるわけではない。愛した者に裏切られ傷つく者もおりましょう。この命を繋ぐ行為には無駄が多く、それが多くの問題を産むことは否定できないかもしれませんが、永遠の命がニュータイプの行きついた神のような命だけではないということは留意していただきたい。我々の肉体の中にも永遠はあるのです。それはおっしゃる通り、血族もそう、家族もそう、遺伝子といってもいい、集簇あるところには、何らかの永遠性がある。永遠の形が違うだけなのです」

「君らは一度死を乗り越えたことがあるのだが、それは伝わっているのか訊きたい」

「我々が死を乗り越えた?」

「そうだ。君らは地球圏へ帰ってくる途中、長い旅路の中で肉体の維持を諦めて人工胚を作り出して自死したのだ。その間、ラビアンローズの運航は胚になることを望まなかったクンタラに委ねられた。一部肉体を持った者らに、わたしは思念体になることを教え、実行させた。あなた方の祖先は、まずは自分たちの技術において生を断絶させ、ジオニストの技術によってさらに生まれ変わった。思念体となったのちに生体アバターや胚の再生を使ってクンタラを犯したり、食人習慣に耽ったことはいまは問うまい。死を乗り越えたことがあると伝わっているのかどうか」

「いえ、それは一切伝わっておりません。おそらくは、それはラビアンローズに乗艦していた者らだけの秘密であったのでしょう」

「それはいうなれば、わたしの敗北と認めてもよい。我々の仲間さえも、肉体を持つことの誘惑に勝てなかったとするならば、肉体があることをして命があると人は考えるものなのだろう」

「我々に思念体であるレイハントンを討つことなどできません。どうか共存の道を模索させていただきたい。あなたにはぜひ、ベルリ・ゼナムの守護天使となっていただき・・・」

「あれは我が血族ではない」

「違うのですか?」

「あれはこの身体と同じ、人工的に思念体を入れる生体アバターとクンタラの娘が性行為を行ってできた子の末裔だ。クンタラはビーナス・グロゥブの人間が再びクンタラの尊厳を冒すことを恐れ、レイハントンの名においてクンタラを守るようにと謀りごとをしたのだ。クンタラは教義上肉体を放棄できない。永遠の命といういるのかいないのかわからないものに頼っても守ってもらえそうにないから、レイハントンを肉体化させるべく、自分の娘を我がアバターと結ばせたのだ。何と愚かなことかと考えもしたが、メメス博士というのは我が右手として存分に働いてくれた。わたしとしては、あれはメメス博士の血族だと思っている。遥か昔に肉体を失ったこの身にしてみれば、そもそも我が子などというものに意味は見出せない。我が子が恋しい気持ちは、人間の福祉に繋がる。福祉こそ最大の悪徳だ」

「福祉が悪徳。それが永遠の命を持つ、神のごとき存在の言われることなのですか?」

「そもそも福祉の拡大が宇宙世紀の失敗だったのだから、当然といえる」

ラ・ハイデンは反駁しようとして思い止まり、福祉について吟味してみた。

福祉は社会が整える公共事業の重要な一部であるから、集団の永続的存続に関わる重要事項だ。福祉の充実は集団の維持には不可欠で、福祉の切り捨ては集団を純化させる行為でタブーとなっている。優生学的見地による集団運営が考慮されなかった経緯は、かなり深い意識レベルのタブーであった。

対してジオニズムは、ニュータイプ現象の発現が確認された宇宙世紀初期からある思想で、優生学の一種とされていた。ジオンを祖とするグループは、宇宙世紀のいずれかの時期でニュータイプ研究を突き詰め、人類を純化させていったのだ。そして、完全な優生となって再び姿を現した。彼らは一切の差別をせず、すべての人間を平等な形である思念のみの存在に変換させる。思念のみとなった彼らはもはや差別的思想ではなくなり、遺伝子で命を乗り継いでいく人間では絶対に実現不可能な平等の境地に辿り着いているのだ。それはもしかしたら、知的生命体の最も正しい進化かもしれなかった。

肉体から魂を引きはがした彼らは、過剰に欲して地球資源を枯渇させることはない。集団の存続とその福祉のために他者から奪う必要もない。蓄財を積み重ねて分配に失敗することもない。福祉の充実のために経済成長を目指す必要もない。労働も必要ない。

「わたしはニュータイプのことをよく知らないので、お教え願いたい」ラ・ハイデンは緊張しながら尋ねた。「ニュータイプ同士はどのような関係性なのでしょうか」

レイハントンが応えた。

「ニュータイプというのは肉体を持った状態で思念が切り離される状態のことだ。特殊な状態なので、意識的にその状態にすることができない不確かなものだ。ラ・ハイデンは肉体を持った人類がニュータイプに進化すれば、肉体を捨てる必要はないかもしれないと期待したか」

「その通りです」

「人はニュータイプにはなれない。ニュータイプは人種ではなく現象だ。肉体を持ったまま意識の断絶を超える稀な現象なのだ。肉体を捨てれば、意識の断絶状態から解放され、すべてが繋がることになる。情報が統合されていき、個は限界に達して止揚する。そして個であることを捨て、思念はバラバラになって宇宙に消えていったり、似た思念が集まって人格に近いものが生まれたりする。ラ・ハイデンに伝えたいのは、わたしは決して肉体を持つ者を否定するためにここへ来たのではない。地球を再統治するのは、肉体を持つ者にすべきなのか、肉体を捨てた者にすべきなのか決するために来たのだ」

「それをお聞きして少しだけ安心いたしました。できうるならば、ビーナス・グロゥブに住まう人々の意見集約をするお時間をいただきたいのです」

「わかった。それならばあなたに時間をあげよう。いつまでか」

「半年、地球からの返答を、月の運搬船が携えて戻って来るまで」

「了承しよう」


2、



即決のハイデンと渾名されるラ・ハイデンは、瞬時に事を判断して思い切った行動に出る人物として知られていた。熟考型のラ・グー総裁は若く壮健な彼を重用し、10年来副総裁の地位に置いていた。しかし同時に、副総裁どまりの人物ではないかとも思われていたのである。

金星圏にて地球存続のためのエネルギー貯蔵を行うビーナス・グロゥブは、アグテックのタブーが一部解除されて、科学技術による延命処置が認められている。それは正当な労働の対価として誰も疑うことのないビーナス・グロゥブ住民の権利であると考えられていたが、熱心なスコード教徒であるラ・ハイデンはそれをよしとせず、延命処置を拒否すると公言していたのである。

それゆえに彼には敵が多く、総裁は務まらないともっぱら評判だった。

そんな彼が、ラ・グー暗殺を受けて総裁に就任した。敵が誰かわからない状況に恐れをなしたヘルメス財団幹部は手続き上正しい彼の総裁就任を認めたが、事が収束すれば総裁は選び直そうと裏工作はなされていた。ラ・ハイデンはビーナス・グロゥブより分離した巨大宇宙ドッグ・ラビアンローズの地球圏への移動を断固阻止するつもりで部隊を出動させたが、彼は反乱者がレコンギスタ派だと思い込んでいた。ところが実際はもっと複雑な話だったのである。

「地球へ帰還する際に、胚の状態で運ばれていた期間があるとは聞いておりましたが、思念体だのという話は初耳ですな。しかもあのレイハントンを詐称する者は、ジオニストとも名乗っているのだとか。ジオンなどと言うのは古代の宇宙皇帝なのでしょう? 英雄主義者のたわごとに決まっている」

「だが、おかしな技術を使い、あの薔薇のキューブ状のものを完全に掌握しているというではありませんか。モビルスーツの製造能力はすべてあの中にあるのだとか。それでは生産能力のあるあちらが長期では有利にはなりませんか」

ヘルメス財団の幹部たちは口々に自分の意見を述べて廊下を歩いていた。コツコツという靴音に混ざって杖を突く音が不規則に鳴り響いていた。彼らの頭の中は、多数派工作になった場合の票勘定でいっぱいで、ビーナス・グロゥブの住民の不安になど配慮する気はまるでない。そういうことはすべて官僚の仕事であり、総裁の仕事であったからだ。彼らの驚きは、ヘルメス財団の官僚の中にかなりの数のエンフォーサーがおり、その事実を自分たちがまるで知らず、さらに彼らがレイハントンに殺されたことにあった。彼らはまるで頭がついていかなかった。

ヘルメス財団幹部の心が人心から一層離れていたころ、ラ・ハイデンは民衆の中に飛び込んで事態の収拾のために走り回っていた。若手官僚たちが彼に続き、矢継ぎ早に指示される諸問題への対処にあたっていた。つい最近まで若手官僚たちは、キア・ムベッキが空けたシー・デスクの大穴をどう塞ぐかのんびり検討していたものだったが、それどころではなくなってしまったのである。

ラビアンローズの分離によって起きた巨大地震の影響で、オーシャン・リングのいくつかのコロニーに甚大な被害が出ており、ロザリオ・テンもまた無傷ではない。フォトン・バッテリーの生産に回していた労力をどう振り分けてコロニー群を早急に復興させるか決めるだけでも一大事であった。ビーナス・グロゥブの住民たちには非常事態法に基づく緊急動員が掛かり、休暇は取り上げられていた。

忙しく動き回る彼らの頭上には、ラビアンローズが落とす大きな影がある。ラビアンローズは約束通りその場を動かず、連絡もしてこない。食料等の要求もなく、新たなコロニーでもできたかのような佇まいであった。

ビーナス・グロゥブにて、前総裁ラ・グーの追悼式典が営まれることになった。厳かな雰囲気でスケジュールがこなされていった。そして総裁の挨拶の場で、ラ・ハイデンは住民に対してラビアンローズのことを話し始めた。それが自分たちの祖先が乗ってきた外宇宙からの帰還船であること、技術体系の集積体であること、エンフォーサーを自称する反乱者がそれを使って地球圏に逃れようとしたもののレイハントンによって阻止されたこと。そしてレイハントンは、肉体を持たない存在であること。

「かくして我々の先祖はエネルギーと食料の枯渇を乗り切り、太陽系へと戻ってきた。地球はまだ暗黒時代であり、文明は途絶え、食人が横行している。人間に再び文明をもたらし、彼らを教導しながら母なる惑星を復活させねばならなかった。ヘルメス財団はアグテックのタブーを作り、競争による技術の発達を禁じた。ここビーナス・グロゥブを文明の拠点と定め、ここに技術を封じ込めて地球人の手が届かないように太陽の影に隠した。ここにおいて我々は義務を果たし、宇宙世紀の蹉跌を繰り返さないよう文明を監視してきた。そしてレコンギスタが迫り、地球圏にエネルギーを与えるためにカール・レイハントンという人物を地球圏へと派遣した。それが500年前だ。しかし彼は、レコンギスタの条件を整えるとともに、最終的な命題を突きつける役割も担っていた。それはすなわち、肉体を捨てるという選択肢の提示である。かつてジオン公国と呼ばれていた古代コロニー都市は、地球圏から脱出したのちにニュータイプに関する研究を続け、精神と肉体は分離可能であることを突き止めた。そして思念体という進化の究極形態へと至っていたのである。かつては我々の祖先もそれを受け入れ、思念体になっていた時期があるという。その歴史は我々には伝わっていない。それは我々の祖先、肉体による生を選んだ祖先が生と死の定義を肉体の存続をもって定めたからである。だが、彼らジオニストにとってすでに肉体は生とは考えられていない。彼らにとって肉体は卵に過ぎないのだ。我々の身体、この形ある入れ物は卵であるという。彼らにとって我々は、まだ生まれる前の状態にあるのだ。この肉体を捨てたならば、己が思念は輪廻を繰り返し思念として確固たる存在になっていく。命は永遠であり、死というものはなかった。レイハントンは、ジオンを代表して我々に選択を強いた。つまり、人間はどちらの生を選ぶのだと。はたして宇宙世紀の過ちを繰り返さない選択は、肉体の生が正しいか、精神の生が正しいか、それを決めなければならない。もし仮に、我々が肉体を捨て去ったならばどうなるか考えてみよう。思念体となった我々は、悠久の時間を生き、アバターといわれる有機人工生命体を使ってときどきこの世に顕在化できる。アバターは使い終われば放棄され、地球においては分解過程で捕食されたり菌の苗床になる。宇宙においては食料生産の肥料となる。いや、そもそも人が宇宙にいる必要はなくなるであろう。人間がいなければ宇宙世紀の悲劇を繰り返さないという命題が失われるために、労働の義務から解放される。それどころではない、ムタチオンの恐怖からも解放される。死の先にある思念のみの世界では、肉体の衰えやその喪失を気に病むことはない。ムタチオンが発症した人間は、病の苦しみから解放され、壮健な肉体に宿って我が身から失われた闊達な人生を地球で送れるかもしれない。そして、闊達な人生を送るために、労働を強いられることもない。肉体を捨てるということは、肉体を維持するために行ってきた無理をやめることになる。もう2度と我々は地球を窒息させることはないだろう。これがジオンが目指した究極の理想であったのだ。その理想には誰もが近づける。肉体の老若、美醜、家族の義務、男女の役割格差、性癖、心の行き違い、死の恐怖、人間は多くの苦しみから解放される。人間はついに心の断絶を乗り越える手段を得たのかもしれない。あなたとわたしの間にある乗り越えられぬ深い断絶こそ、人間の不幸の源であった。いままさに我々は、不幸が源から断たれ、絶対幸福の世界が拓ける門のままで到達したのだ。それがレイハントンが提示してきた新たな生である。これを受け入れるか否か、我々は決断せねばならない。刹那の命か、永遠の命か。親から生まれ、親に育まれ、他人を愛し、子を愛しみ、それでもなお埋まらぬ断絶の苦悩の果てに死を迎えてきた時代を終わらせるのか、続けるのか、それを皆に問わねばならない時がきた。答えはひとつではない。死が生誕であることを受け入れられた者は、他人より先に永遠の命に生まれ変わればよい。それはジオンの技術によって可能であるというから、ヘルメス財団の名においてレイハントンに身柄を受け入れてもらおう。だが、受け入れらぬ者は、そう意思表明していただき、別の手段を講じる用意がある。我々は決断しなければならないが、意見の集約は行わない。ひとりひとりが自分がどうしたいのかだけ決断していただきたい。あとは我々がどんな意見にも対処できるよう努力しよう」



3、



ラ・グー追悼式典で語られたラ・ハイデンの演説は、意外なほど冷静に受け止められた。ラ・ハイデンによって意見を集約しないとの確約があったためなのか、人々が大声で議論するような事態は起こらずに、問題は死生観として語られ始めた。

ラ・ハイデンの下には、ひと月に一度、お忍びでカール・レイハントンもやってきた。どちらも饗宴を好まないタイプだったので、クッキーと紅茶のみが出され、もっぱら意見交換するだけの同席になっていた。カール・レイハントンは警護を伴うことなく突然姿を現すのが常だった。

「正直に言わせてもらえば」レイハントンはカップを置いて切り出した。「いささか拍子抜けしたというのが本当のところなのだ。人間はもっと愚かしい振舞いをしてもおかしくなかった。あなたが恫喝紛れに『最後の審判』と口にしたのが効いたのかな」

「そうではないでしょう」ラ・ハイデンは冷静に応えた。「ビーナス・グロゥブの住民はこんなものです。教育が行き届いておりますからな。わたしはここで生まれ、育ち、地球圏へは脚を踏み入れたこともないが、地球から離れれば離れるほど人間は善良になる。行き過ぎた自由を望まなくなる。逃げる場所がないこの宙域では、義務を果たして生きるより他ない」

「それはおそらく真理だ。地球の重力は人の魂を腐らせる。やはりスペースノイドであったがゆえに、ビーナス・グロゥブは地球の人間ほど愚かではなかったのか」

カール・レイハントンがラビアンローズを制圧してから半年が経過しようとしていた。クレッセント・シップとフルムーン・シップに持たせたフォトン・バッテリーはギリギリの数しかなく、地球圏ではそろそろエネルギーの枯渇が起こっているはずだった。

ラ・ハイデンはそのことを心配してはいない。戦争によってバッテリーを浪費せず、生活を改めればさらに半年は生き永らえよう。だがもし地球圏で戦争が起こっていれば、フォトン・バッテリーの枯渇は深刻な問題となり、森林資源の過剰な浪費やアグテックのタブー破りなどが明らかになるはずだった。

もし事態がそのような経緯を辿った場合、ラ・ハイデンは地球圏を見捨てることも視野に入れていた。バッテリーを枯渇させれば、やがて地球圏は独自のエネルギー源を模索し始めて、技術の発達はアグテックのタブーを破るであろうし、ユニバーサルスタンダードの普及は技術の囲い込みのために崩れ、スコード教はないがしろにされていく。それらの行為はヘルメス財団が目指してきた新時代の人間の在り方を無に帰す行為だが、資源の枯渇した地球はどちらにしても森林資源を食い尽くして山も海も枯れ果て、やがて宇宙を目指す。そのときに迎え撃って彼ら地球人を絶滅させればいいと考えていたのだ。

フォトン・バッテリーの供給は、ビーナス・グロゥブの理想そのものであるのだ。それが受けられなくなったとき、地球は理想を失い、理想を追求することもせぬまま自死の道を突き進んでいくと彼は考えていた。ゆえに彼に焦りはなく、その後の行動は返答次第と決めていた。

何をするにも決断の早いラ・ハイデンにしては、悠長に思える半年であった。この間、ビーナス・グロゥブの住民同士で互いに死生観を語り合う様々な集会に、ラ・ハイデンは顔を出した。そして多くの意見を耳にして、自分は一切口を挟まなかった。ラ・ハイデンがいつどのような決断を下すか人々はハラハラしていたのだが、結局彼は地球からの報告を待つことにしたのだった。

地球からの報告によって、ラ・ハイデンは大きな決断を下すであろうと見做されていた。

「人々が死について語り合うなかで、自然と『尊厳死』という言葉が使われ始めたのを聞いたとき、わたしはやはりアグテックのタブーを犯して人間の延命処置を認めるべきではなかったと確信しました。前総裁ラ・グーは、ムタチオンに冒された小人症で、死の恐怖を知るがゆえにレコンギスタのタイミングを計っておられた。早いか遅いかの違いだったのです。いますぐにでもと願う連中は、ピアニ・カルータの策謀に掛かって反乱覚悟で地球を目指そうとしていた。だがそんなことをしなくとも、いずれラ・グーは地球圏を目指したでしょう。肉体を持つ者にとって、死はすべての終わり。遺伝子の変質は生をも死に変える恐怖ですから、いずれは背中を蹴られるようにして地球を目指し、必ずやビーナス・グロゥブと地球の間で戦争になっていた。それはスペースノイドとアースノイドの戦いの続きです。我々は科学に秀で、地球人は壮健さに秀でている。だがその目論見は、キア・ムベッキの事故死と、メガファウナの来訪によって大きな反乱に至ることなく終わった。不幸中の幸いでしょう」

話を聞いていたカール・レイハントンは、静かに彼に問うた。

「ラ・グーという男は、なぜすぐにでも地球圏に来なかった?」

「それをあなたが口にするのはいささかズルイ。もちろん、レイハントンの仕掛けが怖かったのですよ。あなたがトワサンガに王制を敷いたとき、ビーナス・グロゥブは恐慌に陥ったと聞き及びます。我々は神として地球に降臨するつもりでいた。だが、あなたはそれをよしとしなかった。アグテックのタブー、フォトン・バッテリーの供給、スコード教、ユニバーサルスタンダードの整備、それらでは不十分だと考えたからこそあなたはトワサンガをレコンギスタの防波堤にした。まさか永遠の命に至っていたとは知らなかったので、我々はその真意を測りかねたまま500年間計画を続けてきた」

ヘルメス財団は、宇宙世紀の失敗を繰り返さないとの名目で神になろうとした。それを見抜いたのがメメス博士であったのだ。長年虐げられてきたクンタラだからこその先見性だったのだろうかとカール・レイハントンは過去のことを思い出す。メメス博士の思念が残ったならば、彼の本当の気持ちを聞きたいと彼は考えていたが、それはまったく形にならず消えてしまっていた。

メメス博士だけではなく、クンタラの思念が情報の塊として残ることはなかった。彼らの残留思念はいったいどこへ向かっているのか、レイハントンはずっと訝しんでいたが、それが地球の上空に存在するあの場所であることは良くわかっていた。だがレイハントンは頑なにそれを受け入れようとはしなかった。ラ・ハイデンが話を続けた。

「永遠の命へ至ると知った我々の中で、『尊厳死』という言葉が使われ始めた。これは人間の尊厳を重視した自死を肯定する考え方で、我々がアグテックのタブーを犯して延命処置を受け入れたときに起こり、ビーナス・グロゥブでふたつの派閥を形成するに至った考え方の相違です」

「君は『尊厳死』を肯定する立場なのだろう?」

「左様。わたしは一切の延命処置を拒否して、肉体の消滅は自然の摂理に委ねるとの立場です。だが、人は病に罹る。皆がわたしのように病気ひとつしない強い身体に生まれるわけではない。だから派閥は形成されたものの、極端な肯定と否定は賛同者が少なく、中間派に支持は偏っている。ラ・グーとわたしはどちらも少数派の極端な人間で、ラ・グーは肉体を限界まで生かすことで永遠に近づこうとし、わたしは妻に多くの子を産ませて永遠に近づこうとした」

「つまり肉体を持つ者には、肉体永続派と遺伝子永続派がいたというわけか。面白い」

「手前勝手になるが、より永遠に近いのはあなたが遺伝子永続派と呼んだ我々の方です。遺伝子というのは太古の昔より途切れることなく生き続けてきたからこそいまここに存在している。遺伝子を残さず死ぬことは、消滅を意味する。幾多の消滅を横目で見ながら、遺伝子という乗り物は存在し続けた。それに対して個というものはあまりに短期に過ぎる。自然に生きて50年、ラ・グーのように生きて200年、もしさらにアグテックのタブーを犯し続けた場合、ラ・グーは、カール・レイハントン、あなたのように生体アバターなるものを作り出して自分の記憶をアバターに移植したかもしれない。それは多くの無駄なエネルギーの消費に繋がり、より永続性を高めるためにいずれはユニバーサルスタンダードの放棄に至ったかもしれない。スコード教など邪魔でしかない。彼が目指した『個の永続』とは、やがてヘルメス財団の理想を破壊していったでしょう。もしそこに至りそうなら、わたしはラ・グーに対して反乱を挑んだかもしれない。しかし、幸いそうはならなかった。銃弾は彼を完全に消滅させた」

「ラ・グーという人物の支持者はどれくらいいるのか」

「我々は極端な人間ですから、熱狂的支持者というのは少ないものなのです。『長生きしたい』と考えるだけなら、誰もがラ・グーの支持者でしょう。しかし、そこに『尊厳死』という考え方が立ちふさがる。本当に肉体の永続性を求め続けてもいいのかどうか。ヘルメス財団は理想を失ってもいいのか。まさに肉体があるがゆえの悩みです。いまはまだ我々はヘルメス財団の理想からそう遠く離れていないと信じています。しかし、いずれは我々はバランスを崩し、自壊した可能性が強い。そして恐怖に駆られ、一斉にレコンギスタを開始する。それを見抜いていたから、トワサンガを防波堤にしたのではありませんか」

「わたしは地球圏で皇帝になるつもりだった。皇帝といっても従える者はいない。我が命の源、ジオンの導きにより人間に進化を促すことがこの使命であるからには、それを完遂するための装置が皇帝という仕組みというわけだ。わたしは専制をもって断ずる覚悟があった。それをおかしな形で阻み、いや支持してくれたのがクンタラのメメス博士という人物だ。彼らクンタラは、君のいう『尊厳死』の体現者だと思うか?」

「残念なことに、クンタラについて多くは伝わっていないのです」

「彼らをビーナス・グロゥブから追放したのは500年前の総裁ラ・ピネレだ。ビーナス・グロゥブをいまのような肉体のある人間だけにしたのはあの男である」

「ラ・ピネレ・・・、多くの妻を持ち、最初にアグテックのタブーを破った男ですな」

「肉体の永続と遺伝子の永続を同時に求めたわけか。まったく度し難い男であったな」

「ラ・ピネレは多くの女に自分の子を産ませたと記録されていますが、近親相姦を避けるために行われたその後の調査で、彼は無精子症だったと判明したのです。つまり、彼の子供はひとりもいなかった。彼の遺伝子には欠陥があった。彼の妻たちは、それぞれ別の男と寝て、彼らの子供を産んだ。ラ・ピネレはそのことを知らずに権力の座にあり続け、子供らのために不正に蓄財するようになり、さらに延命を望んでアグテックのタブーを解除した。ビーナス・グロゥブの住民は、地球人民のために多くの労働に勤しんでいるのだから、長寿を与えられるのは当然の権利だと訴えて支持を広げたわけです。ところが老いた彼が初期のボディスーツを装着したところ、バッテリーの不具合が原因で身動きが取れなくなった。彼はボディスーツを装着したまま動けず、助けを呼んだものの新しい彼の愛人は別れた夫と密談中で返事をするものの助けにはいかず、やがてスーツが発火して生きたまま焼き殺されてしまった」

「度し難い男にはコメディアンの資質があったというわけか」

「老いの醜さを体現したような人物でした。そのようなわけで、我々は尊厳のある死というものを彼の愚かしい死に方から学ぶしかなかった。学んだ結果が、ボディスーツをさらに発展改良させた人間と、そんなものに頼らず死を受け入れろというふたつの派閥になった」

「そのような面白い話があったのなら、お忍びでこちらに戻っても楽しめたのかな」

「かように、ビーナス・グロゥブの話は多く伝わっておるのですが、残念なことにクンタラに関する記録は非常に少ないのです」

「いや、充分であった。クンタラについてはその教義がすべてのようだ。我々は宇宙世紀の失敗を繰り返さないためにスコード教という人工宗教を作り出したが、君はクンタラの宗教、名もない彼らの宗教についてはやはり知らんのだろうな」

「存じないのです。ただ、約束の地カーバに至るのを教義としているとしか」

「では、宗教というものは、人間の永続性のひとつの形になり得ると思うか?」

「肉体でもなく、遺伝子でもなく、思念でもなく、宗教がそれらになり替わるという話ですか・・・。考えたこともなかったな。いや、わたくしはこれでも熱心なスコード教の信者だと自負しておりましたが、宗教の中に永続性や永遠性が宿るとは考えたことはない。しかし、クンタラというのは、我々にとっては被差別者とカテゴリされる存在であったとしても、彼ら自身はそうは思っていなかったのかもしれない。クンタラの神は彼らに永続性を与えていたのか・・・。そういえば、現在地球圏で反乱を起こしているジムカーオという人物はクンタラの出身者ですな」

「そうなのだ。だが彼はもう数百年前にスコード教への改宗を求められ、エンフォーサーに加えられている。彼はニュータイプとしての能力に秀で、自分を改宗させた人間たちへの復讐を行っているところだ。彼はどうやら、メメス博士がわたしにしたように、レイハントン家の人間をクンタラの守護者にしたかったようだが、ベルリという少年が意外に慎重な男で、思うに任せず、何かを勘違いしたまま強い残留思念となってラビアンローズとともに外宇宙へと弾き出されてしまったようだ」

「死んだのですか?」

「あれはとっくに死んでいる。わたしと同じ存在なのだよ。クンタラの教義を捨てさせられたとき、彼にはあらゆるタブーが通用しなくなった」

「ジムカーオは思念体で、身体は生体アバターだったのですか?」

「そうだ。ボディスーツで数百年は生きられんよ。地球圏での騒動はすでに終わった。じきに輸送船はこちらに到着するだろう。そのときが回答の期限だ。先延ばしは許されないと思ってほしい」


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「ガンダム レコンギスタの囹圄」第33話「ベルリ失踪」後半 [Gのレコンギスタ ファンジン]

「ガンダム レコンギスタの囹圄」


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第33話「ベルリ失踪」後半



1、


太陽の輝きが巨大な2隻の船が進路を変えビーナス・グロゥブから遠ざかっていくのを照らしていた。月の呼び名を冠したフォトン・バッテリーの運搬船は、反乱者たちの手を逃れるためにラ・ハイデンによって地球人に託されたのだった。

惑星間を移動できる船は、このクレッセント・シップとフルムーン・シップ、それにたったいま轟音とともにビーナス・グロゥブの資源衛星から分離したラビアンローズだけだった。

ビーナス・グロゥブのエンフォーサーは、これを機にレコンギスタを果たすため、長年影に隠れて欺いてきた仮面を太陽の下に晒した。彼らは己が優生であると信じ、地球の支配権が誰の手にあるのか、かりそめの支配者と対峙することではっきりさせようと姿を現したのだ。

資源衛星からパージされたラビアンローズは、シー・デスクのひとつに巨大な地震と津波を引き起こし、多大な人命被害を出した。破壊こそ免れたもののパージによって舞い上がった土煙は、濛々と広がって真っ黒な煙霞となると静かに、不気味に、ロザリオ・テンを包んでいった。衝撃による振動は、ビーナス・グロゥブ全体に拡がり、住民たちは聞いたことのない軋音に恐れおののいた。

ビーナス・グロゥブの住人たちは、胚の状態で保存され、遥か外宇宙から運ばれてきた者たちの子孫である。500年を経て、彼らはそのことを忘れてしまっている。彼らは、地球に供給するフォトン・バッテリーのために働き続ける。対価は、いつか果たされるであろう地球への帰還である。

対するラビアンローズのクルーたちは、肉体を捨て思念体となったのちに新たにデザインされた人間たちで、再び肉体と合一した存在だった。魂は肉体に張り付いてしまい、アバターのように抜け出ることはもうできない。その子孫である彼らは、すでに思念体というものがどんなものなのか、教育で学んでいるだけである。それでもなお、彼らは自分たちの優生を信じていた。

ラ・ハイデンの決断は早かった。彼はすぐさま艦隊を発進させて、モビルスーツを展開した。対するラビアンローズは、エンジンの出力が上がらない。ラビアンローズのクルーたちは慌て、一刻も早く地球圏へと立ち去ろうと巨大な艦内を右往左往した。そうこうしているうちに、クレッセント・シップとフルムーン・シップの姿は宇宙の闇の中に小さく消えていった。

「出力が上がらない? なぜだ?」

ラビアンローズはビーナス・グロゥブの艦隊に取り囲まれた。だがまだ攻撃は仕掛けてこない。艦内は混乱の極みである。ラビアンローズの艦長席に座る者はいない。彼らは突然やってきた大執行にまるで対応できていなかった。

それはノレド・ラグの予期せぬ攻撃から始まった。G-ルシファーに搭乗した彼女は、ジットラボから通じていたラビアンローズの生活区域に入り込み、1体のアンドロイド型アバターを奪って内部から隔壁を破壊した挙句に造船区域から外部に出てしまったのだ。攻撃目的は不明、アンドロイドには思念体らしきものが入魂した形跡があり、ビーナス・グロゥブのエンフォーサーたちはノレドが高度なニュータイプではないかと推測していた。

しかし詳細な分析も済まないうちに、ラ・ハイデンが事態を察してラビアンローズ内に人員を入れようとしたために、慌てて大執行の時まで厳禁されていたパージを行ったのだ。ラビアンローズの巨躯は加速するまで時間はかかるが、金星圏を脱してしまえば、ビーナス・グロゥブに彼らを追いかける手段はない。新造艦の建設を行おうにも、ヘルメスの薔薇の設計図はラビアンローズの中にしかないのだ。ビーナス・グロゥブのラビアンローズとトワサンガのラビアンローズ、このふたつをもって軍政を復活させ、トワサンガから地球と金星を支配することが彼らの長年の指導者であるジムカーオの計画であった。

それは、ヘルメス財団の始祖とされるレイハントン家の復活をもってなされるはずだった。ベルリ・レイハントンを傀儡としてトワサンガ初代皇帝とし、太陽系全体を軍政下に置くことが当初からの目的だったのである。艦長席に座すのはジムカーオと決まっていた。そこが空席であるのは、彼のアバターを用意するいとまがなかったからである。

「ステュクスの発進はまだか」

「なぜアンドロイドを同期できないのか」

「ニュータイプ検査に合格したものを急いで集めろ」

と、めいめいが勝手に指示を出す有様であった。そこにビーナス・グロゥブからラ・ハイデン名義で通告が届いた。反乱罪及び前総裁ラ・グー暗殺容疑で全員を拘束するから投降しろとの内容だった。自分たちの練られているはずの計画があまりに上手くいかないことに失望した者らは、早々に諦め、互いの顔を見合った。

失望と落胆が艦内を支配しようとしていたとき、彼らも与り知らないラビアンローズの機能が500年ぶりに動き出していた。それは生体アバターを作り上げるユニットであった。オレンジ色の液体の中で人の形がみるみる組み上がり、完成を待たずにその人物が身に着けるべき軍服が裁断された。

生体アバターはできたばかりの筋組織をピクピクと動かし、調整が済むとすぐに目を見開いて活動を開始した。

絶望に打ちひしがれるラビアンローズを支配する者たちは、突然姿を現し、艦長席に座る金髪碧眼の人物を仰ぎ見て驚くことになった。それは1000年の昔、1機のラビアンローズを率いて彼らの祖先と合流し、地球圏の支配体制の大枠を決める会議の成立に尽力したひとりの若き軍人の姿であった。彼は500年前にトワサンガの基礎を作り、そののちのことは知られていない。だが、その容姿だけは伝説上のこととして伝わっていたのである。

彼に気づいたエンフォーサーたちが名を問おうとしたとき、彼らの前に大きくラ・ハイデンの顔が投影された。ラ・ハイデンはラビアンローズを長年にわたってヘルメス財団から隠蔽してきた彼らに強い叱責を加えるつもりでその姿を映し出したのだが、彼と対峙した古式ゆかしい軍服姿の青年に驚くことになった。

ふたりはモニター越しにしばし様子を探り合い、やがてラ・ハイデンから先に恭しく頭を下げた。

「これは、驚きですな。カール・レイハントン、お初にお目にかかります。ビーナス・グロゥブ総裁、ラ・ハイデンでございます」


2、


スコード教大聖堂の幽霊騒ぎの余韻も残るなか、ベルリ・ゼナム・レイハントンの姿が消えた思念体分離装置は厳重に封印されて、立ち入り禁止区域に指定された。

一連の初期調査でもたらされた情報は膨大で、それらを整理するだけで何年も掛かると推定されていた。アナ・グリーンとジャー・ジャミングの両教授は、話し合いの結果いったん調査隊を解散してそれぞれの大学に戻ることになった。幸いなことにトワサンガもアメリアも、エネルギー不足による悪影響は比較的少なくすんでいる。

「アジアではついに戦争が始まったって話だな。一時はあんなに勢いがあったのに。ハッパはあっちへ行ったらしいが、死んでなきゃいいけど」

メガファウナ艦長ドニエルは不謹慎な軽口を叩いてノレドに睨まれることになった。彼のメガファウナのエネルギーであるフォトン・バッテリーも尽きつつあり、大気圏突入を行ってアメリアへ戻ると再び宇宙へ出ることはできない。ジャー・ジャミングとその生徒、そしてアメリア政府から派遣された人物らは、キャピタル・テリトリティと交渉の末、定期運航を中止しているクラウンで地球へ戻れることになった。

アナ・グリーン教授と生徒たちもトワサンガへ引き上げることになっていた。トワサンガはノースリングが再び動き始め、停止によって破壊された内部の修復作業が始まっている。教授以外の生徒たちはその労働に駆り出されることになっていた。その話を聞いたドニエルは、スペースノイドの労働についてチクリと嫌味なことを口走り、今度はラライヤに睨まれてしまった。

「だってよ」ドニエルは肩をすぼめた。「地球じゃ大学生を労働に徴収するなんてないぜ。宇宙じゃそれが当たり前なのか?」

「そりゃそうですよ。地球みたいに全自動じゃないんですから」

「全自動ねぇ。確かに空から雨が降ってくるけどな」

ノレドがトワサンガの大学に進学したのは半分ベルリの傍にいるためだったのに、ベルリはいなくなり、仕事が終われると今度はキャピタル・テリトリティに戻るらしいと聞いてノレドは暗い気持ちになっていた。努めて明るく振舞おうとするが、エネルギーの枯渇は人々に暗い影を落としており、ベルリとアイーダが下したフォトン・バッテリーの再供給を待つとの方針に対しての大きな反発も起こり始めていた。そんななかでのベルリの失踪事件だったのである。

トワサンガとザンクト・ポルトは、合同で捜索隊を結成してベルリが搭乗したとされるカール・レイハントンの愛機カイザルを探し回っていた。しかし宙域のどこにも機体は存在せず、またカイザルの性能も正確なことがわかっていなかったことから捜索は難航していた。

ノレドだけはベルリの気配を感じていたが、これもはっきりしたことがわからない以上信用していいものではない。アジアでは国家同士のフォトンバッテリーを使用しない陸軍による戦争が始まったとの噂もあり、枯渇しつつある資源とともにキナ臭い空気を世界に充満させていたのである。

最後のミーティングから間もなくして、ザンクト・ポルトに久しぶりのクラウンが到着した。アメリア帰還組がそれに乗り込むのを見送ったあと、ノレドたちトワサンガ組はメガファウナに乗船した。勝手知ったる様子でブリッジに上がってきたノレドとラライヤに、ドニエルは不安を口にした。

「メガファウナもフォトン・バッテリーが厳しくなってきてなぁ。さっきクラウンに乗ってきたキャピタルの人間にも話したんだが、もしザンクト・ポルトに物資を運べなくなったらクラウンを動かして地上から物資を運び入れ貰わなきゃなんねぇんだよ」

「ザンクト・ポルトの農業ブロックでは市民の食料は賄いきれませんからねぇ」

ラライヤは相槌を打ちながら溜息をつく。ノレドは「ベルリが何とかしてくれる」と言いかけて口をつぐんだ。ベルリはいなくなってしまったのだ。

(カイザルがカール・レイハントンだとしたら、ベルリをどこに連れていっちゃったんだよぉ)


3、



ビーナス・グロゥブを再訪したメガファウナが2隻の運搬船を伴って地球圏へと離れていったすぐ後のこと・・・。

突然分離したラビアンローズの艦長席に古式ゆかしい軍服を身に着けたひとりの金髪碧眼の男が座った。彼の名はカール・レイハントン。1000年前に1隻のラビアンローズとともにビーナス・グロゥブの集団に加わった肉体を捨てた種族の事実上のトップであった。身分は大佐であったが、肉体を捨てて久しい彼らに階級は意味をなさないものだった。

彼はフォトン・バッテリーの技術を有して帰還してきた別のグループに、地球圏の新しい仕組みについて提案を行った。それは地球を種の保存のための囹圄として使おうというものだった。そこに人類は存在させず、地球人類はすべて宇宙に上げて思念体として永遠の命を授けようというのである。

あなた方も永遠の命に乗り換えませんかと告げられた時、相手はそれを受け入れるしかない状況だった。相手のラビアンローズ内では、当時深刻な食糧不足が起こっており、自らの遺伝子から人工胚を作り艦の運用は最低限の人員で行っていたもののそれでも食料は足りていなかった。飢餓は彼らから文明の失わせようとしており、そのことを自覚して恥じてもいた。特に食人習慣においてそうであった。

生き残っていた者たちは、カール・レイハントンによって殺され、思念体となった。その過程でたとえそれが失われたとしても、彼らにはまだ胚から自分自身を育てるという希望があった。こうして彼らは肉体を捨てた。そののち、カール・レイハントンの提案、すなわち地球を種の保存の囹圄とし、その妨げとなる人類を地球から排除する計画を受け入れたのである。

ところが、やはり彼らは肉体への執着が強く、地球圏へ到着するなり人類の種の保存も必要だと意見を変え、肉体化したスペースノイドの生存を平和裏に行うために、フォトン・バッテリーの供給をコントロールして人類の過度な文明発達を抑制するプランを逆提案してきた。計画はよく出来ていたので、レイハントンはそれを受け入れた。

「こうして我々はふたつのプランを同時に行うことになった。どちらを採用するかは、我々ジオニストに決定権が委ねられている」

と、カール・レイハントンが口にしたとき、ラ・ハイデンはほうと感嘆の声をあげた。

「ジオニストですか。これはまた古風な選民思想の言葉を聞いたものです」

「同格において選民思想は罪となるだろう。初期のジオニズムに瑕疵があったことは認めざるを得ない。しかしこうして1000年前の人間が目の前に現れる事態を、君はどう考えるか。わたしは選民思想を持ったただの人間なのか、それとも選民であるのか」

「あなたの年齢は1000歳だと」

「おそらくはもっと古く。宇宙世紀初期にまで遡るかもしれない」

「少しお尋ねしたいことがある」ラ・ハイデンは居住まいを糺した。「あなたの個性はある特定の人間のものなのか」

「個性は思念となったときにいくつも統合されるものだ。わたしはわたしとよく似た人間が幾人も合わさった人格だと思っていただこう」

「そうして思念は強化され、やがて怨念となるのですかな?」

ラ・ハイデンの挑戦的な口調にレイハントンは思わず笑みを浮かべた。艦長席に鎮座する彼を見上げるしかないラビアンローズの面々は、ハラハラと落ち着かない様子で事態を見守るしかなかった。そんな彼らの様子をモニター越しに察したラ・ハイデンは、レイハントンに提案をした。

「いまその艦に乗っている者らは、すべてレイハントン家のお仲間と思っていいのか? もし違うのならば、こちらに身柄を引き渡していただきたい」

「いや」レイハントンは首を横に振った。「肉体の殻を命だと思っている人間をジオニストとは呼ばない。ここにいるのはただの選民思想の愚か者らだ」

「で、あるならば」

返せとラ・ハイデンは要求したが、レイハントンは要求をはねのけた。

「すべての人間は選民となるべきなのだ。いまそれをお見せしよう」

レイハントンは艦長席に座したまま手を組み、どのような仕掛けがあるのかラビアンローズ内のすべての区画を画面に映し出した。ラ・ハイデンは初めて緊張した面持ちになり、モニターを注視した。画面に映し出されたのは、苦しみ悶えて命を落としていく人間たちの姿であった。最後のひとりが死んだとき、画面は座したまま鋭い眼光を向けてくるレイハントンに切り替わった。

ラ・ハイデンは従者に飲み物を要求して半分ほど飲み干すと、カチャリと杯を戻した。

「殺した、と思っていないから、あなたはそんな顔をしているのでしょうな」

「もちろん」レイハントンは静かに応えた。「命を奪ったのではない。わたしは彼らに永遠の命を与えたのだ」

「すべての人間に、ですか?」

「それを得る資格のある者だけに、かな」

「つまり思念体というのは、すべての人間に与えられる永遠の命ではないと」

「いや、個性が消えてなくなるだけで、命は永遠だ。すべての生物というのは、肉体の永遠性を求めて同種を増やそうとするが、それ自体が命の永遠性であり、さらに肉体の殻を捨ててもまだ命があると知ったならば、食い合い殺し合う生命の営み自体が非文明的で愚かしいものだと思えてくるものだ」

「なるほど、ご高説には感嘆いたしました。しかし、そちらにある1万を超える遺体、こちらに返していただけませんか。その代わり、こちらの兵を下げさせましょう。一時休戦とさせていただいて、弔いの時間を与えていただきたい」

「その間にわたしが船を地球へやらないと考えているのか?」

「あなたの目的は、人間から肉体を奪うことでしょう。だが、それを一方的に行うつもりはない。レイハントン、あなたはまだどのような形にすべきなのか迷っているようだ。ならば、こちらの要求を飲んでいただき、遺体を焼き弔う時間をいただきたいのだ」

「それが人間だというならば、君には失望することになる。だが、しばし考える時間をやろう」

そう告げるとやおらレイハントンは席を立ち、艦内のどちらともなく姿を消した。ラ・ハイデンは全軍にラビアンローズへの侵入を命令して、遺体の回収作業にあたらせた。


4、



「あれが本物のカール・レイハントンという確証がおありで?」

ヘルメス財団の緊急会議は紛糾していた。突然降ってわいたようなヘルメス財団の大物の出現にどう対処していいのか理解している者は、ラ・ハイデンも含めてひとりもいなかった。

「カール・レイハントンは宇宙を統べるような巨大な力を手にした偉大なニュータイプであったとの言い伝えは、あながちウソではないだろう。しかしどうも解せないのは、なぜいまになってということだが」

「それは反乱者たちが犯したことを思えば、あるいはレイハントンの子孫が再びこの地にやってきたことを思えば」

「理解できるというのか? そもそもあの巨大な構造物は何か。人工衛星のような形をしているが桁違いに大きい。あんなものをビーナス・グロゥブに隠して一体何がしたかったというのか。反乱というのならば、搭乗員を殺したのはなぜか。もうレイハントンひとりしかあの船にはいないのであろう? たったひとりでどうやってあんな巨大な船を動かすというのか」

「いまのうちにあの船を取り返せないか? あるいは暗殺も・・・」

「遺体回収以外の動きを見せるとどこからともなく攻撃を受けたそうだ」

「ではほかに乗組員がいるのではないのか?」

「思念だけといっていたであろう? 彼らは幽霊のようなものではないのか?」

肝心のラ・ハイデンは、犠牲者を弔うための葬儀に出席していた。スコード教の熱心な信者である彼は、市井の人間に混ざって犠牲者に祈りをささげるためこうべを垂れていた。

儀式が進むにつれ、ラ・ハイデンは、彼ら反乱者の多くに正式なIDがないこと、IDがなく勤め場所も不明なのになぜか家族はおり、一般人と同じように家族を持っていることなど続々と判明する事実に驚きながらも眉ひとつ動かさずじっと前方を見据えていた。彼は教会の椅子に腰かけ、間髪置かずやってくる役人の話に耳を傾けた。

火葬に向かう遺族にお悔やみを述べたラ・ハイデンは、その脚でヘルメス財団の会議に参加した。椅子に腰かけた彼はすぐに口を開いた。

「ビーナス・グロゥブよりパージされたものは、我々の祖先が地球に帰還する際に乗ってきた船だと思われる。あれはラビアンローズといって、移動式のドッグなのだ。外宇宙から戻ってくるほどの高性能であるから、我々の科学力より優れた古い時代の手強いものであろう」

「レイハントンはあれを隠して何をしたかったのか。もし我々が受け入れられる条件ならばすべて飲んで・・・」

「降伏するのか?」

「ではどうせよと?」

すぐに白熱する議論を、ラ・ハイデンは杖の音で遮った。

「ヘルメス財団1000年の夢に決着をつける時が来た。その当初の目的も忘却しつつある我らの前に、1000年前に理想を作り上げた人間が姿を現した。要はそれだけのことに過ぎない。あなたらはビーナス・グロゥブにおいて義務的労働に勤しみ、よってアグテックのタブーのいくつか解除され、本来の人間より長寿を享受している身であろう。であるなら、狼狽するのはよし給え」

ラ・ハイデンは右往左往するヘルメス財団の人間を杖の音で制した。これで少しは静かになったが、参集したヘルメス財団の高官たちの覚悟のなさには呆れる他なかった。停戦協定の猶予はすぐに過ぎ去り、ラ・ハイデンは何ひとつまとまらないまま総裁として再びレイハントンと対峙せねばならなかった。いっときどこかへ姿を消していたレイハントンは、再びラビアンローズの艦長席に座した。先に口を開いたのはラ・ハイデンであった。

「カール・レイハントンの望みを聞きたい」

「わたしの望みは君らを俗物に貶めているその肉体に価値はあるのかと問うことだ」

「問うこと。ならば応えましょう。生きることに価値がなければ、地球を生命の囹圄にするとのお考えも価値がないということになる」

「では問うが、生きるためにピアニ・カルータは何をしたか」

「彼は生きるために強くなろうとしました」

「殺し合いをすることで生物は強くなる。それは確かなことだろう。つまり、戦わせないことを選んだヘルメス財団の願いは間違っていたということでいいのか、ラ・ハイデン」

「行き詰ったのはあくまでビーナス・グロゥブの環境下においてのこと。この地で起こったムタチオンの恐怖が、ピアニ・カルータを極端な競争信奉に駆り立てた。彼の虚偽報告に騙され、地球にフォトン・バッテリーを過剰供給してしまった罪はこのラ・ハイデンのみが負いましょう」

「覚悟は良し。だが、いくら地球から遠く離れているからといって、聡明であった前総裁ラ・グーを謀り続けるのは個人の犯行では不可能。君の傍にいる多くの者が関与していたと告発したら君はどうする? レコンギスタの誘惑は彼ひとりが謀られたわけではない。もうずっとずっと前から、レコンギスタは肉体を持つ者らの願いであったのだ」

ラ・ハイデンはギュッと唇を噛んだ。

「あなたがそうおっしゃるのなら偽りはないのでございましょう。ヘルメス財団の中にピアニ・カルータの協力者はいましょう。肉体を持つ者はレコンギスタを目指すと?」

「その通りだ。人間の肉体は地球環境に適応して進化したもので、宇宙に適応したものではない。肉体は重力を求め、1Gの環境に戻りたがる」

「それを果たしてはいけないのでしょうか?」

「人の活動は地球環境に負荷をかけすぎる。だからこそアグテックのタブーを設け、フォトン・バッテリーの供給量でその活動を制限すると君らの先祖は約束したのだがな」

「それは守ります。法を犯す者はいつの時代もいるのは仕方がない。それをもって生命が無価値というのは極論に過ぎるのではありませんか、レイハントン」

「人間が法を犯すのは、肉体の維持を前提にするからだ。法を犯すことを仕方がないというから、人間は過剰を求め、過剰に安心する。そして俗物と化すのである」

「肉体を持った我々の命が、レイハントンの命、永遠の命より価値がないならば、我々は滅ぼされるべきなのだとそういわれますか?」

「それを決するために問うているのだ、ラ・ハイデン。わたしはジオニストにして、エンフォーサーである。わたしは最終決裁をせねばならない。肉体に価値があるというのなら、どうかこのわたしを説得していただこう。すべての人間が思念のみの霊体となって地球の守護者となることが、地球を生命の囹圄として半ば永遠に、その寿命が尽きるまで見守る尊い義務へと誘うことになる。人間が地球の資源を食い尽くし、多くの生命を絶滅に追いやることのどこに尊さがあるというのか。人は尊くなくともいいのだというのならば、いますぐ君らの命をその醜い肉体から剥ぎ取ってやってもいい」

殺されると感じたヘルメス財団の幹部らは一様に震え上がった。ラ・ハイデンは杖を突いて俗物たちの恐怖を抑え込んだ。壮健にして美丈夫のラ・ハイデンは、不利と分かってなお果敢に議論を挑んだ。

「カール・レイハントンに問う。ではあなたはなぜ我々が肉体を持つのを黙って見過ごし、ビーナス・グロゥブに天体ほどのフォトン・バッテリーが積み上がるのを黙って見ていたのですか? 500年、あるいは1000年前に、肉体に戻るすべを断っていたならば、何の憂いもなかった」

「それが猶予というものだ。肉体を持つ者らは、人間の過剰を戒め、地球人類を秩序正しく導くことができると考えていた。その時間を与えたまでだ。そして起こったことが、クンパ大佐事件であり、今回のジムカーオの反乱である」

「やはりジムカーオが反乱を起こしましたか」

「あれは元はクンタラであったが、ニュータイプ試験の成績が良く、従わねば身内の命を奪うと脅され、泣く泣く教義を捨ててエンフォーサーに加わった男の残留思念だ。おそらくビーナス・グロゥブに古い資料があろう。彼がラ・グーより古い人物なのは、肉体を捨てた存在であるからだ」

「ではこういうことになりましょう。ピアニ・カルータは我々の罪。ジムカーオはあなた方の罪です。肉体を持つ者の罪というならば、そうなるはずだ」

「クンタラは肉体の継続のみに生き、約束の地カーバへ魂を運ぶことが血統の義務とされている。それを捨てさせられたことがおかしくなった原因である。これも肉体があるがゆえの悲劇であろうに」

「クンタラとおっしゃった。クンタラはかつて永遠の命を与えられなかったのか、それとも拒否したのか。正直にお答えいただきたい」

「そのどちらもだ。クンタラは食人習慣の被害者の総称である。わたしの提案を彼らは拒否したが、別の場所では与えられなかったかもしれない。クンタラは永遠の命を拒否した。それは、彼らがその肉体を魂を運ぶための道具として位置付けていると知ったゆえ、こちらも無理強いはしなかった。彼らは生きるためにどんな汚いこともする。そして蔑まれる。それでも、魂をカーバに運ぶ器としての存在をやめなかった。その教義はかなり強力なのである。ジムカーオはそうした存在であることを奪われて、思念体をなった。いまも地球圏にそれはある。彼が何を望んでいるのかおおよそはわかるが、彼の目論見は失敗するであろう。ビーナス・グロゥブより援軍が来ないからだ」

そのとき、ヘルメス財団の幹部のひとりが話に割って入った。

「レイハントン閣下に是非お伺いしたい。貴殿は先ほどより永遠の命を持つ者と肉体の命を持つ者を対比させておられる。では、ベルリ・セナムとアイーダ・スルガンはどうなるのですか? あなたの血を分けた子孫なのでしょう? ご自身が子孫を残しておられるのに、我々は否定なさるのか?」


5、



トワサンガに寄港したメガファウナを降りたノレドとラライヤは、ノレドが借り受けることになっているサウスリングの小さなアパートへと荷物を運び込んだ。

ノレドはさっそく窓を開けて、新しい自分の住処の外に何が見えるのか確認した。そこはキャベツ畑であった。刈り入れ前で紐で縛られたキャベツがいくつも黒い土の上に並んでいた。堆肥の臭いが気になったノレドは、いそいそと窓を閉めた。

「ちょっと臭いでしょう?」ラライヤは笑った。「ここは以前フラミニアと一緒に暮らしていた部屋なんです。堆肥が臭ってくるので部屋代が安くて。でも交通の便はいいんですよ」

「んー、眺めはいいけどねぇ」

「収穫後にいらない葉を切り落としてそのまま次の堆肥にするんですけど、そのときが1番臭くて」

「あーーーッ」

窓の外に農家の馬車を見つけたノレドは、また窓を開けて大声で声を掛けた。元気な声に驚いた農夫はそれが一時はレイハントン家の妃になるはずだったノレド・ラグだと気づくと、馬を繋いで窓の外に駆け寄ってきた。

「王妃さま」

「よしてくださいよー」

「いや、王妃さま。聞いたかね? ついにビーナス・グロゥブから何かが来たって。でも、運搬船だけじゃないというんだ。わしら、殺されちまうのかねぇ?」

ノレドとラライヤは思わず驚きの表情を突き合せた。

それと同じころ、ベルリ失踪以降事実上のトワサンガ総裁を務めていたハリー・オードは、解散すると決めたばかりのトワサンガ防衛隊を再招集して使えそうなモビルスーツをかき集めることに奔走していた。

レーダーに映し出されたのは、彼が薔薇のキューブと呼ぶものと、無数の艦艇だったのである。


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「ガンダム レコンギスタの囹圄」第33話「ベルリ失踪」前半 [Gのレコンギスタ ファンジン]

「ガンダム レコンギスタの囹圄」


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第33話「ベルリ失踪」前半



1、


ザンクト・ポルトで起こった幽霊騒動以来、トワサンガの王子ベルリ・ゼナム・レイハントンの行方が分からなくなってしまった。このことはトワサンガの事実上ナンバー2になっていたハリー・オードによって伏せられ、トワサンガと地球との間の交信や交流は一時的に一切閉ざされる事態になった。

関係者からの聞き取りによって、ベルリがノースリングに秘匿されていた初代レイハントンの愛機カイザルを起動させた瞬間に消えたことが判明していた。同時にザンクト・ポルトのスコード教大礼拝堂にある思念体分離装置と呼称されているものの中に出現後、再び姿が消失したこともわかっている。ハリーは待機中だったメガファウナのドニエル艦長を状況確認のためにザンクト・ポルトに派遣した。

ベルリ失踪後、つまりカイザルという赤い古めかしい機体が消えてなくなってから、ノースリングは再び回転を開始して重力を発生させていた。これによってシラノー5のすべての機能は回復、ハリーはベルリの参与と相談の上でセントラルリングに移していた行政機能のノースリングへの移設作業を進めさせた。ベルリの計画では、行政機関の機能回復が終わった後に、ブロックごとの代表を選出させて臨時の議会を作り、さらに議会の代表を決めさせて王の権限をもって全権力を議会に移管するとなっていた。それが済んだのちに、ベルリは王政の廃止を宣言する手はずになっていた。

ノースリングの再開は、ベルリから権力を奪う行為であり、それをベルリの承認なしにハリーの権限で行うのは問題があった。だが、ハリーもまた現在の地位にとどまるつもりはなく、アメリアに戻っていったキエル・ハイムの後を追うつもりになっていたのだ。ディアナ・ソレルの親衛隊隊長であった彼は、すべての義務を終えたのちに、キエルの気持ちに沿ってみるのもいいという気分になっていた。物語の終わりは近い。ディアナ親衛隊の物語は終わったのだ。

宇宙に生まれた彼だったが、そこにムーンレイスが築いた文明はもうない。そこは故郷ではなく、ではどこに身を置いて生きていくのかと考えたときに、それは地球の、キエル・ハイムの傍にしかないように思われたのだ。そして、ディアナの墓は地球にある。決断の時は迫っていた。

「モビルスーツ隊を解散する?」

ハリーはトワサンガに移住した彼の部下たちに、警察組織の再編にモビルスーツを活用しないことを伝えた。モビルスーツパイロットたちは驚きを隠せなかったが、月で起きたフィット・アバシーバの反乱の原因が、モビルスーツという機動兵器であったことも良くわきまえていた。モビルスーツがある限り、それは必ず悪用され、宇宙世紀の悲劇は繰り返される。モビルスーツの歴史は、終わらせねばならなかった。ハリー・オードはパイロットたちに自分の気持ちを伝えた。

「いつかこの兵器は忌み嫌われ、人類自身が罵倒の末に捨て去る日が来る。それを議会や、あるいは民衆の、操縦したこともない人間にされるのは忍びないのだ。この兵器とともに修練を積んできた我々の手で幕を引きたい。君らの処遇については決して悪いようにはしない」

「軍隊はできないのですか? まだ宇宙のどこから帰還してくる人間がいるとも限らないでしょう。金星にあれほどの文明があるんですから、木星にだって誰かがいるかもしれない」

「リックの言うこともわかるし、検討もされた。だが、宇宙に散らばっていったラビアンローズのうち、地球に帰還した2隻はいずれも失われたのだ。もしあるとすれば、ビーナス・グロゥブが分離後に殲滅しなかった場合だが、もしそれをしないのであれば、フルムーンシップとクレッセントシップは地球に預けられなかっただろうというのがベルリ王子の出した結論だった。敵がラビアンローズを持っていた場合、すでに勝ち目はなくなっている」

「しかしそれではあまりに無責任ではありませんか。未来の子供たちに対して無責任だと自分は考えますが」

「戦争の道具を放棄することをもって平和と見做すのは確かに無責任だ。だが、目に見えない場所にいる圧倒的戦力差のある敵を仮定して、果てしなく宇宙に進出してしまったことが宇宙世紀の失敗であったことも事実だ。どこかに敵となり得るものがいるのではないかと探し回った挙句、繰り返されたのは地球人同士の戦いだった。これはいつかは終わらせねばならない。オレとしては、500年後にまだ戦争の火種が残っていたことの方がショックだったがな」

こうしてムーンレイスが使用してきたスモーは、動力源を入れ替えて工作機械として再利用されることが決まった。モビルスーツの操縦に未練のある者は工作機械のオペレーターへと転身していった。

こうしてハリーは、ベルリが計画していたことを次々に果たしていった。しかし3日が過ぎ、1週間が過ぎてもベルリが姿を現すことはなかった。


2、



ザンクト・ポルトのスコード教教会はアグテックのタブーを破ってトワサンガとの遠距離通信を行っていた。それを調査隊によって暴かれたとき、彼らは特に言い訳をするわけでもなく開き直って弁護士をつけるように調査隊に要求した。

幽霊騒動などがあったものの、ザンクト・ポルト調査隊の仕事は着実に進んでいた。ノレドと護衛役のラライヤもチームに参加して馴染みの顔もできていた。そんなふたりの様子を安心した様子で眺めていたドニエルは、ベルリを乗せたままいなくなった謎のモビルスーツの行方を探るためにメガファウナで出港していった。ドニエルが月から運んできた物資によって、ザンクト・ポルトの経済活動は再開された。ノレドは艦長に改めてベルリのことを頼むとお願いして送り出した。

話を聞いたときショックで一時的に寝込んだノレドだったが、すぐに調査チームに合流して仕事を開始した。彼女は歴史政治学の面白さを感じ始めていた。

「歴史は修正されるものなんだね」

ドニエルが運んできた物資によって、ピーナッツバターを塗っただけだったサンドイッチの食事が改善されてサラダとエビを挟んだものに代わっていた。ノレドはザクザクと大きな音をさせながらサンドイッチを平らげて椅子に背もたれた。

僅かな期間で学んだこと。それは歴史は曖昧模糊とした実態に資料をあてがっていってひとつの形にするというものだった。ノレドが学んできた歴史は、誰かが書いたものに過ぎない。それは学会という場所でおおよそ正しいとされている事実とおおよそ正しいとされている解釈によって並べてあるだけなのだ。大学というのは歴史を暗記する場所ではなく、歴史を修正するために正しいルールと正しい主張方法を学ぶところであった。

護衛役でしかも年齢が一緒ということもあり、ラライヤも学生たちに混ざって学んでいた。彼女は部外者であることを心得ていたので控え目であったが、軍籍のある彼女の意見は時として教授と学生では思いもつかないものもあった。それは戦争の終わりについての話で、学生たちは戦争は終わるくことなくずっと続いていると思い込んでいたが、ラライヤは戦争には多くの終わりがあり、終わりの連続だと意見したのだった。戦争には予算があり、作戦行動が決まっている。それらが終われば戦争は終わりだというのが軍人である彼女の話だった。

「面白いことがいっぱいありますね」

ラライヤは学生と過ごすことがまんざら嫌いではないようだった。身寄りがなくフラミニアの世話になりながら生きてきた彼女は、身を立てるために軍籍を選んだ。フラミニアはラライヤを利用するために近づいただけだったとしても、軍籍に身を置いてレジスタンスの思想を学んだことで彼女は学生たちより少しだけ大人びている。

「あたしね」ノレドは自信なさそうに呟いた。「ずっと世の中にはわからないことだらけだったから、大学に来ればいろんなことがはっきりするのだと思っていた。違うんだね。ラライヤのさっきの話もそうだ。戦争は作戦が終わればそこで終了、毎年予算編成があって、毎年そこで戦争が終わるチャンスがある。ゴンドワンとアメリアの大陸間戦争も、毎年予算が組まれていて行われただけ。だとすると、アメリア軍総監だったグシオン・スルガンが宇宙の脅威を訴えたのだって、戦争を継続させて予算を要求するためにやったことなのか、共通の敵を作ってゴンドワンとの間の戦争を終わらせるためなのかわからなくなってくる。こういうことが分かるようになると思っていたのに、大学に来るとわかっていたと思っていたことが全部曖昧になって自信がなくなる」

シラノ大学のアナ・グリーン教授は、そっとふたりの話に口をはさんだ。

「だから資料が貴重なのよ。資料がたくさんあって、それを読み込んで真実を探っていくの。ドニエルさんから聞いたんですけど、ハリー警察庁長官は初代レイハントンとムーンレイスの戦いについて多くのことを書き残してくれるのだとか」

「先生は資料があった方が嬉しいんでしょ? だったら初代レイハントンについてそれが新資料になるってことよね」

「そうね、でも資料は誰かが書き残したことだけが資料じゃない。ハリー長官にお暇が出来たらインタビューを取っていろんな話を聞いておかないと。出来る限り多くのことをね。500年前の歴史の証人が目の前にいてまだお若くていらっしゃるのだから、レイハントン家との戦いだけじゃなく、もっと様々な、例えば500年前のディアナカウンターのことなども」

「それでも歴史で何かがはっきりと姿を現すことはなくて、何かはっきりと見えたと思ってもそれは間違いかもしれないと。どんどん修正されていくんでしょ?」

「それを何度も何度も繰り返して、徐々に真実に近づいていくのよ。でも真実に近づいたと思ったものがいっぺんにひっくり返っちゃったりもするけど」

ラライヤが空から落ちてきて、カーヒルとデレンセンがその身柄を争ったときから、語るべき歴史は始まったのかもしれない。しかし、語るべき歴史の真相は闇の中だ。クンパ大佐が行ったことですら、どのように調査を尽くしてどのような詳細な報告書が作成されようと、真実は暗がりの中にあってその姿を見せることはない。

必要なのは、自由。自由な人間の思考と自由に使える時間なのだ。自由がある限り、必ず真実の傍に辿り着くことはできる。たとえそれが後に真実でないと判明しても、それはまた1歩真実に近づいた証左なのだ。特に歴史政治学は、渦巻く権謀術数と複雑な人間関係を読み解いていかねばならない。時代に特有な価値基準も違えば、言葉も違っていたりする。行動と結果が真逆になることも多い。

これはとんでもない代物に手を出してしまったものだとノレドは考え込んだ。傍らに座っていたラライヤが不意に話し始めた。

「初代レイハントンが乗っていたカイザルというモビルスーツは、古式ゆかしいデザインで流麗なラインと赤い塗装で有名なんですけど、あれって冬の宮殿で観た赤いモビルスーツと関係あるんですかね? 冬の宮殿で見た限り、赤いモビルスーツというのはスペースノイドの代表として期待され戦った人物らしいのですが」

「うーん」ノレドは椅子の上で胡坐をかいて腕を組んだ。「トワサンガのことはあまり知らないけど、有名なの?」

「王家の始祖に当たるわけですから、そりゃ有名ですよ。とても優秀なニュータイプで、世界を自在に操る力があったとか。でもこれも真実じゃないんでしょうね」

「ベルリが乗ってこっちに来たのって、カイザルだったの?」

「乗ったのはカイザルらしいのですが、こっちの思念体分離装置にはハッチのところしかなかったので機体名を特定するのはちょっと」

「初代の機体が隠されていて、乗ったら突然消えて、多分こっちに来て、ハッチを閉じたらいなくなっちゃった。でもあたしはベルリの身に何かあったとは思えないんだよ。何か感じるというか、どこかにいる気がしてならない。近くなのか遠くなのかはわからないけど」

「初代レイハントンの愛機に子孫のベルリが乗ったら何かが起きた。しかもカーバらしき場所にやってきた。思念体分離装置のある場所がカーバじゃないかっていうのはノレドのアイデアだけど、そもそもあれが思念体分離装置なのかどうかっていう問題も」

「解決されていない。あー、これが歴史を学ぶってことなんだよ、きっと。決着はなくて、ずっと答えを追い求めて考え続ける」

ラライヤとノレドの会話は微妙に噛み合っていなかった。ラライヤは話を続けるべきか悩んだが、ベルリに関することなのでそのまま考えを話しておくことにした。

「ハッパさんがずっとサイコミュというのを研究していたでしょ。サイコミュはアンドロイド型のものにも、G系統のいくつかのモビルスーツにも、シルヴァーシップにも搭載されていた。ニュータイプと呼ばれる人たちはサイコミュの中に思念を入れて操縦することができた。元々は増幅装置みたいなものなのに、隕石落としのときの奇跡から何かが変わった」

「うん」ノレドはラライヤの話についていけていなかったが、話はちゃんと聞いていた。「アクシズが落ちてきたときに何かが変わったのだと思う」

「当然カイザルにもサイコミュ、それも隕石落としの時代からは想像もつかないような進化したサイコミュが搭載されているはずですよね」

「ああ、うん」

「そのサイコミュの中に、初代レイハントンの残留思念が、ほぼそのまま残されていたとしたら、そこに乗り込んだベルリはどうなったと思います?」

「!」

「戦争は必ず終わりがありますけど、残留思念にとっての戦争の終わりというのがどうもイメージできなくて。彼らはずっと永遠の命を生きることもあるわけでしょ?」

「うん・・・」

「永遠の命を持つかもしれない王国を作った戦争の英雄が隠し持っていたモビルスーツって、本当にただの機械なのかなって」

ノレドは真顔になった。

「カイザルが初代レイハントン自身かもしれないってこと?」

「だとしたらノレドはどうします?」

「本人がいるのなら話を聞くしかないでしょ! 歴史の真実に近づくには、とにかく情報、資料。伝聞なんかじゃない。本物なんだよ!」

「わたしはもしそうだとしたらちょっと怖いんです。だって、イメージと全然違うかもしれない」

ノレドとラライヤは、それをアナ教授に話してみた。アナは飛び上がらんばかりに驚いて、初代レイハントンについて自分が知っていることを熱く語り出したのだった。


3、



ムーンレイスが封印されたのちの時代、歴史の針は、再び意味を持とうとしていた。

ビーナス・グロゥブではオリジナルと呼ばれる人間の復元作業が順調に進みつつあった。オリジナルといっても最初に復元されるのは、オリジナルを生み出すための短縮成長する個体であった。それらを母体として胚を移植し、地球から出立したときの人間と同じものを作り出すのだ。記憶は受け継いだり書き加えたりはせず、教育によって覚えさせられた。最初に生まれた子たちは30年で大量の子供を産み落とし死んでいった。

そのころになるとアンドロイド技術が禁止された。アンドロイド技術は元々ラビアンローズの情報ストックの中には存在しない技術で、宇宙世紀中はずっとタブー視されていたものだった。アンドロイド技術は、宇宙のどこへ行き、どこから戻ってきたのかわからないある小集団がもたらしたものだ。彼らがラビアンローズの帰還に合流したとき、思念体の分離とそれを入れる器としてのアンドロイド技術がもたらされ、コールドスリープの技術に取って代わった経緯があった。ニュータイプという言葉を帰還者たちにもたらしたのも彼らだった。それまでは、ニュータイプとは忘れ去られた過去の言葉だったのである。

ビーナス・グロゥブは生体を維持するために多くの資源衛星が運搬され、人も増えたことからにわかに活況を呈した。生きた人間たちの生み出す騒音は思念体にとって耐えがたいノイズとなり、生体に回帰するものが増え数も減ってきたことからオリジナルから隠されることになった。ビーナス・グロゥブは任期付独裁制を採用して、同世代の物事は議会でコンセンサスを作ってから総裁が決裁する仕組みを採用した。だがそれでは政策の継続性が担保されない。そこで新時代の基本的理念が定められ、それらの継続性の担保は行政の中に隠れた思念体の集団が担当することになった。

ビーナス・グロゥブには、宇宙世紀時代の失敗を繰り返さぬよう資源の枯渇した地球にエネルギーを送り続けながら戦争をさせないようにコントロールする大目標があった。そのためには膨大な労働力を投入してエネルギーの生産を行わねばならない。これを共通思念を有さない、つまりオールドタイプに他ならないオリジナルの人間たちが継続することは困難だった。実際何度も地球への帰還運動、レコンギスタ思想による反乱が企てられた。地球は圧倒的武力によって征服すればよく、フォトン・バッテリーの生産は奴隷であるクンタラにさせようと議会で提案されたのだ。こうした動きを裏で封じ込めてきたのが、行政組織の中に隠れた思念体の集団だったのだ。彼らは時の政治運動が大きく理念を逸れた場合にそれらを完全に潰してしまう権利を有していた。彼らは執行者、エンフォーサーを名乗り、人類の理念的逸脱を未然に防いできた。

ビーナス・グロゥブで人間が再生されてから100年が経過したころ、突然地球への中継地であったトワサンガから独立宣言が舞い込んできた。ビーナス・グロゥブの議会、つまり肉体を持ち精神が断絶した人間たちは、地球への帰還をトワサンガが阻むのではないかと大騒ぎになったのだが、カール・レイハントンがすでに人体化してその子孫が王としてトワサンガを支配していることや、シラノ-5というコロニーで人間の生活が始まっていること、また滞りなく軌道エレベーターが完成されたことなどからこの話題はいつしかうやむやのうちに報道されなくなった。この問題も、ビーナス・グロゥブの官僚組織を担うエンフォーサーが事態を鎮静化させたのだった。実際は思念体であるカール・レイハントンは当たり前のように存在していたし、エンフォーサー同士でビーナス・グロゥブとトワサンガの官僚組織は繋がっていたのである。

人体としての子孫が存在していることで、ビーナス・グロゥブの使節団は、カール・レイハントンが死んだものと結論付けた。死ぬというのは彼自身が人体化して朽ち果てたとの判断だった。カール・レイハントンの子供は父のアバターとクンタラであるサラ・チョップ軍医の子供であったが、それはエンフォーサーによって情報が改竄されて真実は隠蔽された。カールやチムチャップ・タノ、ヘイロ・マカカなどは、これほど簡単に騙されるオールドタイプに恐怖したほどだった。

先遣隊として月の宙域にやってきてムーンレイスと戦争が始まって100年が経とうとしていた。すでにメメス・チョップ博士もサラ・チョップ軍医も亡くなりこの世にはいない。メメス博士はキャピタル・タワーと名付けられた軌道エレベーターと生体維持機能を持ったスペースコロニー・シラノ-5の建設に尽力して、人としてはかなりの高齢になるまで生きたが、サラは出産後まもなく死んでいた。彼女の思念はしばらく子とともにあったが、やがて子に孫が生まれるとカルマ・フィールドに還っていった。それきりカール・レイハントンが彼女を感じたことはない。

カール・レイハントンも当初使っていたアバターを放棄して、表向き禁止されたアンドロイドやアバターの子孫であるがゆえに精神を乗っ取りやすい自分の子孫の肉体を使うなどして、自分が作り出したトワサンガの行く末を眺めていた。彼ら思念体の時は止まっているが、肉体のある者らの時は動いている。メメス博士が選別した感応力の強い個体は宇宙へ上げられ、トワサンガの住人へとなっていた。スペースコロニーは人の声で溢れ、共感能力は使われず、人は会話で意思疎通を試み、多くの場合失敗していた。彼らのために資源が運ばれ、ラビアンローズは巨大な資源衛星の上部に隠された。

エンフォーサーはビーナス・グロゥブとトワサンガのラビアンローズを支配していた。肉体を持った人間であるオールドタイプと、思念体として純化したニュータイプのどちらが優れ、地球を支配すべきか決するときが来ても、オールドタイプに敗北することは考えられなかった。そうであるがゆえにレイハントン家はヘルメス財団に積極的に協力した。財団の計画はトワサンガの協力も得て着々と進み、地球人類のフォトン・バッテリーの供給による再文明化は滞りなく進展した。人類はかつてあった栄光の時代を取り戻しつつあり、フォトン・バッテリーの技術を核とした産業革命の時代を超えて、再び宇宙世紀の黎明期へと近づきつつあった。

フォトン・バッテリーの配給制度は人口爆発を抑制していた。ユニバーサルスタンダードの徹底は平等な競争と技術の独占を阻止していた。スコード教は宗教対立の芽を摘んでいた。離れた地域に暮らしながらも、人間は過度に対立的であることを禁忌にしていた。ヘルメス財団の計画は完全に成功して、人間同士が再び宇宙世紀を繰り返すことなど起こりようもないと安心しきっていたとき、メメス博士が怖れ危惧していたことがビーナス・グロゥブで起こり始めた。それがムタチオンであった。

肉体を捨てて永遠の命になることを覚えながら、再び肉体の世界に戻ったビーナス・グロゥブの住人たちは、強い義務意識の裏側に、強い特権意識を持っていた。彼らは自ら定めたアグテックのタブーを破り、長寿を欲した。それは禁忌となっているはずのアンドロイド技術を応用してボディスーツを生み出し、肉体を保持したまま永遠に近い命を得ようと模索し始めたのだ。その結果、酷使され老いた遺伝子はムタチオンに蝕まれていった。

エンフォーサーたちはその動きを注意深く見守っていた。人類の肉体が正常に稼働するのは50年ほどであり、自らその短命を受け入れ肉体に戻っていった者たちが、死を怖れ、特権意識を振りかざして長寿を目指すことは滑稽極まりなかった。肉体は滅び、精神は消滅する。ならば、死を恐れず50年で死ねばいいだけのことだし、死にたくないのならば己が思念の強さに賭けて肉体からの解脱を図ればよいだけのことなのだ。どちらも選ばず、ただ死の恐怖に怯えて資源を無駄に使って延命を図る。その無駄が誰かの負担になるとは考えもしない。個という卵の中の世界で生まれる前から死を怖れ、自死に繋がるタブーを犯し始めたのだ。

ムタチオンの恐怖は、ビーナス・グロゥブに脈々と流れるレコンギスタ派を久しぶりに復活させた。中心人物のひとりはビーナス・グロゥブの公安局官僚だったピアニ・カルータ。彼はビーナス・グロゥブのラ・グー総裁に外宇宙からの恐怖を吹き込んでモビルスーツの開発を再開させ、トワサンガに亡命するとレイハントン家に仕え、その裏でレイハントン家と対立させるためにドレット家に肩入れしてトワサンガに競争をもたらした。彼はそれが人間の遺伝子を強化すると信じていたのだ。

激しい対立の中で、レイハントン家の血筋は失われた。地球に亡命させられたふたりの遺児が何代目の子孫になるのか、カールにはまるで興味がなかった。それはレイハントンでありながら、自分ではない何かであった。子孫といえど接点はなく、たまたま使っていたアバターの形質を受け継いでいるだけに過ぎない。

ピアニ・カルータが起こした対立を生み出す一連の行動は、うやむやのうちにその死をもって終わった。

カール・レイハントンは、たったひとりの人物が工作しただけで、人間同士が再び争い始めるのを目にした。ヘルメス財団が目指したものは簡単に崩壊した。かくも簡単に争いごとを始める人間。肉体の限界を受け入れない人間。他者の犠牲の上に福祉を成り立たせようとする人間。人間は肉体という限界にぶち当たるたびに不正を働き、タブーを犯し続けた。

人間は、進化などしなかった。

肉体という囹圄の維持が自己目的化するのだった。

肉体を捨て去って久しいカール・レイハントン、チムチャップ・タノ、ヘイロ・マカカにとって肉体は、単なる道具でしかない。目的に応じて使用する汎用型生体アンドロイド、いわばモビルスーツなのだ。機械式や生体式は目的に応じて選ぶ。それが人間型機械としての巨大MSであることもあれば、戦艦であることも、恒星間宇宙船であったりもする。人間の形をしている必要はないのだ。道具には目的に応じた形がある。

肉体を持った人間は、意識をその囹圄の中に閉じ込め、生存本能に支配される。真の生存は肉体を離れてから生じるのだと知らない。宇宙世紀初期に顕在化したニュータイプ現象も、人間の生体機能の拡張と認識され、研究もそれに沿ってなされた。それはすぐにソフトウェアの開発に取って代わられ、廃れていった。

ニュータイプ研究が復活したのは、恒星間移動を頻繁に行うようになってからだ。コールドスリープに代わる技術の開発が、偶然人間の思念を肉体から分離させた。新しい人類は遠く銀河中心部において生まれたのだ。

カール・レイハントン、チムチャップ・タノ、ヘイロ・マカカの3人は500年の時間経過に何ら意味を見出せないとの結論に至り、ビーナス・グロゥブのエンフォーサーと500年ぶりにコンタクトを取った。ところがそこにいたのは、すでに肉体化して久しい思念体の子孫たち、言語化しなければ意思疎通ができないオールドタイプとなった仲間たちの末裔たちであった。

彼らは他の肉体化した人間と何ら変わらぬ存在でありながら、思念体であったとの記憶が何らかの形で受け継がれ、自分たちを優生と見做して特権階級を形成していたのである。

競争によって優生と劣生を明らかにしながら人類の進化と進歩を目論むピアニ・カルータの戦いは終わった。次に起こったのは、ニュータイプを優生と見做して優生と劣生の戦いを引き起こそうというジムカーオという人物の戦争行為だった。これは大きな誤謬があり、前提が間違っている酷い代物であったが、すでに思念体としての思考を理解することもできなくなった肉体を持った子孫たちには通じなかった。

カール・レイハントンら3人は、ジムカーオなる人物の目論見を阻止するために現実の世界に関与することに決めた。ジムカーオという人物はかなり強力な思念を持ち、目的を遂行しようとしていた。チムチャップとヘイロは思念体のままサイコミュ搭載型の機体に関与してジムカーオを探る傍ら戦争にも参加した。アバターと人間の交配種の子孫で、感応力の高いラライヤ・アクパールにはチムチャップがリンクして補助的な役割を果たすことになった。

そして、カール・レイハントンは、ビーナス・グロゥブのラビアンローズに500年ぶりに戻り、使われることなく封印されていたアバターの製造を行った。彼の肉体や古式ゆかしい正装が復元され、彼は再び重力に脚を引かれる感覚を思い出した。

資源衛星を抱き込んで一体化していたビーナス・グロゥブに、大きな爆発が起ころうとしていた。警報がけたたましく鳴り響き、ラビアンローズの全機能が蘇ろうとしていた。彼は肉体を持った愚かなかつての仲間たちのなれの果てに苦笑しながら、静かに艦長席に腰を落ち着けたのだった。


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