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「ガンダム レコンギスタの囹圄」第41話「共産革命主義」後半 [Gのレコンギスタ ファンジン]

「ガンダム レコンギスタの囹圄」


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第41話「共産革命主義」後半



1、


ハノイからホーチミンに、大量の難民が押し掛けてきた。ベルリたちにその話がもたらされたのは、翌朝になってからであった。宿は人でごった返し、ベルリたちの部屋にはスコード教徒有志による護衛がつけられた。物々しい様子にリリンが怯えて、ノレドのそばを離れなくなった。

一行の宿泊先に、ホーチミンの市政関係者とスコード教関係者が押し掛けてきた。彼らとともに大勢の野次馬も押しかけ、宿の主人はこれを好機と箱に入った朝食を安価で売り付けて金儲けをしていた。どうやらベルリ一行はただの旅人ではないようだと知った主人は、彼らのところには若干多く盛った朝食を届けてきた。会見が持たれたのは、ベルリたちの食事が終わってからであった。

「ハノイに総督と呼ばれる人物が大陸から派遣されてきたそうなんですが、彼が初日に発表した新しい配給に関する話と、ノルマに関する話を聞いたハノイ市民の一部が、夜逃げしてきたようなのです」

「配給が少なすぎたのですか?」ベルリが尋ねた。

「配給を大陸通貨で行うと発表があったようなのです。銀行はキャピタル通貨と大陸通貨を交換する人で溢れたのですが、キャピタル通貨がすぐに底を尽いてしまい・・・」

「エッ、待って! 逆じゃないの?」ノレドが驚いて叫んだ。「大陸通貨に切り替わるのに、みんなキャピタル通貨に交換しようとしたの? キャピタル通貨は、フォトン・バッテリーの配給が止まって不安定になったんじゃないの?」

「相対的な信用度の問題です」スコード教の司祭が応えた。「大陸が砂漠化で食料が不足気味なのは有名な話なので、そんな国が発行する通貨を毎月ただで配られて、生産した食料はすべて供出させられて、本当に食べていくことができるのか不安になったようですね。まだしも米を配った方が良かった」

「それに」ホーチミンの役所の人間が横から口を挟んだ。「共産党から逃れようとすれば、当然キャピタル通貨が使用されている地域に逃げるでしょう? ハノイで革命が達成されて、それから逃れるのに革命の総本山である大陸に逃げる人間はいない」

「自分たちでサムフォー司祭を殺したんでしょう!」

「そうなんです。だから彼らは、サムフォー司祭の寡婦のところに救いを求めに行けない。革命は取り返しがつかないですから、彼らが元の生活に戻るには別の何かにすがらなくてはならない」

「それがぼくってわけですか」ベルリは仏頂面で呆れていた。「ハノイの皆さんは、サムフォー司祭は王さまのように傲慢だったと憤っていたはずです。それなのにまた王さまを求めるんですか? 自分たちが王さまになるために革命を起こしたはずじゃありませんかッ」

「そんな覚悟、誰にもなかったんですよ。もっといい王さまが来るはずだって、勝手に思い込んでいたんです。そしてやってきた共産党の王さまは、自分たちから米を取り上げて、見慣れない通貨を配ると言い出した。通貨は地域を表します。キャピタルの通貨は、広く世界を覆っていますが、大陸の通貨は砂漠の大陸だけです。香港と台湾がそれに飲み込まれようとしていますが、日本は彼らと対立している。まだしもキャピタル通貨の方が安心感がある。大陸の共産党は、これから世界侵略を開始するでしょう。それは通貨戦争でもあるんですから」

話を聞くと、ハノイからの難民は、国境地帯に設けられた強制収容所に入れられ、わずかに懐に締まってきたキャピタル通貨で食料を買って飢えを凌いでいるのだという。ホーチミン市は彼らに施しをする予定はないようだった。ベルリはこの対応にも怒りを露わにした。

「それって人道的にどうなんですか?」

「人道とおっしゃるが」役人が応えた。「スコード教の司祭に守られて発展した土地をわざわざ共産主義者に献上してすっからかんになった彼らが、働きもせずにホーチミン市民から搾取することが人道的なのですか? ホーチミン市民は、無職たちの奴隷ではありません」

「土地はあるんでしょう! 彼らは貴重な労働力じゃないですか。土地を与えて、開墾をさせれば」

「土地はあります。でも水が足りません。北部の水源地を共産党に取られてしまっているので。こっちだって死活問題なんですよ。有り余るほど米があれば、そりゃ何とかしてあげたいですよ。でも、キャピタル銀行の支店の職員だってもうハノイから逃げてきているんです。もうあの土地の評価をするのは我々の陣営の人間ではない。共産党員なのです。共産主義革命を起こせば、共産主義世界の評価に身を委ねるしかないんです。自由民主陣営の価値観や評価基準は通用しなくなる。文字通り世界が変わるんです。革命を起こす人間は、新しい世界のことを何も知らずに新しい世界へ飛び込む。そして絶望するんです。未知の希望が既知の絶望になったとき、革命の愚かさを知ることになる。人間がやることなんて変わりゃしないのに、何かが変わると思い込んでしまうんです」

スコード教の司祭が話を継いだ。「人の絶望の根源は、果てしない労働です。命ある限りずっと働かなきゃいけない。生きるためには労働がついて回る。だから人間はいつも絶望の淵にいる」

「それをスコード教の司祭が口にするんですかッ!」

ベルリが激高して席を立ったのを危うんだハッパは、彼に抱き着いて無理矢理席に座らせた。ベルリの怒りが理解できなかった司祭は、彼をスコード教の仮の法王にする話を切り出せないままいったん席を外すことになった。

部屋に取り残されたベルリたちは、頭を抱え込んだベルリを静かに見守るしかなかった。

「ぼくは考え違いをしていたのか?」ベルリは独り言のように呟いた。「スペースノイドの規範をアースノイドに植え付ければ、アースノイドも必ず変われるって思っていた。だから、地球の若者をトワサンガやビーナス・グロゥブに送って一定期間訓練すれば、スペースノイドとアースノイドの間の溝は解消されていくと思っていた。でも、労働が絶望の源なんて。宇宙でそんなことを言えば、すぐに空気も水も供給されなくなって死んでしまうのに」

「まぁ、そうなんだけどさ。まだそれは実現していないわけだから。変化のきっかけをつかんでいない人に絶望したって始まらない。それより、ぼくに考えがあるんだ。ベルリは自由民主主義や共産主義に肩入れするのは嫌かもしれないけど、水源の話があっただろう? あそこだけでも取り返して、ホーチミンの人間を安心させてあげないか」

「水?」

「土地はあるけど、水が足らなくなるかもしれないって言ってたじゃないか。水源を抑えれば、事態が好転するきっかけになるかもよ。それを君らでやってくれないか。ぼくは、もう一度ハノイに潜入して、共産主義の実態を調べてみようと思うんだ」

「わたしは反対」ノレドが言った。横でリリンも睨んでいた。「ハッパさんは危ないことをすべきじゃないよ。ただでさえディーゼルエンジンが狙われる立場にあるのに」

「大丈夫さ、こう見えても逃げ足は速いんだ。無理はしないよ。通信機の性能を上げて、ガンダムに助けを呼べるようにしたら問題ないだろう?」

「だったらあたしも行くよ。王さまを殺してしまうことの意味を知りたいから」

ノレドの提案は、ベルリ、ハッパ、リリンいずれも反対だったが、反対されるとノレドは意固地になってハノイに潜入することにこだわった。

「こう見えてもわたしはトワサンガ大学の学生だからね。スコード教の司祭がいなくなった世界を見ておきたい。フィールドワークの自由を妨げることは、ベルリにだってできないはずだよ。それに、世界を見ておかなくちゃ答えは出ない。答えが出なくちゃ、カール・レイハントンには勝てっこないんだから」


2、


反対するベルリを押し切ったノレドは、ハッパとともに再びハノイに潜入することになった。ベルリとリリンは不本意ながらもホーチミンの民兵と北部の水源地域を奪還する作戦に参加することになった。次期法王に推挙されているベルリの作戦参加に、民兵たちは沸き返った。

「宇宙世紀時代には人類はかなり長距離の交信も可能になっていたというけどね。どんな技術を使っていたのかわからないんだ。でもこのガンダムなら、きっとノレドの声を拾ってくれるさ」

ハッパは心配するベルリにそう言い聞かせて、ノレドを連れて山岳地帯からハノイを目指してモビルワーカーを走らせた。ノレドは後ろの荷車に乗車していたが、やがて飽きてハッパにモビルワーカーの操縦やディーゼルエンジンの話などをしてくれとせがんだ。

「内燃機関は一時期地球で盛んに使われた技術だったんだけど、排ガスの影響とエネルギーの枯渇によって電気に取って代わられたんだ。人類が100億人もいる時代に、多くの人が火で走る車に乗っていたというんだけどね。そのあとは電気が主流になったそうだけど」

「その電気自動車のバッテリーは何だったの?」

「全固体電池やその前は電解液って言われている。この技術が失われていて、フォトン・バッテリーに依存することになっているんだ。それに容量がフォトン・バッテリーよりはるかに少なかったらしい」

「アメリアってそんなに発掘品の解析が進んでいたんだ」

「キャピタルへの対抗意識だよ。それに、ヘルメスの薔薇の設計図からの情報もあったからね」

「エネルギーがなくっちゃ人は森を破壊していくし、多くありすぎたら戦争しちゃうし、どうしてこう上手くいかないんだろう。もっと計画的にやれないものなのかな?」

「共産主義というのは、計画経済だと言われているけど・・・。トワサンガに限らず、宇宙は共産主義体制に近くなるというか、労働なしに生存環境が維持できないから、否応なしに人は労働のための知識を身に着けて、当たり前のように労働に従事する。労働が絶望なんて言っていたら、宇宙では生きていけない。でも地球はそうじゃないからね。地球でトワサンガのような労働本位制って成り立つのかな?」

ハッパとノレドは、荷車を譲ってくれた農家に身を寄せることになった。粗末な農家には老人が夫婦で済んでおり、子供はハノイに働きに出たきり戻らないという。

「もう見ての通りの年寄夫婦だで、動くシャンクで手伝ってくれるならこんなありがたいことはない」

老夫婦はふたりを若夫婦だと勘違いしたようで、宿泊用に小さな小屋をあてがってくれて、その晩は飼っていた鶏を潰してもてなしてくれた。老夫妻は共産主義や自由主義のことはまるで分らず、前任者のサムフォー司祭のことも領主だと勘違いしていた。聞くと、集落の人間はいつも身綺麗にしていたサムフォー司祭が何をやっている人なのか知らないまま彼に従っていたのだという。

「新しい領主さまは、スコードがなんとかいう話はせんようになったな。ここらには地の神さまがおるでな。ああいった話はよくわからんかった。でも、新しい領主さまは、植えるもんを変えろとか、収量を上げろとかうるさくてな。もうわしらは老人だから、自分が食える分だけ採れればよかったのに、どうすりゃいいのか困っていたんじゃ。あんたが手伝ってくれると助かる」

ノレドが尋ねた。

「地の神さまがいると聞いたサムフォー司祭は何と答えたのですか?」

「地の神さまもスコードだからいうとったわ。あの人は細かいことはうるさく言わん人やったからわしら年寄は信頼しとったけどな。若いもんはスコードも地の神さまも信じないでな。信心なんか遅れた人間がやるもんじゃ言うて。毎晩集会に出かけてな、何事か話し合って、挙句あんなことになってしもうた。シャンクがこのまま動かせなんだら、どうやって収穫すればよいやら」

ハッパが質問した。

「サムフォー司祭はフォトン・バッテリーを使ってシャンクを貸し出してくれたわけでしょう。新しい領主さまというのは何かくれたんですか?」

老夫婦は顔を見合わせて、奥から紙の束を持ってきてくれた。

「これがカネじゃ言うてな。前の領主の持ち物をみんなに配るからといってくれたのがこれ。わしらは動くシャンクを貸してくれりゃよかったんじゃが」

「これで物は買えるんですか?」

「買えるとは言うけれど、持っていっても嫌な顔をされるな。だけどわしらが使っていた前のカネはもうないんじゃって。だからこれで何とかせにゃならんのだが、これでは米も買えんし、せめて配給してくれんもんかと」

腕組みをして考え事をしていたハッパは、ある提案をした。

「使い道がないなら、明日からぼくらが働く報酬としてそれをいただけませんか?」

「やるよ」

「そうはいかないので、とりあえず働かせてください。その報酬でそれをいただいて、ぼくらは市街地へ行ってそれで何が交換できるか調べてみます」

翌日朝から老夫妻の畑仕事を手伝ったハッパとノレドは、分配された大陸の紙幣を貰い、モビルワーカーを老夫妻に預けると、歩いてハノイ市内へと向かった。

まずは宿を探すことになったが、支払いを大陸の紙幣で済ませたいと申し出ると、露骨に嫌な顔をされた。ところが宿の看板には新紙幣での料金が書かれていたので、ハッパにそれを指摘された支配人はしぶしぶふたりを泊めることを了承した。

「どういうことなの?」ノレドが尋ねた。

「インフレさ。おそらくはこうだ。サムフォー司祭の私有財産は、共産主義者に没収された。しかし、物のままでは配分できない。そこで新紙幣で住民に支払った。まぁ、配分しただけマシとはいえるが、たとえサムフォー司祭が金銀財宝を隠し持っていたとしても、全員に平等に分配すればそれはわずかなものだ。革命に参加した人らはそれでは納得しないから、紙幣を多く支払った。それでみんな紙幣は持っているけれども、新紙幣の信用がないから、物と交換はできないんだ」

「それじゃおカネの意味がないじゃん」

「そこで、共産主義者がモノやサービスの値段を決めて、それで交換するように命令を出したのさ。それに従わなければおそらく罰則があるのだろう。一方でキャピタル通貨は信用があるから、銀行に交換の人が殺到してあっという間にキャピタル通貨は底を尽いた。いま、キャピタル通貨はここでは大変な価値があるはずだ。ノレドはいくら持ってる?」

「あまりないけど、1週間分くらいは」

「それがどんな価値になっているか調べれば、大陸通貨のインフレ率がわかる」


3、


法定交換レートと実際のレートの差は、100倍以上で、その差はますます開いていた。

「どういうこと?」ノレドは首を傾げた。

「ノレドは1週間分くらいならお金を持っていると言っただろう? それが少なくとも100週間分になったってことさ。」

「おカネが増えてもいないのに?」

「こういうことがあるから通貨をユニバーサルスタンダードにしたんだけど、北の大陸は物資が枯渇しているんだろうよ。ハノイから物資を徴収して、自分たちが決めたレートで自分たちが発行する通貨をばら撒いているんだ。それでおカネとモノのバランスが崩れてお金の価値がどんどん落ちているんだ」

「解決方法はあるの?」

「物資を大量に供給していくしかない。ひたすら。もう誰もモノに見向きもしなくなるまで。とりあえず秋に収穫されるコメが出回れば落ち着くかもしれないが、それを大陸に持っていってしまうと大変なことになるね。新紙幣は紙切れになる。そして住民は紙切れのために収穫物を全部差し出さなきゃいけない。ところがそのコメはシャンクが動かないのと労働者不足で減収になるのは間違いない。このままでは餓死者さえ出そうだ」

「なんでユニバーサルスタンダードをやめちゃうんだろう?」

「キャピタル通貨は中央銀行がかなり厳格に価値を決めて通貨供給量を絞っていたからね。通貨は安定しているものだって固定観念が強くなりすぎていた。でもなかなか思うようには稼げない。だったら自分たちで通貨を発行すれば、みんなにもっと多くの通貨が行き渡って、みんなが豊かになると安易に思い込んだのだろう」

「上手くいかないものなんだね」

「日本なども、企業の財務が痛んでいるのに、通貨発行の権利がないからバランスシート改善のために多くの努力をしなきゃならなかった。ディーゼルエンジン技術に賭けたのも、新技術で通貨供給量を増やしてもらいたかったこともあるんじゃないかな。企業の財務が痛んでいるときは、通貨供給量を増やすべきなんだけど、キャピタルがあんなことになっていたし、中央銀行が機能しなかったんだ。クリム・ニックは余計なことをしてくれたよ。彼には彼の考えがあったにしてもだよ」

ノレドの郷里キャピタル・テリトリィは、クリム・ニックのゴンドワンとルイン・リーのクンタラ解放戦線の攻撃で一時的に大量の投資が行われ、ふたつの政権が相次いで倒れたことで投資されたほとんどの債権が焦げ付いてしまっていた。キャピタル・テリトリィ中央銀行は自国内の経済立て直しに躍起で、地球の裏側にある東アジアまで目が回らなくなっていたのだ。

キャピタル・テリトリィは通貨の安定を第一に考え、金融の引き締めと不良債権処理を同時に行った。通貨供給量の減少とフォトン・バッテリーの配給停止により不満が高まり、共産革命主義に火をつけてしまったといえた。資本へのアクセスが細り、エネルギーが枯渇して、食料の買い溜めが起こった。追い打ちをかけるように、穀物をエネルギーにするとの噂がバイオエタノールエンジンで起こって、民衆は不安のうちに理想的な社会体制は何かと考え始めたのだった。

北の大陸は、地球連邦成立以前に共産革命が起こったことがあり、アメリアより多くの共産主義に関する資料が残っていた。それらは発掘品であったが、学者によって欠損部分が都合よく解釈されて、誰もが平等で公平な理想社会だと宣伝された。宇宙世紀の地球連邦政府は、相次ぐ戦争によって地球を人間が生存できなくなるほど崩壊させた社会体制だと考えられていたので、地球連邦政府を悪だと教え込まれた人々は、それに敗れた共産主義体制を理想郷だと簡単に信じることになった。

「アメリアはそうじゃないんだね」

「ちがうね」ハッパは首を横に振った。「アメリアではもっと共産主義は否定的に捉えられている。もともと移民国家で、物質的な豊かさしか共通の利益にならなかったゆえに、物質的な豊かさを追求するには共産主義は不適格だとされている。こうしたことは黒歴史以前のことだから、本当のところはよくわかってはいないんだけどね」

ふたりは大通りの両側に商店が立ち並んだ地域を散策してみた。以前来たときより明らかに物資が不足していた。新紙幣で物を買おうとするとそれは品切れだと断られるが、キャピタル通貨をちらつかせると奥から物が出てくる。物資不足は、絶対数の不足もあっただろうが、主に売り惜しみによる行為が原因に思われた。店主たちは、明日には価値が半分になるかもしれない通貨より、価値が倍になる通貨を欲したのだ。それが小売りだけでなく、流通や卸しなどでも起こり、さらに役人の横領などが相まって物資は市場に出て来なくなっていたのだ。

一方で闇市は盛んであった。闇市ではモノの価格は自由に設定され、相手が欲しがればどんなモノでもカネになる。新通貨も、紙幣ではなく棒状の金属貨幣には値が付き、額面が逆転するような現象すら起こっていた。民衆は日々の生き残りに必死であり、相手を誤魔化すことばかり考えるようになっていた。ハノイは、正直な人間が損をして、ウソつきが得をする社会になっていた。

「これが理想社会なの?」ノレドはおかんむりであった。「世の中には悪い人しかいなくなってるじゃん。スコード教の司祭を殺してまで手に入れた社会がこんなのでいいの?」

ハッパは眼鏡を直しながら、大通りの両側に立ち並ぶ商店をつぶさに観察していた。

「食糧の加工品が明らかに減っている。加工すると、日持ちがしなくなってその日に売り切らなくちゃいけないから、足元を見られて安く買い叩かれるんだ。保存のきくコメはほとんど通貨のようになっている。店頭に並んでいるのは、保存に適したコメと乾物だらけ。あとは原材料費が掛かっていない手作りの物品だけだ」

ふたりは道に茣蓙を敷いた老婆が売っていた、粗末な素焼きの壺に入ったヨーグルトを買った。量はたくさんあり、美味で、価格も驚くほど安かった。

「このヨーグルトは、老人の家で焼いた壺と、家畜の乳を加工して作られているんだろう。家畜の乳は毎日絞って売り抜けなければいけないから、価格が安くなって、安いがゆえに誰も見向きもしなくなっている。おそらく、共産政権が制定した価格表ならもっと高く売ることもできるのだろうが、それを求めてしまうと生産品として届けなければいけなくなる。共産主義では、生産品は同時に分配品だから、その分の税を徴収される。生産した分をすべて徴収されるから、売れ残りがあると途端赤字になる。だから生産品として届を出さずに闇市場で売っているんだ」

「みんなで作ってみんなに分配するってそんなに難しいことなのかな?」

「作って分配するって言ってもさ、共産主義者は絞った牛乳を毎日回収しないだろ? 全部労働者がやるんだ。労働者は必要な場所に配置されて、毎日決められた労働をこなす。でも、牛乳を現物で徴収して分配なんかできないから、結局通貨でやるんだ。信用のない通貨でね」

ときたまやってくる客は、老婆に紙幣で対価を支払った。老婆は何度も頭を下げて感謝した。そこにひとりの人相の悪い男がやってきた。彼は金属の通貨を懐から取り出して、老婆に紙幣との交換を迫った。老婆は脅かされるわけでもなく交換に応じた。なぜなら、新通貨の紙幣ではモノが買えないからであった。老婆がその日暮らしを強いられていることは明らかであった。

その姿を見てノレドは憤慨した。

「あれ見てよ! 全然額面が釣り合っていない!」

「あの男はおそらく何かの商売をしていて、たくさん税を払わなければいけないか、そんな人物に紙幣を安く売りつける業者なんだろう。たくさん税を払う人間にとって、紙幣の価値下落はありがたいことさ。指定された分を安く払えるからね」

「でもあんなの公平じゃないよ。何のための額面なの?」

「まぁ、そうとも言い切れない。あの老婆だって、やせ細っているわけじゃないだろう? 収穫を少なく申告して、家に食べ物をたくさん隠しているんだ。だから、彼女は必要な物資をここで調達できるだけの金属通貨が手に入ればいい。そういう理屈でこの闇市は成り立っているんだよ」

「共産主義ってウソばっかりじゃん!」

「ハノイは体制移行間もないから、物資が不足しているのと、体制の不備もある。物資が豊富になって通貨が安定した共産主義の世界を見てみたいけど、そんな場所がこの世界にあるのかなぁ」


4、


スコード教のサムフォー司祭は、キャピタル・テリトリィへの留学経験もあるエリート司祭で、経済にも明るかった。彼はハノイに中央銀行の支店を作り、通貨供給の仕組みを整えたばかりでなく、地域の生産性の向上に取り組んで、物々交換に頼っていた地域の経済を近代的なものに変えた。

しかし民衆の一部は、その事実を理解せずに、彼を不労所得を得る資産家、支配階層であると位置づけた。彼は労働者からの搾取によって不当に資産形成した人物と陰口を叩かれ、まるで王のようだと揶揄された。サムフォー司祭は、それらの悪口にいちいち構うことはなく、エネルギー枯渇問題に備えて新たな発電と送電について思いを巡らせていた。発電機は高く、エネルギーも買おうとすれば民衆の経済を破壊しかねない。送電のための銅もない。地球の資源は枯渇していたのである。

そこで彼は、エネルギー輸出地域になるべく、いち早くサトウキビの生産を打ち出した。資源原料の輸出実績を作り、それを担保に借金をして、バイオエタノールプラントを建設して、さらには新型ディーゼル発電機を導入しようと考えたのだ。

その試みは、彼があずかり知らぬところで研ぎ澄まされていた革命の刃によって頓挫した。革命者はキャピタル・テリトリィを中心とした世界標準を否定して新たな標準を作ろうとしたために、旧体制のものは何でも破壊されてしまった。中央銀行支店は間もなく閉鎖された。

民衆は、扇動者によってサムフォー司祭の資産を多く見積もって垂涎していた。支配層の資産家を縛り首にすれば、民衆こそが王となり、不正蓄財されたものは全部還元されると吹き込まれていたのだ。

ところが、扇動者の言葉とは裏腹にサムフォー司祭は清貧な人物であった。彼の一見豪華に見える住まいと教会は、交渉事を円滑に進めるために必要なものだった。彼の資産と目されたものは張りぼてもいいところで、資産家から投資を勝ち取るための虚飾に過ぎなかった。そして彼には、多額の借金があった。生産性向上のために司祭は農作業用のシャンクを買いつけていた。ハッパのモビルワーカーと同じように、それはアグテックのタブーぎりぎりの代物だったために、大変高価なものだったのだ。それを個人の借り入れで買い揃え、農家に貸し出して生産性を上げていたのだ。

ハッパとノレドは、潜入したハノイでの調査によって、サムフォー司祭には資産と呼べるものはなく、借財だけがあったと結論付けた。その借財は革命によって不渡りとなったために、投資家はこの地域を見限った。収穫を上げることで高値をつけた地価は評価額がゼロとなった。それどころか、何もかもが共産党の所有物となり、地域監視官が細かく決められて、彼らは住民に賄賂を要求し始めた。

分配されるのは、紙切れに等しい紙幣ばかりで、税とは別の名の負担ばかりが増えた。当然民衆の不満は高まったけれども、理想主義者を自称する者たちは、生活が苦しいのは理想が実現していないからで、理想が実現すれば何もかも良くなると民衆を諭した。それでも逆らうものは、理想を疑う思想犯として大陸の強制収容所に送られて、思想教育を受けさせられた。

「なぜなら、理想は絶対で、それに代わるものはないからです」

地域監視官に任命された北の大陸の男は胸を張った。ハッパとノレドは、彼らを刺激しないように慎重に調査を進めていたが、民衆の不満が日々高まっていく中で、突如当局の思想取り締まりが厳しくなった。すると、旅行者を装って長期滞在しているふたりは当然怪しまれ、尾行されるようになった。

「まだまだ知りたいことはあるが、そろそろ逃げなきゃいけないね」ハッパは明かりを消した部屋で声を潜めた。「ガンダムはそろそろ水源地帯を制圧しているころだ。農家に戻って、モビルワーカーで約束の場所へ行ってみよう」

「どこへ行かれるのかな?」

ハッパたちが宿を抜け出したところ、見張りらしき憲兵に呼び止められた。旅行者として内偵していた彼らは知らないうちに密告されていたのである。

ハッパとノレドは引き離されて連行された。ベルリからノレドを預かったとの意識があるハッパは、ノレドだけでも逃がそうと憲兵の腕を噛んで激しく暴れた。そのために彼は銃床で首筋を強く殴られて気絶してしまった。ぐったりとしたハッパは担がれて連れ去られていった。

「ハッパさんッ!」

ノレドも掴まれた腕を振りほどこうと必死に抵抗したが、両脇から腕を絡ませられて持ち上げられるように連れ去られてしまった。ノレドは馬車に押し込められた。馬車には他にも多くの政治犯が腕に枷を嵌められ、首に縄をかけられたまま詰め込まれていた。

ノレドも同じように枷と縄を結わえ付けられ、憲兵に連行されていったのだった。



ハッパとノレドを見送った後、ベルリはホーチミンの民兵と作戦会議を行い、水源地奪還作戦に参加することになった。とはいえ、ベルリはこの作戦には乗り気ではなかった。なぜなら、水源地を巡って戦争になれば、その奪い合いを理由とした戦争が継続的に勃発することになりかねなかったからだ。

しかしこのまま手をこまねいて、共産主義者に先手を取られたままでもいられない。何らかの打開策を提示しないで、ただ反対するだけでは誰もついてきてはくれない。

「我々にとって最も理想的なのは、ベルリさんがスコード教会の法王になって、水源地のみならず自由主義陣営の全軍を率いて共産主義者と戦ってくれることなのです」ホーチミンの枢機卿は話した。「もし、法王という身分がおいやでしたら、トワサンガの王子ということでもいい。我々に必要なのは、スコード教を中心とした価値観を体現してくれる象徴なのですから。戦争が嫌というのなら、戦わなくても、あのガンダムという機体で後方支援をしてくれるだけでもいい。共産主義革命など起こさなくても、スコード教は健在で、いずれフォトン・バッテリーも供給されるようになるのだと希望が見えれば、こんなつまらない争いなどそもそも起こらないのです。民衆が民衆の名において王を殺し、正統性なき権力簒奪を行わなければ、世界の秩序はそのまま保たれるのです」

枢機卿は自信をもってそう断言したが、ベルリは内心で首を横に振っていた。そんなものは役に立たない。いまのベルリにはわかっていた。ビーナス・グロゥブのラ・ハイデンを説得するには、ヘルメスの薔薇の設計図を完全に回収しなければならない。トワサンガのカール・レイハントンを説得するには、人間は愚かな反自然的存在ではなく、ガイアの癌細胞などではないことを示して、地球の封鎖を解いてもらわなくてはならない。人間の主義主張の問題ではないのだ。

しかし、それを東アジアしか世界を知らない目の前の浅黒い肌を持つ男に話しても、理解が及ばないのだ。

民兵は続々と集まってきた。なかには、ハノイから逃げてきた亡命者も多数いた。彼らの間では、ガンダムというモビルスーツに乗るベルリがトワサンガの王子であることはすでに知れ渡っており、否応なしにベルリは軍の象徴的立場にされてしまった。何もかもベルリの思い通りにはいかないのであった。

懊悩を抱えたままガンダムに乗り込んだベルリは、コクピットの奥にリリンが隠れているのを見つけた。

「あのね」ベルリは思わず語気を強めた。「サムフォー司祭の奥さんに匿ってもらう約束だったでしょ? これから戦争に行くんだよ。子供がそんなところにいちゃいけないんだ」

「ダメだよ」リリンは口ごたえをした。「だって、あそこにいると、捕虜になるんだもん」

きつく叱ろうと息を吸い込んだベルリは、ふと思い直し、なぜ自分はサムフォー司祭の寡婦が自分の味方なのだと勝手に思い込んでいたのかと肩の力を抜いた。

「ここにいる方が安全だよ」リリンはすました顔で言った。「それに、未来の宇宙から、ラライヤがもうすぐ来るんだよ。ラライヤじゃない人を連れて」

「ラライヤがここに来る?」

ベルリは、ノレドからラライヤがカール・レイハントンについて調べるためにトワサンガに残ったと聞いていた。最後に気配を感じたのは、カール・レイハントンと交戦したときだった。その前に戦ったときには、ガンダムが勝手に発進して、ラライヤが搭乗するYG-111を破壊しようとした。それを阻止したのは、ベルリだった。ベルリは、ガンダムに搭乗したままで、ラライヤがコクピットにいるYG-111を操縦したのだった。

「リリンちゃんにはそれがわかるのかい?」

「わらないけど、見えるよ」

リリンのその言葉を、ベルリは信用するしかなかった。


次回、第42話「計画経済主義」前半は、4月1日投稿予定です。


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「ガンダム レコンギスタの囹圄」第41話「共産革命主義」前半 [Gのレコンギスタ ファンジン]

「ガンダム レコンギスタの囹圄」


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第41話「共産革命主義」前半



1、


マニラへ向かう船と袂を分かったガンダムとハッパは、北ベトナムのハノイを目指して海上を飛行していた。

日本の貨物船に乗客として乗り込んできたのは、テロリストたちであった。彼らは厳重な警備をかいくぐり爆発物を持ち込んで、貨物船を乗っ取ろうと企てた。目的は日本が発掘品を分析して再現したディーゼルエンジンであった。

ディーゼルエンジンは汎用性が高く、エネルギーを生産できることが魅力であった。日本の未来の基幹産業になり得るその技術を奪うために、彼らは決死の覚悟で船に乗り込み、逆に皆殺しにされてしまった。なぜ技術を独占したのか。そのために多大な犠牲を払うことに躊躇しないのか。ユニバーサルスタンダードのように広く技術を公開することはできなかったのか。ベルリは悩んだ。

死の余韻はベルリの心に暗い影を落としていた。心配したノレドやリリンが、彼の心を和ませようと流行歌を唄ってくれた。ラジオからは東アジアで人気のある歌手の歌声が流れていた。

「ハッパさん、グレートリセットってなんでしょう?」

ベルリは通信機に向けて話しかけた。この通信機はハッパが取り付けたもので、ガンダムに備わっていたものではない。ガンダムは、まるでそれ自体に意思があるかのように、ベルリに聞かせる声はどんな小さな音でも拾い、伝えなくてもいい声は拾わない。そのために通信機を別に取り付けたのだった。

「文字通りの意味だろうけど、革命のことを指しているんじゃないかな」

「何を革命したの?」リリンが尋ねた。

「自由貿易を否定して、共産主義の世界を作ろうということだと解釈しているけど・・・、ベルリはどう思ったんだい?」

「ぼくは、スコード教の否定だと捉えたんですが」

「スコード教を通じてフォトン・バッテリーが宇宙からもたらされ、それを得るためにアグテックのタブーを人間は受け入れてきた。それをやめて人間の意志で物事を決めていこうとするのなら、たしかにそれはグレートリセットと言えなくもないね」

「でもさ」ノレドが口を挟んだ。「それならアメリアも一緒じゃないの? アメリアだって、ソーラーパネルで発電したエネルギーをフォトン・バッテリーに充電できれば、スコード教に支配されているかのような世界を変えられる、アグテックのタブーは打ち破っていかなきゃいけないってメガファウナを作って、海賊船にして温存してたんでしょ?」

「ぼくらがやろうとしたことも、一種の革命だったのだろうか? でもぼくらには、革命を目指している気持ちはなかったし、キャピタルやスコード教への尊敬も失ってはいなかったよ。革命はただの急進改革主義じゃない。旧体制の完全破壊の上に新しいものを構築しようと志向することが革命だ。ぼくらは、旧体制たるキャピタルに、人類の進化についてもっと柔軟になって欲しかっただけなんだ。実際、火と水とタービンがあれば電気は作れる。ソーラーパネルでも作れる。それを大量に安全に蓄電する技術がどうしても見つからないんだ。フォトン・バッテリーに電気を貯めることができれば、たったそれだけのことで人類の歴史は漸進的に改革されるんだよ。革命はむしろ喪失でしかない」

「古いものを壊すから?」ノレドが尋ねた。

「その通り」ハッパは応えた。「だから、アメリアと彼らテロリストはちょっと違うと思うね。ただ、あのテロリストとされた人たちのことをぼくは何も知らないから、断定はしないけど」

「グレートリセットは、旧体制の破壊ってことですね」ベルリは自分に言い聞かすように呟いた。「でも何をリセットしようとしていたのかは、断定はできないと」

「そう。だってさ、スコード教を全否定して、共産主義国家を成立させることをそう呼んだとするだろう。もしフォトン・バッテリーの供給が再開されたら彼らはどうするんだい?」

「ああ、なるほど。フォトン・バッテリーの供給先から外されてしまいますね。ということはやはり、自由民主主義とか自由貿易体制を否定して、共産主義に・・・。共産主義って何なんですか? 共産主義者になったら、裁判もなしにあんな簡単に殺されてしまわなくてはいけないんですか?」

「テロリストは武装集団だから、彼らを制圧するのに裁判なんかいらないよ。ベルリ、これは世界の常識だ。しかも海上でのテロ行為は、生きるか死ぬか、ただの犯罪じゃないんだ」

「そうなんですか・・・」

そう呟くと、ベルリはまた黙り込んでしまい、ノレドとリリンを心配させた。

ガンダムは、ハノイ郊外のジャングル地帯に到着した。ハッパは周囲の偵察に出て、残りの3人は枯れ木などでガンダムを念入りにカモフラージュして隠した。

「この機体は外からはハッチを開けられないんだ。何をされても傷ひとつつかないし、こんなものでいいんじゃないかな」

「外から開けられないのに、ベルリが触ると開くの?」

「そうなんだ。生きているみたいだよ。人間みたいなんだ」

モビルワーカーで近くの農家に出向いたハッパは、半日してオンボロの荷車を調達して戻ってきた。4人は協力してその荷車に幌をつけて、車輪を直した。東アジアでは、人種的にベルリたちの風貌は目立って怪しまれてしまう。そこで荷車に幌をつけて顔を隠そうというのだ。

ハッパは現地の粗末な服も調達してきたので、3人はそれに着替えて、大きな笠を頭にかぶった。

「お金を払うと言ったら断られたよ。でもただじゃ悪いから、モビルワーカーでちょっと働いてきた。それでこれを全部くれたんだ。もういらないからって」

「親切な人たちですね」

「日本人も最初は親切な人たちだって思ったものさ。はっはっは」

日本企業に契約を一方的に破棄されたハッパは、少しだけ人間不信に陥っているようだった。

モビルワーカーが荷馬車を牽引する形で、一行は出発した。街が近いとのことだったが、行けども行けどものどかな田園風景が続いた。この地で革命が起こったと言われても誰も信じないような牧歌的光景であった。田には水牛がおり、ロバに乗った男が砂糖水を売り歩いていた。

稲作が盛んな地域のようで、段々畑が丘陵の上まで続いていた。遠くの山には炭焼きの煙が立ち上っている。乳牛が柵の向こうで啼いていた。リリンは初めて目にする広大な風景に目を瞠っていた。トワサンガ生まれの彼女には、地平線が途切れる景色さえ珍しい。巨大な山と吹き下ろす風の強さも、リリンには強い刺激そのものだった。

「すごいね。これが全部お米になるんだ」

「こんなに作ってどうするの? 余ったら売るの?」

「香港なんかは買っているだろうね」ハッパが後ろの荷馬車に顔を向けて応えた。「自由貿易が出来ていたころは、たくさん作って、食糧輸入国に売っていたはずだ。でも共産主義国になって、日本はあんな感じだし、どこに売るつもりなんだろうな?」

「ハノイのコメの供給先として、香港を侵略したんでしょうか?」

「その可能性も含めて探ってみるか!」


2、



すっかり現地人に溶け込んだハッパがすれ違う行商人に聞いた話では、ハノイにはサムフォーという名のスコード教の司祭がいて、その人物が王のように振舞い、富を独占してきたのだという。

人民は永くその圧政に苦しみ、大陸で共産主義体制が復活すると多くの国民が革命にこぞって参加したという。王のように振舞っていたサムフォーは押し寄せた民衆に捕まると木に吊るされた。家族は南へ逃れたが、ハノイ人民解放軍はそれを追撃しているということだった。

「スコード教の司祭が富を独占するなんて・・・」ベルリは絶句した。

「いや、実際フォトン・バッテリーの利権は絶大だよ。我々アメリア人は自分の国の豊かさを誇っているけど、キャピタル・タワーがあって、フォトン・バッテリーの配給権を独占しているキャピタルの国民は不当に豊かだなと羨んでいた」

ハッパの言葉を、ベルリとノレドは納得いかない顔で聞いていた。

モビルワーカーを馬のように使い、一行を乗せた荷馬車はハノイの中心地へとやってきた。中心地といっても何かがあるわけではなく、ひときわきらびやかな教会と集合住宅が立ち並ぶだけの寂れた街並みであった。粗末な衣服を着た子供たちが走り回って遊んでいた。

一行は荷馬車に乗ったまま教会の中へ入ってみた。よく手入れされた美しい庭園があり、そこだけ別世界のようだった。ただ、かつては美しい装飾が施されていたであろう礼拝堂は焼け落ちていた。そこから焦げた柱などを運び出し、修復作業が続いていた。

ハッパは現地人と似た顔立ちを生かして、作業を指揮していた男に話しかけた。

「ここにサムフォーは住んでいたのですか?」

「おたくら旅行者かい?」太った現場監督の男が愛想良く応えた。「ここはそう、サムフォーが住んでいた教会だ。あいつが富を独占していたおかげでハノイの人民は長らく苦しんでいたからね。いまではあいつが貯め込んでいた財産は人民解放軍に接収されて、ここには何も残ってないよ」

「教会を直しているところですか?」

「そうじゃないよ。教会を壊して、人民解放軍の総督の屋敷にするために改装してるんだ。総督さまはそれはもう慈悲深い方だから、わしらの暮らしもじきに良くなるだろう」

ベルリとノレドは荷馬車の中で顔を見合わせ、いやな予感にうんざりした表情になった。

「サムフォーがいなくなって何か変わりましたか」

「税がなくなったよ。以前はフォトン・バッテリーの配給と引き換えに徴税していたのに、この1年、サムフォーは電気も配らず税はそのままにしていたんだ。あいつのところのシャンクも今年は貸し出しがない。それなのに税だけ取るって、そんな話はおかしいだろ?」

「そりゃ酷い」

「電気がなければシャンクが動かないから、稲刈りも全部人力でしなきゃいけない。くたびれるのはわかるだろ? それなのに、サムフォーはもっと耕作地を増やして、サトウキビを作りたいと言い出したんだ。強欲な男さ。稲刈りですら大変なのに、開墾までさせて、それでサトウキビを作るというんだ。砂糖は足りている、もっと民衆が豊かになるものを作りたいといっても、サトウキビは儲かるようになるからの一点張り。ほとほと困っていたら、青年会が北の大国が手助けしてくれるからサムフォーを縛り首にしようと言い出して、最初はみんなそこまでしなくてもと反対していたけど、税がなくなると教えてもらって、サムフォーを木に吊るすことに同意したのさ。さすがに家族は逃がしたけどね」

ハッパは荷馬車に乗り込んできてそっと話し始めた。

「サムフォーはサトウキビでバイオエタノールを作って、ハノイの人たちを食べさせていくつもりだったようだ。グールド翁が台湾南部の土地を買い占めて作ろうとしていたのもおそらくサトウキビ。甜菜が作れないところでは、サトウキビは戦略物資になりかけていたんだ」

「どうもそのようですね」ベルリが頷いた。「ぼくは、サムフォー司祭が、フォトン・バッテリーの配給と引き換えに徴税していたことがショックですけど」

「フォトン・バッテリーと引き換えに税を徴収していたのは、住民の勘違いじゃなかろうか? みんなここに来るまでの光景を見ただろう? かなり手入れされた田園風景だった。あれだけの田を管理するだけの農作業用のシャンクがあるということは、この地域は相当豊かだよ。バッテリーの配給もたくさん貰っていたはずだ。税でシャンクを買っていたんじゃないか。サムフォーという人物は、ハノイを上手く経営していた可能性がある。もちろん不正に蓄財していた可能性も同じくらいはあるだろう。だけど、もし彼が良い領主であったのなら、人民解放軍とやらは彼と同じくらい民衆のことを想って政治をやってくれるだろうか?」

「グレートかどうかはわからないけど、この地域はリセットされちゃったみたいね」ノレドは急に不安になってきた。「王さまを殺して何を奪ったの? 権力?」

「豊かな土地の利権だろうね」

と、返答したハッパの予感は当たっていた。

税がなくなるというのは住民たちの勘違いで、収穫物はすべて供出させられることになったのだ。それを毎月必要な分だけ公平に分配するという。丘をまるごとひとつ開墾した働き者の男は、労力に見合う分配がないと知ると新妻を連れて夜逃げしてしまった。行商たちは、売り上げに関わらず毎月配給が受けられるとはじめこそ喜んだが、ノルマが課せられると分かって途方に暮れていた。配給は決まったものが同じだけ与えられると知った女たちは、交換のために闇市を巡るのが日課になった。

たった数日で、豊かな田園風景からのどかさが消えた。

人間同士がギスギスし始め、ベルリたちを見る眼が厳しくなってきた。さらに、遅れてやってきた領主の男がハッパのシャンクに目をつけた。旅行者だからと言い逃れして逃げたものの、いつ寝首をかかれないとも限らないので、ベルリたちは夜中にガンダムを起動させてハノイを離れることにした。

「何が起きたのか全然わからない」ノレドは腕組みをして難しそうな顔をした。

「所有が禁じられたのさ」ハッパは風に吹かれながら月に照らされた美しい田園地帯を見下ろしていた。「この広大な農地はみんなのものになった。みんなで働き、みんなで分け合うようになった」

「それって、いいことなんじゃないの?」

「集落で一番の働き者が逃げてしまって、シャンクもなくて、この田園地帯は維持できないよ」

「だったら、日本はケチケチしないでディーゼルエンジンの技術をユニバーサルスタンダードにしちゃえばいいんじゃないの?」

「つまり、そういうことだ」ベルリは爪を噛んだ。「奪い尽くさなきゃ平等にならない。豊かさを追い求められない。地平線の先の先まで戦争を仕掛けて何もかも奪わないとユニバーサルスタンダードを作ることはできない」

「みんなで努力すればみんなが豊かになるんじゃないの?」

「人間の能力には大きな差があるんだよ、ノレド」ハッパが言った。「それは自分の子供や、地域の人など、仲間たちを豊かにして自分も豊かになれるって実感できなきゃいけない。でもその範囲があまりに巨大になりすぎると、自分の努力がザルに水を灌ぐように消えてなくなるのではと不安になる。実際、この地域は以前より貧しくなるだろうよ。シャンクが動いても、以前のように誰も働かない」

「サムフォー司祭は、スコード教の人で、自分で田を耕すわけじゃなかった。不正蓄財してたって話もあった。その財産は分配されないの?」

「分配の権利を持った人間が、少しずつ富を奪うのさ。それで民衆に届くころには、分配されるものが少なくなって、必要なものが偏る。平等を管理するといっても、人間ひとりに何が必要かなんて、その人しかわからない。わからないからみんなと同じものを配る。各家庭で必要なものは違うから、余ったものを持ち寄って闇市で交換する。そしてノルマだけがある」

「でもトワサンガもそうなんでしょ?」

「科学力がまるで違うし、管理された状況で物を作るのと地球の自然の中で物を作るのでは、結果が大きく変わってくる。労働工数なんて、自然環境の中では計れないよ」

王さまを殺したハノイの人々は、王さまが負っていた役割を自らが背負うことになり、途方に暮れてしまっていた。しかもその王は、スコード教の司祭で、決して強欲ではなかったのだ。


3、


スコード教のサムフォー司祭には、強い義務意識があった。教会から派遣された彼は、自分が任された土地の人々を豊かにしようと努力を怠らず、フォトン・バッテリーの配給が止まってからは世界で何が起きているのかよく学び、観察し、バイオエタノールのことも知っていた。

ハノイからホーチミンへと下ったベルリ一行は、亡命したサムフォー司祭の家族の家に招かれた。

「主人が王のように振舞っていたことなどありません」

司祭の妻はホーチミン政府に保護されて、郊外に屋敷を与えられていた。サムフォーはもともとホーチミンの出身で、キャピタル・テリトリィに留学後にハノイに派遣されて、美しい女性を娶り、美しい娘を授かっていた。娘はリリンと同じ年齢だった。

「夫が派遣された当時のハノイは、荒れた土地とジャングルがあるばかりで、キャピタル中央銀行の支店の統計にも入っていないようなところだったんです。支配層がいなかったために、夫がスコード教の布教の傍らでハノイの経営をやっていました。いまではハノイの農産物は石高がはっきりと計算され、共通通貨の供給も十分になされるようになり、貨幣経済への移行によって人々の勤労意識も高まりました。グレートリセット? それは大陸の政府による独自通貨の発行を指すのではないでしょうか?」

振舞われた紅茶を飲みながら、ベルリが驚きの声を上げた。

「通貨の発行? キャピタル以外がそんなことをするのですか?」

「北の大陸は、ずっと二重通貨だったのです。スコード教への帰依と中央銀行支店の受け入れをしなければフォトン・バッテリーの配給が受けられないので、キャピタルの通貨も使用していたのですが、地球の裏側の経済のことなどキャピタルが完全に把握できるわけがないので、大陸は足らない分を独自通貨として発行していました。キャピタルの通貨の信用は、フォトン・バッテリーによって保障されていましたから、その配給が止まったときに、通貨の信用力が落ちた。独自通貨の信用力は生産力の裏付けがなければいけないので、大陸はフォトン・バッテリーに頼らない強固な通貨、安定的な通貨の確立を呼びかけた。そのためには国境を廃止してアジア全域、最終的には地球全体でキャピタルを凌駕する経済体制を構築せねばならないと訴えていました。それを日本などが反スコード的覇権主義だと批判して対立しました。大陸ではスコード教の司祭は殺され、民衆の通貨への関心が生産力の拡大と所有の概念を揺さぶり、いつしか共産主義の復活へと結びついたのです。わたくしは共産主義がどんなものなのかよく理解していませんが、東アジアで戦争が起こったのは、エネルギーの争奪、大陸の砂漠化、通貨の信用力の低下、これらが混然一体となった結果です」

ベルリは、フォトン・バッテリーの配給停止が地球の裏側でこんな問題を起こしているとは想像もしていなかった。

キャピタル・テリトリィによる緩やかな連合体制は、行政区分としての国家の維持と、国家間対立の回避を見据えた経済運営体制が柱であったのだ。ところがそのキャピタルが戦争による疲弊とクリム・ニックとルイン・リーによる2度の体制崩壊に見舞われ、さらにフォトン・バッテリーを配給できなくなって、地球の裏側では脱キャピタルとも呼べるイデオロギー対立を誘発してしまっていた。

サムフォーの美しく知的な妻は、激動に見舞われたハノイで、スコード教が目指す文明対立の回避を維持するため、夫とともに厳しい状況を耐え続けてきたのだった。

「夫はいずれフォトン・バッテリーは再供給されると信じていました。それまでの期間、日本のバイオエタノールによるエネルギー供給体制を繋ぎとして利用しようと、新たな開墾を農民たちに提案していたのです。いったん共産主義体制に飲み込まれてしまうと、キャピタルの体制に戻ることは難しくなります。日本は自由貿易で互いに足らないところを補完しながら現状を維持しようとしていたので、言葉は悪いですが利用できると思っていました。でも、農民たちはそう思ってはくれなったようです」

サムフォーの家族の家を辞したベルリ一行は、北からの侵攻に備えて軍備拡張を進めるホーチミンの人々を悲しい顔で見つめながら、今後のことを話し合った。

「ハッキリ言って、ガンダム1機あれば、大陸の侵攻を食い止めることはできる」ハッパは断言した。「香港で見ただろう? 大陸の戦力は人力と火薬だけだ。おそらく、火薬を大量に生産して、爆発物と人海戦術、それにハノイみたいにスパイ活動で敵を寝返らせる作戦だけといえる。戦争には勝てる。でも勝とうとすれば、大勢の人間を殺さなきゃいけない」

ベルリは意気消沈して返事をすることもできなかった。代わりにノレドが口を開いた。

「原因が砂漠化と通貨不安とエネルギー枯渇なんでしょ? 人を殺しても何の解決にもならない」

「いや」ハッパは首を振った。「これはスコードと反スコードの戦いでもあるんだよ。もし世界が反スコードの共産主義体制になったら、スコード教が目指してきた人類の融和はどうなる? ビーナス・グロゥブの理想はどうなる? 共産主義体制がそれを引き継いでくれるだろうか?」

「日本がディーゼルエンジン技術をユニバーサルスタンダードにしないのがいけないんじゃないの?」

「違うんだよ、ノレド」ハッパは優しく諭した。「ユニバーサルがふたつ出来ちゃったんだ。フォトン・バッテリーが宇宙からやってきたうちは、本来の意味でのユニバーサルだったけど、その信用が落ちて、地球だけのユニバーサルが生まれようとしている。宇宙との関係が途切れれば、自分が住んでいる目の前の世界が宇宙のすべてになる。まさに革命が起きようとしているんだ。ぼくはアメリア人としてスコード教やヘルメス財団のやり方には不満も持っている。でもその理想を捨てようとは思っていない。ここは日本に与して、反スコード主義である共産主義と戦うのもひとつの手段だ」

「ハッパさんは間違ってるよ」ノレドはベルリを見ながら悲しそうに呟いた。「戦争をしたら、フォトン・バッテリーの再供給はなくなるし、ビーナス・グロゥブとの関係も切れちゃうんだよ。それに、もう時間がない」

リリンがハッパの袖を引っ張った。

「地球は虹色の膜に覆われて、大きな爆発が起きて、宇宙からやってきた銀色の魚みたいな細長い船に取り囲まれるんだよ」

「その話、何度も聞いたんだけどさ、誰か見たのかい?」

「リリンちゃんは見たの?」ノレドはリリンの頭を撫でた。

「見てないけど、見たよ。地球は真っ白になって、人が住めなくなって、みんな死んじゃうの」

「リリンちゃんはずっとこう言ってるのよ。でも、あたしたちは地球が膜に覆われたところまでは知ってるけど、フルムーン・シップが爆発を起こすとか、地表が剥がれて人類が絶滅するとか、地球が氷に閉ざされるとか、そこまでは知らないのよ」

「未来を見たってことなのかな」ハッパは首を捻った。

「ウィルミットのおばちゃんは、タワーで地上に戻って、悲しくなって泣くの。ずっとベルリさんの名前を呼んで、ずっと謝ってるの」

リリンは結論まで話さなかったが、ウィルミットは絶望のあまり地球で自殺してしまうらしかった。ノレドはヒヤヒヤしながらベルリの顔を窺った。蒼ざめたその顔には、絶望の影が浮かんできていた。


4、


統一通貨の脆さは、香港の金融を崩壊させ、日本の企業を危機に陥れただけでなく、スコード教による人類融和の理念さえも揺さぶり始めていた。

そうした危機感は自由貿易主義陣営に共通したもので、ホーチミンのスコード教会は正式にベルリに臨時の法王就任を依頼してきた。

「我々には象徴が必要なのです。失礼な話ですが、現在のゲル法王はアジアでは人気がない。アジア歴訪も中止になるとのもっぱらの噂です。ゲル法王がこちらに来てくだされば、フォトン・バッテリーの供給がなくともスコード教の権威を保つ役に立ったのですが、何やらよくわからない理屈をこねて、スコード教会と対立しているのだとか。しかし、トワサンガの王であるあなたなら、その役割を果たすのに十分だと思うのです」

浅黒い肌に白い法衣をまとった数人の男たちは、すがるようにベルリに頭を下げた。ベルリは心底困った顔で手のひらを横に振った。

「そんなこと、できるはずないじゃありませんか。ぼくは何の訓練も受けていないただのスコード教徒です。みなさんの方がよほどふさわしい」

「そうじゃないのです」ホーチミンのスコード教を束ねる年配の男が首を振った。「象徴になる方がいないと、北から押し寄せてくる共産主義者勢力に抗することができない」

「なぜですか?」

「彼らが唯物論者だからです。彼らは神を信じていない。神はこの世に存在せず、それを知っている自分たちは神を信じている人間より先進的で優れた人間だと思い込んでいる。フォトン・バッテリーは、神の恵みそのものだった。フォトン・バッテリーがあったから、誰も神の実在を疑わなかった。それをあなたは・・・いえ、トワサンガから直接情報が提供されるようになったことで、フォトン・バッテリーが神の恵みではないとみんなが知ってしまった。わたしたちは、欺かれていただけだったと。それでも、フォトン・バッテリーさえ配給されれば、まだ違った。でも、もうダメなんでしょう?」

「ダメと決まったわけではないですけど」

そこから先は、ベルリには確信が持てなくて口にすることはできなかった。この地の司祭は、ベルリの開明的な施策に批判的だったのだ。ベルリは、トワサンガの王子として直接事実を語りかけることで、宇宙と地球の間にあったベールを剥ぎ取ってしまった。司祭は続けた。

「みんなあなたがトワサンガの王子だと知っている。トワサンガは宇宙にあるスペースコロニーで、ビーナス・グロゥブと交渉できる立場であることを知っている。だからこそ、あなたがスコード教と自由民主主義陣営の象徴となって存在してくれないと困るのです。もしあなたが逃げてしまった場合、スコード教の権威は地に堕ち、人々はこぞって神を捨てて唯物論者となることでしょう。神の存在を失った人間は、道徳の規範を失います。共産党の指示書や内規がすべてになるのです。そこに、人間らしい道徳心は存在しません。まさに、グレートリセットです。神を殺し、王を殺した人間が、民衆の代表を名乗ってその場に君臨する。それは選挙で選ばれたわけでも、代々王として君臨して人間でもない。共産党員になって、権力争いに勝利した人間とその取り巻きだけです。そこにスコード教の居場所はないのです。ベルリ王子はスコード教の熱心な信者であるとか。特別な力も発揮したと聞いております。どうかあなたの力で、たとえ一時なりとも、せめて法王庁が機能を回復するまででも、我々の象徴となって戦ってほしいのです」

「戦う? スコード教が、共産主義者と戦うのですか?」

「ではどうすればいいのです? 戦わずに、神を信じない唯物論者にフォトン・バッテリーの配給権を渡すのですか? アグテックのタブーはどうなりますか? 神を信じない唯物論者は、アグテックのタブーなど気にしませんよ。日本はまだしもスコード教会と折り合いをつけて、あくまで一時的なものとして過去の技術を再生させようとしています。でも、共産主義者はそうではありませんよ。神の存在を信じないのにタブーだけ信じるわけがないでしょう。むしろ、タブーは積極的に冒すことになる。なぜなら、彼らの価値観ではその方が先進的で正しいとされているからです」

ベルリの脳裏に、マカオに向かう船で起きた惨劇が蘇った。ガンダムで、火薬と刃物で侵略してくる数百万の敵を虐殺せよというのだろうか。ベルリには、その戦いに与することなど考えられなかった。かといって、司祭の言う通り、スコード教の教えを失って、人間が無神論に陥った場合、ビーナス・グロゥブは2度と地球に関与せず、カール・レイハントンの望む世界を招きかねない。

ベルリはいったん相手に引き取ってもらい、考える時間を貰うことになった。その夜のこと、ノレドとリリンが寝静まった後、ベルリはハッパに相談した。

「やはりハッパさんの言う通り、戦うしかないのでしょうか?」

「ぼくは戦うこともひとつの手段だと提示しただけさ。ぼくはリリンちゃんの話が気になって仕方がないんだよ。彼女は、君らも知らない大爆発による人類の絶滅であるとか、全球凍結の未来を見たって言っている。子供の話だから話半分だとはじめは思っていたけど、ベルリ、怒るなよ、ウィルミットさんが絶望して君の名前を呼んで謝り続けるとかさ、本当に見てなかったらあんな子供が話すものかね?」

「ぼくはいったい何をすればいいんだ」ベルリは天を仰いだ。「戦っても解決しない。戦っても死なない。そんな相手にどうすればいいんだ」

するとハッパはしばらく考えた後で、意を決したように話し始めた。

「もしかすると、これが観察者になるということじゃないのかな? 君らの話じゃ、カール・レイハントンという人物は、ビーナス・グロゥブの意向に沿ってトワサンガとキャピタル・タワーをメメス博士という人物に作らせたのだという。それは、ビーナス・グロゥブの理想、スコード教の理想というものを完全に否定してはいなかったということだ。しかし彼には、深い絶望があった。人間はスコード教なんてものでは御しきれず、いずれ破綻するだろうと見込んで、準備していたんじゃないのかい?」

「そうかもしれません」

「観察者たらんとした彼の眼中に、人間などはなから存在しないのかもしれない。それを君に見せているんじゃないか。君に人間の本当の姿を見せて、同じように絶望させようとしているのかもしれない。だとしたら、ベルリがやることは決まったようなものさ。君は絶望しちゃいけない。君は希望を見つけなきゃいけない。ガンダムに乗って、みんなで希望を見つけることが大切じゃないのかい?」

「法王の話をどうしましょう」

「それは方便さ。いまこの地は、北から侵攻してくる共産主義の恐怖に怯えている。それを一時的に食い止めるための仮の手段であって、誰も君に正式な法王になってくれなんて思っちゃいないさ」

ハッパとの話し合いが終わり、与えられた自分の部屋に戻ったベルリは、その夜も眠れなかった。

共産革命主義の本質は簒奪である。彼らは人々の不満を利用して、イデオロギーを組み替えることにより、すべてを奪っていく。奪うことすら、分配を目的としているからと肯定する。

ハノイで1番の働き者は、せっかく開墾した段々畑を捨て去ってまでも逃げた。それは、平地より手入れに労力がかかる丘陵地帯の田を耕しても、平地で楽をしている人間と同じだけしか配給を受けられないのなら、労力に見合わないからだ。収穫したものが自分のものになるから、彼は働いた。逃げて、別の土地でやり直した方が彼は豊かになる。そう信じて逃げたのだ。

「ぼくは観察者だ」ベルリは自分に言い聞かせた。「共産主義と自由主義の争いに関与してはいけない。それは観察者としての道に反する。何が正しいのかは誰にもわからない。ぼくは革命を見なきゃいけない。ぼくが戦うべき相手は、カール・レイハントンだけなんだから」

ハノイから大量の難民がホーチミンに押し寄せたのは、翌日のことだった。


第41話「共産革命主義」後半は3月15日に投稿する予定です。














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