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「ガンダム レコンギスタの囹圄」第41話「共産革命主義」後半 [Gのレコンギスタ ファンジン]

「ガンダム レコンギスタの囹圄」


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第41話「共産革命主義」後半



1、


ハノイからホーチミンに、大量の難民が押し掛けてきた。ベルリたちにその話がもたらされたのは、翌朝になってからであった。宿は人でごった返し、ベルリたちの部屋にはスコード教徒有志による護衛がつけられた。物々しい様子にリリンが怯えて、ノレドのそばを離れなくなった。

一行の宿泊先に、ホーチミンの市政関係者とスコード教関係者が押し掛けてきた。彼らとともに大勢の野次馬も押しかけ、宿の主人はこれを好機と箱に入った朝食を安価で売り付けて金儲けをしていた。どうやらベルリ一行はただの旅人ではないようだと知った主人は、彼らのところには若干多く盛った朝食を届けてきた。会見が持たれたのは、ベルリたちの食事が終わってからであった。

「ハノイに総督と呼ばれる人物が大陸から派遣されてきたそうなんですが、彼が初日に発表した新しい配給に関する話と、ノルマに関する話を聞いたハノイ市民の一部が、夜逃げしてきたようなのです」

「配給が少なすぎたのですか?」ベルリが尋ねた。

「配給を大陸通貨で行うと発表があったようなのです。銀行はキャピタル通貨と大陸通貨を交換する人で溢れたのですが、キャピタル通貨がすぐに底を尽いてしまい・・・」

「エッ、待って! 逆じゃないの?」ノレドが驚いて叫んだ。「大陸通貨に切り替わるのに、みんなキャピタル通貨に交換しようとしたの? キャピタル通貨は、フォトン・バッテリーの配給が止まって不安定になったんじゃないの?」

「相対的な信用度の問題です」スコード教の司祭が応えた。「大陸が砂漠化で食料が不足気味なのは有名な話なので、そんな国が発行する通貨を毎月ただで配られて、生産した食料はすべて供出させられて、本当に食べていくことができるのか不安になったようですね。まだしも米を配った方が良かった」

「それに」ホーチミンの役所の人間が横から口を挟んだ。「共産党から逃れようとすれば、当然キャピタル通貨が使用されている地域に逃げるでしょう? ハノイで革命が達成されて、それから逃れるのに革命の総本山である大陸に逃げる人間はいない」

「自分たちでサムフォー司祭を殺したんでしょう!」

「そうなんです。だから彼らは、サムフォー司祭の寡婦のところに救いを求めに行けない。革命は取り返しがつかないですから、彼らが元の生活に戻るには別の何かにすがらなくてはならない」

「それがぼくってわけですか」ベルリは仏頂面で呆れていた。「ハノイの皆さんは、サムフォー司祭は王さまのように傲慢だったと憤っていたはずです。それなのにまた王さまを求めるんですか? 自分たちが王さまになるために革命を起こしたはずじゃありませんかッ」

「そんな覚悟、誰にもなかったんですよ。もっといい王さまが来るはずだって、勝手に思い込んでいたんです。そしてやってきた共産党の王さまは、自分たちから米を取り上げて、見慣れない通貨を配ると言い出した。通貨は地域を表します。キャピタルの通貨は、広く世界を覆っていますが、大陸の通貨は砂漠の大陸だけです。香港と台湾がそれに飲み込まれようとしていますが、日本は彼らと対立している。まだしもキャピタル通貨の方が安心感がある。大陸の共産党は、これから世界侵略を開始するでしょう。それは通貨戦争でもあるんですから」

話を聞くと、ハノイからの難民は、国境地帯に設けられた強制収容所に入れられ、わずかに懐に締まってきたキャピタル通貨で食料を買って飢えを凌いでいるのだという。ホーチミン市は彼らに施しをする予定はないようだった。ベルリはこの対応にも怒りを露わにした。

「それって人道的にどうなんですか?」

「人道とおっしゃるが」役人が応えた。「スコード教の司祭に守られて発展した土地をわざわざ共産主義者に献上してすっからかんになった彼らが、働きもせずにホーチミン市民から搾取することが人道的なのですか? ホーチミン市民は、無職たちの奴隷ではありません」

「土地はあるんでしょう! 彼らは貴重な労働力じゃないですか。土地を与えて、開墾をさせれば」

「土地はあります。でも水が足りません。北部の水源地を共産党に取られてしまっているので。こっちだって死活問題なんですよ。有り余るほど米があれば、そりゃ何とかしてあげたいですよ。でも、キャピタル銀行の支店の職員だってもうハノイから逃げてきているんです。もうあの土地の評価をするのは我々の陣営の人間ではない。共産党員なのです。共産主義革命を起こせば、共産主義世界の評価に身を委ねるしかないんです。自由民主陣営の価値観や評価基準は通用しなくなる。文字通り世界が変わるんです。革命を起こす人間は、新しい世界のことを何も知らずに新しい世界へ飛び込む。そして絶望するんです。未知の希望が既知の絶望になったとき、革命の愚かさを知ることになる。人間がやることなんて変わりゃしないのに、何かが変わると思い込んでしまうんです」

スコード教の司祭が話を継いだ。「人の絶望の根源は、果てしない労働です。命ある限りずっと働かなきゃいけない。生きるためには労働がついて回る。だから人間はいつも絶望の淵にいる」

「それをスコード教の司祭が口にするんですかッ!」

ベルリが激高して席を立ったのを危うんだハッパは、彼に抱き着いて無理矢理席に座らせた。ベルリの怒りが理解できなかった司祭は、彼をスコード教の仮の法王にする話を切り出せないままいったん席を外すことになった。

部屋に取り残されたベルリたちは、頭を抱え込んだベルリを静かに見守るしかなかった。

「ぼくは考え違いをしていたのか?」ベルリは独り言のように呟いた。「スペースノイドの規範をアースノイドに植え付ければ、アースノイドも必ず変われるって思っていた。だから、地球の若者をトワサンガやビーナス・グロゥブに送って一定期間訓練すれば、スペースノイドとアースノイドの間の溝は解消されていくと思っていた。でも、労働が絶望の源なんて。宇宙でそんなことを言えば、すぐに空気も水も供給されなくなって死んでしまうのに」

「まぁ、そうなんだけどさ。まだそれは実現していないわけだから。変化のきっかけをつかんでいない人に絶望したって始まらない。それより、ぼくに考えがあるんだ。ベルリは自由民主主義や共産主義に肩入れするのは嫌かもしれないけど、水源の話があっただろう? あそこだけでも取り返して、ホーチミンの人間を安心させてあげないか」

「水?」

「土地はあるけど、水が足らなくなるかもしれないって言ってたじゃないか。水源を抑えれば、事態が好転するきっかけになるかもよ。それを君らでやってくれないか。ぼくは、もう一度ハノイに潜入して、共産主義の実態を調べてみようと思うんだ」

「わたしは反対」ノレドが言った。横でリリンも睨んでいた。「ハッパさんは危ないことをすべきじゃないよ。ただでさえディーゼルエンジンが狙われる立場にあるのに」

「大丈夫さ、こう見えても逃げ足は速いんだ。無理はしないよ。通信機の性能を上げて、ガンダムに助けを呼べるようにしたら問題ないだろう?」

「だったらあたしも行くよ。王さまを殺してしまうことの意味を知りたいから」

ノレドの提案は、ベルリ、ハッパ、リリンいずれも反対だったが、反対されるとノレドは意固地になってハノイに潜入することにこだわった。

「こう見えてもわたしはトワサンガ大学の学生だからね。スコード教の司祭がいなくなった世界を見ておきたい。フィールドワークの自由を妨げることは、ベルリにだってできないはずだよ。それに、世界を見ておかなくちゃ答えは出ない。答えが出なくちゃ、カール・レイハントンには勝てっこないんだから」


2、


反対するベルリを押し切ったノレドは、ハッパとともに再びハノイに潜入することになった。ベルリとリリンは不本意ながらもホーチミンの民兵と北部の水源地域を奪還する作戦に参加することになった。次期法王に推挙されているベルリの作戦参加に、民兵たちは沸き返った。

「宇宙世紀時代には人類はかなり長距離の交信も可能になっていたというけどね。どんな技術を使っていたのかわからないんだ。でもこのガンダムなら、きっとノレドの声を拾ってくれるさ」

ハッパは心配するベルリにそう言い聞かせて、ノレドを連れて山岳地帯からハノイを目指してモビルワーカーを走らせた。ノレドは後ろの荷車に乗車していたが、やがて飽きてハッパにモビルワーカーの操縦やディーゼルエンジンの話などをしてくれとせがんだ。

「内燃機関は一時期地球で盛んに使われた技術だったんだけど、排ガスの影響とエネルギーの枯渇によって電気に取って代わられたんだ。人類が100億人もいる時代に、多くの人が火で走る車に乗っていたというんだけどね。そのあとは電気が主流になったそうだけど」

「その電気自動車のバッテリーは何だったの?」

「全固体電池やその前は電解液って言われている。この技術が失われていて、フォトン・バッテリーに依存することになっているんだ。それに容量がフォトン・バッテリーよりはるかに少なかったらしい」

「アメリアってそんなに発掘品の解析が進んでいたんだ」

「キャピタルへの対抗意識だよ。それに、ヘルメスの薔薇の設計図からの情報もあったからね」

「エネルギーがなくっちゃ人は森を破壊していくし、多くありすぎたら戦争しちゃうし、どうしてこう上手くいかないんだろう。もっと計画的にやれないものなのかな?」

「共産主義というのは、計画経済だと言われているけど・・・。トワサンガに限らず、宇宙は共産主義体制に近くなるというか、労働なしに生存環境が維持できないから、否応なしに人は労働のための知識を身に着けて、当たり前のように労働に従事する。労働が絶望なんて言っていたら、宇宙では生きていけない。でも地球はそうじゃないからね。地球でトワサンガのような労働本位制って成り立つのかな?」

ハッパとノレドは、荷車を譲ってくれた農家に身を寄せることになった。粗末な農家には老人が夫婦で済んでおり、子供はハノイに働きに出たきり戻らないという。

「もう見ての通りの年寄夫婦だで、動くシャンクで手伝ってくれるならこんなありがたいことはない」

老夫婦はふたりを若夫婦だと勘違いしたようで、宿泊用に小さな小屋をあてがってくれて、その晩は飼っていた鶏を潰してもてなしてくれた。老夫妻は共産主義や自由主義のことはまるで分らず、前任者のサムフォー司祭のことも領主だと勘違いしていた。聞くと、集落の人間はいつも身綺麗にしていたサムフォー司祭が何をやっている人なのか知らないまま彼に従っていたのだという。

「新しい領主さまは、スコードがなんとかいう話はせんようになったな。ここらには地の神さまがおるでな。ああいった話はよくわからんかった。でも、新しい領主さまは、植えるもんを変えろとか、収量を上げろとかうるさくてな。もうわしらは老人だから、自分が食える分だけ採れればよかったのに、どうすりゃいいのか困っていたんじゃ。あんたが手伝ってくれると助かる」

ノレドが尋ねた。

「地の神さまがいると聞いたサムフォー司祭は何と答えたのですか?」

「地の神さまもスコードだからいうとったわ。あの人は細かいことはうるさく言わん人やったからわしら年寄は信頼しとったけどな。若いもんはスコードも地の神さまも信じないでな。信心なんか遅れた人間がやるもんじゃ言うて。毎晩集会に出かけてな、何事か話し合って、挙句あんなことになってしもうた。シャンクがこのまま動かせなんだら、どうやって収穫すればよいやら」

ハッパが質問した。

「サムフォー司祭はフォトン・バッテリーを使ってシャンクを貸し出してくれたわけでしょう。新しい領主さまというのは何かくれたんですか?」

老夫婦は顔を見合わせて、奥から紙の束を持ってきてくれた。

「これがカネじゃ言うてな。前の領主の持ち物をみんなに配るからといってくれたのがこれ。わしらは動くシャンクを貸してくれりゃよかったんじゃが」

「これで物は買えるんですか?」

「買えるとは言うけれど、持っていっても嫌な顔をされるな。だけどわしらが使っていた前のカネはもうないんじゃって。だからこれで何とかせにゃならんのだが、これでは米も買えんし、せめて配給してくれんもんかと」

腕組みをして考え事をしていたハッパは、ある提案をした。

「使い道がないなら、明日からぼくらが働く報酬としてそれをいただけませんか?」

「やるよ」

「そうはいかないので、とりあえず働かせてください。その報酬でそれをいただいて、ぼくらは市街地へ行ってそれで何が交換できるか調べてみます」

翌日朝から老夫妻の畑仕事を手伝ったハッパとノレドは、分配された大陸の紙幣を貰い、モビルワーカーを老夫妻に預けると、歩いてハノイ市内へと向かった。

まずは宿を探すことになったが、支払いを大陸の紙幣で済ませたいと申し出ると、露骨に嫌な顔をされた。ところが宿の看板には新紙幣での料金が書かれていたので、ハッパにそれを指摘された支配人はしぶしぶふたりを泊めることを了承した。

「どういうことなの?」ノレドが尋ねた。

「インフレさ。おそらくはこうだ。サムフォー司祭の私有財産は、共産主義者に没収された。しかし、物のままでは配分できない。そこで新紙幣で住民に支払った。まぁ、配分しただけマシとはいえるが、たとえサムフォー司祭が金銀財宝を隠し持っていたとしても、全員に平等に分配すればそれはわずかなものだ。革命に参加した人らはそれでは納得しないから、紙幣を多く支払った。それでみんな紙幣は持っているけれども、新紙幣の信用がないから、物と交換はできないんだ」

「それじゃおカネの意味がないじゃん」

「そこで、共産主義者がモノやサービスの値段を決めて、それで交換するように命令を出したのさ。それに従わなければおそらく罰則があるのだろう。一方でキャピタル通貨は信用があるから、銀行に交換の人が殺到してあっという間にキャピタル通貨は底を尽いた。いま、キャピタル通貨はここでは大変な価値があるはずだ。ノレドはいくら持ってる?」

「あまりないけど、1週間分くらいは」

「それがどんな価値になっているか調べれば、大陸通貨のインフレ率がわかる」


3、


法定交換レートと実際のレートの差は、100倍以上で、その差はますます開いていた。

「どういうこと?」ノレドは首を傾げた。

「ノレドは1週間分くらいならお金を持っていると言っただろう? それが少なくとも100週間分になったってことさ。」

「おカネが増えてもいないのに?」

「こういうことがあるから通貨をユニバーサルスタンダードにしたんだけど、北の大陸は物資が枯渇しているんだろうよ。ハノイから物資を徴収して、自分たちが決めたレートで自分たちが発行する通貨をばら撒いているんだ。それでおカネとモノのバランスが崩れてお金の価値がどんどん落ちているんだ」

「解決方法はあるの?」

「物資を大量に供給していくしかない。ひたすら。もう誰もモノに見向きもしなくなるまで。とりあえず秋に収穫されるコメが出回れば落ち着くかもしれないが、それを大陸に持っていってしまうと大変なことになるね。新紙幣は紙切れになる。そして住民は紙切れのために収穫物を全部差し出さなきゃいけない。ところがそのコメはシャンクが動かないのと労働者不足で減収になるのは間違いない。このままでは餓死者さえ出そうだ」

「なんでユニバーサルスタンダードをやめちゃうんだろう?」

「キャピタル通貨は中央銀行がかなり厳格に価値を決めて通貨供給量を絞っていたからね。通貨は安定しているものだって固定観念が強くなりすぎていた。でもなかなか思うようには稼げない。だったら自分たちで通貨を発行すれば、みんなにもっと多くの通貨が行き渡って、みんなが豊かになると安易に思い込んだのだろう」

「上手くいかないものなんだね」

「日本なども、企業の財務が痛んでいるのに、通貨発行の権利がないからバランスシート改善のために多くの努力をしなきゃならなかった。ディーゼルエンジン技術に賭けたのも、新技術で通貨供給量を増やしてもらいたかったこともあるんじゃないかな。企業の財務が痛んでいるときは、通貨供給量を増やすべきなんだけど、キャピタルがあんなことになっていたし、中央銀行が機能しなかったんだ。クリム・ニックは余計なことをしてくれたよ。彼には彼の考えがあったにしてもだよ」

ノレドの郷里キャピタル・テリトリィは、クリム・ニックのゴンドワンとルイン・リーのクンタラ解放戦線の攻撃で一時的に大量の投資が行われ、ふたつの政権が相次いで倒れたことで投資されたほとんどの債権が焦げ付いてしまっていた。キャピタル・テリトリィ中央銀行は自国内の経済立て直しに躍起で、地球の裏側にある東アジアまで目が回らなくなっていたのだ。

キャピタル・テリトリィは通貨の安定を第一に考え、金融の引き締めと不良債権処理を同時に行った。通貨供給量の減少とフォトン・バッテリーの配給停止により不満が高まり、共産革命主義に火をつけてしまったといえた。資本へのアクセスが細り、エネルギーが枯渇して、食料の買い溜めが起こった。追い打ちをかけるように、穀物をエネルギーにするとの噂がバイオエタノールエンジンで起こって、民衆は不安のうちに理想的な社会体制は何かと考え始めたのだった。

北の大陸は、地球連邦成立以前に共産革命が起こったことがあり、アメリアより多くの共産主義に関する資料が残っていた。それらは発掘品であったが、学者によって欠損部分が都合よく解釈されて、誰もが平等で公平な理想社会だと宣伝された。宇宙世紀の地球連邦政府は、相次ぐ戦争によって地球を人間が生存できなくなるほど崩壊させた社会体制だと考えられていたので、地球連邦政府を悪だと教え込まれた人々は、それに敗れた共産主義体制を理想郷だと簡単に信じることになった。

「アメリアはそうじゃないんだね」

「ちがうね」ハッパは首を横に振った。「アメリアではもっと共産主義は否定的に捉えられている。もともと移民国家で、物質的な豊かさしか共通の利益にならなかったゆえに、物質的な豊かさを追求するには共産主義は不適格だとされている。こうしたことは黒歴史以前のことだから、本当のところはよくわかってはいないんだけどね」

ふたりは大通りの両側に商店が立ち並んだ地域を散策してみた。以前来たときより明らかに物資が不足していた。新紙幣で物を買おうとするとそれは品切れだと断られるが、キャピタル通貨をちらつかせると奥から物が出てくる。物資不足は、絶対数の不足もあっただろうが、主に売り惜しみによる行為が原因に思われた。店主たちは、明日には価値が半分になるかもしれない通貨より、価値が倍になる通貨を欲したのだ。それが小売りだけでなく、流通や卸しなどでも起こり、さらに役人の横領などが相まって物資は市場に出て来なくなっていたのだ。

一方で闇市は盛んであった。闇市ではモノの価格は自由に設定され、相手が欲しがればどんなモノでもカネになる。新通貨も、紙幣ではなく棒状の金属貨幣には値が付き、額面が逆転するような現象すら起こっていた。民衆は日々の生き残りに必死であり、相手を誤魔化すことばかり考えるようになっていた。ハノイは、正直な人間が損をして、ウソつきが得をする社会になっていた。

「これが理想社会なの?」ノレドはおかんむりであった。「世の中には悪い人しかいなくなってるじゃん。スコード教の司祭を殺してまで手に入れた社会がこんなのでいいの?」

ハッパは眼鏡を直しながら、大通りの両側に立ち並ぶ商店をつぶさに観察していた。

「食糧の加工品が明らかに減っている。加工すると、日持ちがしなくなってその日に売り切らなくちゃいけないから、足元を見られて安く買い叩かれるんだ。保存のきくコメはほとんど通貨のようになっている。店頭に並んでいるのは、保存に適したコメと乾物だらけ。あとは原材料費が掛かっていない手作りの物品だけだ」

ふたりは道に茣蓙を敷いた老婆が売っていた、粗末な素焼きの壺に入ったヨーグルトを買った。量はたくさんあり、美味で、価格も驚くほど安かった。

「このヨーグルトは、老人の家で焼いた壺と、家畜の乳を加工して作られているんだろう。家畜の乳は毎日絞って売り抜けなければいけないから、価格が安くなって、安いがゆえに誰も見向きもしなくなっている。おそらく、共産政権が制定した価格表ならもっと高く売ることもできるのだろうが、それを求めてしまうと生産品として届けなければいけなくなる。共産主義では、生産品は同時に分配品だから、その分の税を徴収される。生産した分をすべて徴収されるから、売れ残りがあると途端赤字になる。だから生産品として届を出さずに闇市場で売っているんだ」

「みんなで作ってみんなに分配するってそんなに難しいことなのかな?」

「作って分配するって言ってもさ、共産主義者は絞った牛乳を毎日回収しないだろ? 全部労働者がやるんだ。労働者は必要な場所に配置されて、毎日決められた労働をこなす。でも、牛乳を現物で徴収して分配なんかできないから、結局通貨でやるんだ。信用のない通貨でね」

ときたまやってくる客は、老婆に紙幣で対価を支払った。老婆は何度も頭を下げて感謝した。そこにひとりの人相の悪い男がやってきた。彼は金属の通貨を懐から取り出して、老婆に紙幣との交換を迫った。老婆は脅かされるわけでもなく交換に応じた。なぜなら、新通貨の紙幣ではモノが買えないからであった。老婆がその日暮らしを強いられていることは明らかであった。

その姿を見てノレドは憤慨した。

「あれ見てよ! 全然額面が釣り合っていない!」

「あの男はおそらく何かの商売をしていて、たくさん税を払わなければいけないか、そんな人物に紙幣を安く売りつける業者なんだろう。たくさん税を払う人間にとって、紙幣の価値下落はありがたいことさ。指定された分を安く払えるからね」

「でもあんなの公平じゃないよ。何のための額面なの?」

「まぁ、そうとも言い切れない。あの老婆だって、やせ細っているわけじゃないだろう? 収穫を少なく申告して、家に食べ物をたくさん隠しているんだ。だから、彼女は必要な物資をここで調達できるだけの金属通貨が手に入ればいい。そういう理屈でこの闇市は成り立っているんだよ」

「共産主義ってウソばっかりじゃん!」

「ハノイは体制移行間もないから、物資が不足しているのと、体制の不備もある。物資が豊富になって通貨が安定した共産主義の世界を見てみたいけど、そんな場所がこの世界にあるのかなぁ」


4、


スコード教のサムフォー司祭は、キャピタル・テリトリィへの留学経験もあるエリート司祭で、経済にも明るかった。彼はハノイに中央銀行の支店を作り、通貨供給の仕組みを整えたばかりでなく、地域の生産性の向上に取り組んで、物々交換に頼っていた地域の経済を近代的なものに変えた。

しかし民衆の一部は、その事実を理解せずに、彼を不労所得を得る資産家、支配階層であると位置づけた。彼は労働者からの搾取によって不当に資産形成した人物と陰口を叩かれ、まるで王のようだと揶揄された。サムフォー司祭は、それらの悪口にいちいち構うことはなく、エネルギー枯渇問題に備えて新たな発電と送電について思いを巡らせていた。発電機は高く、エネルギーも買おうとすれば民衆の経済を破壊しかねない。送電のための銅もない。地球の資源は枯渇していたのである。

そこで彼は、エネルギー輸出地域になるべく、いち早くサトウキビの生産を打ち出した。資源原料の輸出実績を作り、それを担保に借金をして、バイオエタノールプラントを建設して、さらには新型ディーゼル発電機を導入しようと考えたのだ。

その試みは、彼があずかり知らぬところで研ぎ澄まされていた革命の刃によって頓挫した。革命者はキャピタル・テリトリィを中心とした世界標準を否定して新たな標準を作ろうとしたために、旧体制のものは何でも破壊されてしまった。中央銀行支店は間もなく閉鎖された。

民衆は、扇動者によってサムフォー司祭の資産を多く見積もって垂涎していた。支配層の資産家を縛り首にすれば、民衆こそが王となり、不正蓄財されたものは全部還元されると吹き込まれていたのだ。

ところが、扇動者の言葉とは裏腹にサムフォー司祭は清貧な人物であった。彼の一見豪華に見える住まいと教会は、交渉事を円滑に進めるために必要なものだった。彼の資産と目されたものは張りぼてもいいところで、資産家から投資を勝ち取るための虚飾に過ぎなかった。そして彼には、多額の借金があった。生産性向上のために司祭は農作業用のシャンクを買いつけていた。ハッパのモビルワーカーと同じように、それはアグテックのタブーぎりぎりの代物だったために、大変高価なものだったのだ。それを個人の借り入れで買い揃え、農家に貸し出して生産性を上げていたのだ。

ハッパとノレドは、潜入したハノイでの調査によって、サムフォー司祭には資産と呼べるものはなく、借財だけがあったと結論付けた。その借財は革命によって不渡りとなったために、投資家はこの地域を見限った。収穫を上げることで高値をつけた地価は評価額がゼロとなった。それどころか、何もかもが共産党の所有物となり、地域監視官が細かく決められて、彼らは住民に賄賂を要求し始めた。

分配されるのは、紙切れに等しい紙幣ばかりで、税とは別の名の負担ばかりが増えた。当然民衆の不満は高まったけれども、理想主義者を自称する者たちは、生活が苦しいのは理想が実現していないからで、理想が実現すれば何もかも良くなると民衆を諭した。それでも逆らうものは、理想を疑う思想犯として大陸の強制収容所に送られて、思想教育を受けさせられた。

「なぜなら、理想は絶対で、それに代わるものはないからです」

地域監視官に任命された北の大陸の男は胸を張った。ハッパとノレドは、彼らを刺激しないように慎重に調査を進めていたが、民衆の不満が日々高まっていく中で、突如当局の思想取り締まりが厳しくなった。すると、旅行者を装って長期滞在しているふたりは当然怪しまれ、尾行されるようになった。

「まだまだ知りたいことはあるが、そろそろ逃げなきゃいけないね」ハッパは明かりを消した部屋で声を潜めた。「ガンダムはそろそろ水源地帯を制圧しているころだ。農家に戻って、モビルワーカーで約束の場所へ行ってみよう」

「どこへ行かれるのかな?」

ハッパたちが宿を抜け出したところ、見張りらしき憲兵に呼び止められた。旅行者として内偵していた彼らは知らないうちに密告されていたのである。

ハッパとノレドは引き離されて連行された。ベルリからノレドを預かったとの意識があるハッパは、ノレドだけでも逃がそうと憲兵の腕を噛んで激しく暴れた。そのために彼は銃床で首筋を強く殴られて気絶してしまった。ぐったりとしたハッパは担がれて連れ去られていった。

「ハッパさんッ!」

ノレドも掴まれた腕を振りほどこうと必死に抵抗したが、両脇から腕を絡ませられて持ち上げられるように連れ去られてしまった。ノレドは馬車に押し込められた。馬車には他にも多くの政治犯が腕に枷を嵌められ、首に縄をかけられたまま詰め込まれていた。

ノレドも同じように枷と縄を結わえ付けられ、憲兵に連行されていったのだった。



ハッパとノレドを見送った後、ベルリはホーチミンの民兵と作戦会議を行い、水源地奪還作戦に参加することになった。とはいえ、ベルリはこの作戦には乗り気ではなかった。なぜなら、水源地を巡って戦争になれば、その奪い合いを理由とした戦争が継続的に勃発することになりかねなかったからだ。

しかしこのまま手をこまねいて、共産主義者に先手を取られたままでもいられない。何らかの打開策を提示しないで、ただ反対するだけでは誰もついてきてはくれない。

「我々にとって最も理想的なのは、ベルリさんがスコード教会の法王になって、水源地のみならず自由主義陣営の全軍を率いて共産主義者と戦ってくれることなのです」ホーチミンの枢機卿は話した。「もし、法王という身分がおいやでしたら、トワサンガの王子ということでもいい。我々に必要なのは、スコード教を中心とした価値観を体現してくれる象徴なのですから。戦争が嫌というのなら、戦わなくても、あのガンダムという機体で後方支援をしてくれるだけでもいい。共産主義革命など起こさなくても、スコード教は健在で、いずれフォトン・バッテリーも供給されるようになるのだと希望が見えれば、こんなつまらない争いなどそもそも起こらないのです。民衆が民衆の名において王を殺し、正統性なき権力簒奪を行わなければ、世界の秩序はそのまま保たれるのです」

枢機卿は自信をもってそう断言したが、ベルリは内心で首を横に振っていた。そんなものは役に立たない。いまのベルリにはわかっていた。ビーナス・グロゥブのラ・ハイデンを説得するには、ヘルメスの薔薇の設計図を完全に回収しなければならない。トワサンガのカール・レイハントンを説得するには、人間は愚かな反自然的存在ではなく、ガイアの癌細胞などではないことを示して、地球の封鎖を解いてもらわなくてはならない。人間の主義主張の問題ではないのだ。

しかし、それを東アジアしか世界を知らない目の前の浅黒い肌を持つ男に話しても、理解が及ばないのだ。

民兵は続々と集まってきた。なかには、ハノイから逃げてきた亡命者も多数いた。彼らの間では、ガンダムというモビルスーツに乗るベルリがトワサンガの王子であることはすでに知れ渡っており、否応なしにベルリは軍の象徴的立場にされてしまった。何もかもベルリの思い通りにはいかないのであった。

懊悩を抱えたままガンダムに乗り込んだベルリは、コクピットの奥にリリンが隠れているのを見つけた。

「あのね」ベルリは思わず語気を強めた。「サムフォー司祭の奥さんに匿ってもらう約束だったでしょ? これから戦争に行くんだよ。子供がそんなところにいちゃいけないんだ」

「ダメだよ」リリンは口ごたえをした。「だって、あそこにいると、捕虜になるんだもん」

きつく叱ろうと息を吸い込んだベルリは、ふと思い直し、なぜ自分はサムフォー司祭の寡婦が自分の味方なのだと勝手に思い込んでいたのかと肩の力を抜いた。

「ここにいる方が安全だよ」リリンはすました顔で言った。「それに、未来の宇宙から、ラライヤがもうすぐ来るんだよ。ラライヤじゃない人を連れて」

「ラライヤがここに来る?」

ベルリは、ノレドからラライヤがカール・レイハントンについて調べるためにトワサンガに残ったと聞いていた。最後に気配を感じたのは、カール・レイハントンと交戦したときだった。その前に戦ったときには、ガンダムが勝手に発進して、ラライヤが搭乗するYG-111を破壊しようとした。それを阻止したのは、ベルリだった。ベルリは、ガンダムに搭乗したままで、ラライヤがコクピットにいるYG-111を操縦したのだった。

「リリンちゃんにはそれがわかるのかい?」

「わらないけど、見えるよ」

リリンのその言葉を、ベルリは信用するしかなかった。


次回、第42話「計画経済主義」前半は、4月1日投稿予定です。


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