「ガンダム レコンギスタの囹圄」第40話「自由貿易主義」前半 [Gのレコンギスタ ファンジン]
「ガンダム レコンギスタの囹圄」
第40話「自由貿易主義」前半
1、
「複座に改造してみたけどさ、ガンダムのデータはまったく取れなくて、どんな材質なのかもまるでお手上げ。ノレドとリリンちゃんの座席にモニターを取り付けておいたけど、正常に作動するかどうかあまり自信がないんだ」
日本に到着したハッパは、就職先である重機メーカーにガンダムを持ち込んだ。するとメーカーの担当者はすぐに整備工場を貸し与えてくれて、コクピットを複座にしたいとのベルリの要求にも無償で応えてくれたのだった。そこでガンダムのコクピットから詰め込んでいた食料品などが運び出され、座席が取り付けられたのだった。
東アジアでは数が少ない戦闘用モビルスーツはエンジニアたちの興味を引いた。その解析にベルリも同意して、彼の立ち合いの下で様々な調査がなされたが、ガンダムのことを何一つ調べることができなかった。どの計測機器も反応しないのである。
ノレドはリリンとともに、新しい自分たちの座席の座り心地を確かめ、申し訳程度に取り付けられたモニターを操作してみた。その様子を見ていたハッパがふたりに声を掛けた。
「ガンダムのメインモニターのデータは、ユニバーサルスタンダードの計器に情報が送れないんだ。だからノレドとリリンちゃんの席についているモニターは、別途取り付けたカメラの情報しか反映されていない。全天周囲モニターを目視した方がよく見えるんじゃないかな」
ノレドがコクピットの中から顔を出してハッパに尋ねた。
「情報なんてみんな同じじゃないの?」
「それが違うから困ってるんだ。ビーナス・グロゥブのアンドロイドだってユニバーサルスタンダードのデータだったのに、その機体のものは違うんだ。いや、その機体のものは何もかもが違う。ベルリはこれを初代レイハントンに貰ったんだって? 突拍子もない話ばかりでついていけないよ」
ハッパは、日本行きの船の甲板に突如出現したベルリたちの話を一通り聞いていた。
初代レイハントンが姿を現したこと、彼のモビルスーツであるカイザルに乗ったときに彼らと意識を同期させて、いまのベルリには500年前の断片的な記憶や、ラ・グーが暗殺されてベルリたちがビーナス・グロゥブを離れてからの記憶、そして未来の記憶があることなど。ハッパは眼鏡を拭いた。
「君らの話がすべて本当なら、ぼくがアメリアを離れてから5か月近く経っていることになる。その間にビーナス・グロゥブ艦隊が地球にやってきて、初代レイハントンが思念体という存在で、かつての独裁国家ジオンの復活を目論み、さらに彼らは肉体を捨てた思念体というニュータイプ研究の極北を体現した存在で、信じたくないことだがあのクリム坊ちゃんが死ぬと同時に地球に異変が起こり、リリンちゃんがビーナス・グロゥブに引き取られることになった。それを君らが誰かの導きで奪い返して、そのあとすぐにぼくのところに来た。機体の改造をぼくに頼もうとしたら、時間を遡ったと。君らは5か月後の未来から4か月半時間を遡ったんだ。合ってるよね?」
「おそらく」
「推測は禁物なのかもしれないけど、ぼくは君らがやってきた4か月半後の未来で、あるいはもうちょっと先に、なにか取り返しのつかない大事件が起こったんじゃないかと思うんだ。もちろんまったく違うかもしれないよ。話半分で聞いて欲しいけど、君らを導く何者かがそこまでしたのなら、何かを回避させるために時間を遡らせたんじゃないかな。とにかくアジアなんかにいちゃだめだ。政治の中心であるアメリアに戻って、アイーダさんと話をつけなくちゃ」
ハッパはガンダムに簡易バックパックを取り付けてくれた。これも就職先の日本企業が無償で提供してくれたものだった。
「このバックパックは、ノレドが持ち込んだ食糧を詰め込んだだけで、何の機能もない本当のバックパックみたいなものだから、サポートは期待しないでくれよな。なにせ一切解析不能な機体なんだからさ。空気の玉と水の玉の予備も入れてあるから」
「バッテリーは持ちますかね?」
「それも何ともいえない」ハッパは溜息をついた。「まさかこれほど何もわからないとは思わなかったよ。動力源が一切不明。どれくらい持つかも正直答えられない。ぼくがベルリの突拍子もない話を信じる気になったのは、まさにこの機体のためだ。空気と水の供給も仕組みはわかっていないけど、バックパックに入れた空気の玉と水の玉は、複座に付けたモニターと一緒で、独立して供給されるようになっているから、万が一のときでも空気と水は大丈夫だ。バッテリーは・・・、祈るしかないね」
ふたりが機体性能のことで話し込んでいるところに、就職先の総務の男が近づいてきて、話があるからと別室に連れていかれることになった。
至れり尽くせりの待遇を受けていたハッパは、ガンダムのパイロットであるベルリたちも会社の人間に紹介したいと、ベルリ、ノレド、リリンの3人の同席を求めて認められた。4人が案内された天井の低い狭い部屋には、簡易なテーブルとパイプ椅子が並べられ、会社の人間と対峙して座らされた。
ベルリはそっとハッパに耳打ちをした。
「あまり友好的な雰囲気じゃありませんね」
「そんなことないだろ。日本人ってこんな感じじゃないのか」
気にも留めず笑顔を浮かべるハッパに告げられたのは、契約の一方的な破棄であった。
2、
「そんなバカな! ヘッドハンティングされたからアジアくんだりまでやってきたのに、雇用できないってどういうことなんだ! 何のための契約書なんだ! おかしいじゃないか!」
会社の代表は5人。灰色のスーツを身に着けて眼鏡をかけた、個性のない冷たい顔が並んでいた。
「もちろんこれは当方に責任があります。そこでハッパさんには提示させていただいた契約金の半分と、帰りの船のチケットを違約金としてお支払いいたしたい」
「いやちょっと待ってくれ。ぼくには理由を聞く権利があるはずだ。ちゃんと説明しろ!」
「経済状況が大きく変化したのです。つい先ほど、キャピタル・テリトリィより発表がありまして、クリムトン・テリトリィ時代の投資案件についてすべての契約を不履行にするとの通達が来ました。事実上のデフォルトです。クリムトン政権からクンタラ解放戦線に権力が移った際は、投資案件について引き継ぐとしていたのでそれで当社も安心していたのですが、裏切られた格好になりまして。キャピタルのウィルミットさまは、ベルリさんのお母さまとか」
「ええ、そうです」
「当社は重機メーカーで、不動産などに投資はしていなかったのですが、すでに納入した重機の代金も未払いになりまして、いえそれくらいはまだいいのですが、銀行が不動産でかなりの損失を出しまして、企業に対して貸し剥がしを始めているのです。クリムトン・テリトリィは大型案件でしたので、日本といたしましては地球の反対側、いままで投資などさせてもらえなかったキャピタルとコネクションを持つ機会だとされていましたので、かなりの金額を投資していたわけです。これらがすべて損失となった場合、銀行のバランスシートが大きく崩れることになります。そこで、貸出先の企業の運転資金にまで手を付けて、自行の経営基盤の立て直しを迫られているわけです。さらに悪いことに、アメリアの問題もございまして。アメリアの上院議員のアイーダ・スルガンさまは、ベルリさんの実のお姉さまだとか」
「ええ、あ、はい、そうです。そうですけど!」
「アメリアはニューヨーク州が破壊されたのちに本拠地をワシントンに移された。その際にクンタラから多くの借財をされたようなのですが、アメリアのクンタラの方々は世界でかなりの力をお持ちのようで、以降アメリアへの輸出は軒並み激減してしまったのです。アイーダさまの『連帯のための新秩序』『クンタラ亡命者のための緊急動議』が可決してからずっとその傾向があったのですが、アジアからの輸出は事実上できないような状態になっていて、売りたいのならアメリアへ投資しろと強く要求されているのです。どういう力か定かではないのですが、政府とは別の、かなり強い圧力が掛かっている状態です。つまり、現在当社は資金繰りに苦しめられ、なおかつあてにしていた輸出も大打撃を受けている。ハッパさんとお話させていただいたころとは状況がかなり変化しておりまして」
「いや、そうかもしれないけどさ」ハッパは食い下がった。「こっちは軍の安定した仕事を投げ打ってこちらに来させていただいたわけですよ。それを一方的に状況が変わったからといって雇用できないというのは道義的にどうなんですか」
「当社としては、もっと道義的な問題に直面しているのだとご理解いただきたいのです。会社の運転資金が危機的な状況になったおかげで、長年働いてこられた従業員の多くも希望退職を募ってリストラしている有様です。そんなときに、まだ働いてもいない人を優遇することは道義的にできないのです」
「アメリアが産業の国内回帰を目指す方向に舵を切ったのはぼくも知ってる。それはニッキーニ大統領が自由貿易を推進しすぎて中間階級が瓦解してしまったことも原因としてあって、クンタラなどの移民が増えたアメリアとしては当然の政策だと思うけどね」
「大昔のように国家に通貨発行の権利があれば、為替の変動でショックはいくらか吸収されたのですが、いまは通貨もユニバーサルスタンダードでしょう? 金融がおかしなことになったら通貨供給量を大幅に増やしてまずは金融の立て直しを図らなければいけないわけですが、その機能が各国の政府にないのです。金融政策がままならないなかで、銀行も企業も自力でバランスシートを改善しなければならない。そのことをご理解いただきたいのです。当社としては、契約金の半分をお支払いすることがギリギリできることです。本当はその資金さえ惜しいところなのです」
「やけに親切にしてくれると思ったらこういうことだったのか。まったく失望したよ!」
相手の男は話題を変えた。
「聞くところによれば、ベルリさんは新しい法王さまになられるお方だとか」
「えーーーー」と、ベルリは驚きの声を上げた。「法王さまは特別な訓練を受けた方々がなるものですよ。徳の高い人じゃなきゃなれないものです。ぼくなんか・・・、いったいどこでそんな噂を?」
「いやそれは、スコード教の方々ですよ。トワサンガの王子であるベルリ・レイハントンさまがスコード教の新法王になることで、よりスムーズにフォトン・バッテリーの再供給への道が拓けるのだとか」
「ああ、それ」ノレドが口を挟んだ。「その噂ならちらっと小耳に挟んだことがある」
「そんなことは起こりませんよ」
むくれたベルリの顔を困った顔で眺めていた男が話を続けた。
「当社としては、ユニバーサルスタンダードの復権が果たされたのちは、フォトン・バッテリー仕様の工作機械をより賃金の安い地域で生産して輸出するつもりでいたのです。もしそれがダメなら、ディーゼルエンジンを国内で生産して輸出するつもりでいた。ところが輸出先は、買ってほしければアメリアに工場を建てろと無茶をいう。アメリアの中間階級のお話はハッパさんのおっしゃることがもっともなのでしょうが、日本の中産階級はどうなるのですか?」
「どうしてこうなったんだ?」
「本来ユニバーサルスタンダードは、各国の平等な発展を保証するためのものだった。ところがそれを、グローバリズムの一環として利用している勢力がいるのです。どこで作っても同じならば、より賃金の安い地域で作る。あるいは、アメリアのように軍事力を背景とした政治力で、自分の国で作らせる。こうしたことを画策している勢力があるのです。アメリア政府とは別の力が働いている。何年も研究して新幹線もディーゼルエンジンも技術を復活させたのに、それを無償で提供しろとは虫が良すぎませんか。日本がディーゼルエンジンを研究したのは、キャピタル・タワーというものが地球の反対側にあって、フォトン・バッテリーの配給に頼ることに不安があったからです。これからの時代の我が国の生命線になる技術なのです」
「アメリアにもディーゼルエンジンくらいはある」
「あるでしょうが、アメリアは乾燥地帯でしょう? 日本は亜熱帯から寒冷地まで気象条件が様々なので、信頼性において条件が良すぎる乾燥地帯の製品とは品質の面で比較にならない。その技術は渡せませんよ」
「つまり」ハッパは唇を噛んだ。「ぼくを産業スパイのように見ているんだな」
「そこまでいうつもりはありません」
「わかった。雇用できないというのなら仕方がない。会社の運転資金が危ないというのなら、契約金の半分もいらない。その代わり、一番小型のディーゼルエンジンを積んだシャンクをくれないか。それで手を打とう」
ハッパの申し出に対して、会社の男たちはすぐに返答はせず、別室で協議をするからと部屋を出ていった。それを待っていたかのように、ベルリが小声でハッパをたしなめた。
「ハッパさん、ヤケを起こしちゃまずいですよ。もっと上手くやりましょうよ」
「いや」ハッパは首を横に振った。「もうこんな国はこりごりだ。相手の事情も分からなくはない。納得してもいいのかもしれないが、それにしたって不誠実すぎる」
「アメリアだって同じようなものですよ」
「ぼくはね、ベルリ」ハッパはふうと息をついた。「ベルリが羨ましかったんだ。もうこうなったら仕方がない。しばらくは貯金で食いつなぐさ。それくらいの蓄えはあるし、それにぼくは技術者だ。仕事なんていくらでもある。ベルリのようにシャンクで大陸を歩いて渡ってアメリアへ帰るんだ」
男たちが戻ってきた。
「ハッパさんの申し出が上に了承されました。ディーゼルエンジンのついたシャンクは、バイオエタノール仕様の最新鋭のものは提供できないのですが、古い発掘品を復元した未発売のモデルがあります。それを無償で提供いたします。それに、もし帰りの船賃を放棄なさるのであれば、提示させていただいた契約金をキャンセル料として全額お支払いいたします。これは受け取っていただかないと逆に困ります」
こうしてハッパは、廃油でも走るという西暦時代のディーゼルエンジンの復元モデルを手に入れたのだった。バイオエタノールの供給はいまだ不完全であったため、大陸横断を目指すハッパはこのモデルを気に入った。それは小型のモビルスーツの出来損ないのような、大型のシャンクであった。
しばらくそのシャンクを乗り回していたハッパは、目に涙を浮かべながら大笑いをするとこう叫んだのだった。
「まるでモビルスーツのパイロットになったみたいじゃないか、はっはっは」
ノレドはそんなハッパの姿を憐れみ、ベルリにそっと耳打ちをした。
「なんだか、可哀想」
「仕方がない。しばらくはハッパさんにつき合ってぼくらもアメリアを目指そう。このまま放っておいたらヤケになって何をしでかすかわからない」
3、
こうしてベルリ、ノレド、リリン、ハッパの4人は、一路西を目指して旅立つことになった。ガンダムは何の機能も付いていないバックパックに食料や旅の荷物を満載して、ハッパの大型シャンクの歩みに合わせて日本の大地を西へ西へと進んだ。
ハッパのシャンクは背部にディーゼルエンジンを積み、頭部には左右に突き出た目玉のようなレーダーがついたもので、工作用の長い両腕を動かすことができる。作業を行わないときは、両腕は短く畳んでエンジンの上部に収容することができた。
ガンダムでの輸送を拒み、あくまでシャンクで旅をすることに決めたハッパを見守りながら、ベルリは素朴な疑問を口にした。
「それ、もうモビルスーツじゃないんですか? 詳しい定義は知らないけど、腕があって脚があって、作業ができる機械なんでしょ?」
「腕はあくまで付属のもので、自立歩行用機械だから一応シャンクってことになるのかな。モビルスーツはもともとこういうものだったのだろうね。兵器に転用したことが革新的だったのだろうよ。モビルスーツに転用可能な技術はアグテックのタブーになるから、シャンクに補助用の腕がついていることにしたかったのだろう。つまり、ヘルメスの薔薇の設計図なんかなくたって、モビルスーツ発明前夜まで技術は発達しているってことさ。技術は必要に応じて開発されていくものだ」
ノレドとリリンは、ハッパが取り付けてくれたモニターの調整に余念がなかった。ガンダムとシャンクには中古の無線が取り付けられて、会話も交わせるように改造された。ハッパは嫌なことを忘れるように、行く先々で機械修理や調整などの短期の仕事を引き受け、黙々と働いた。
4人は西へ西へと進み、横浜から神戸へと辿り着いた。
瀬戸内海の青い海を眺めながら屋台で買い求めた食事を頬張っているとき、ハッパがようやく今回のことを話し始めた。
「エネルギーが枯渇して、資源もとっくに使い果たした世界で、自由貿易って成り立つのかなって思っていたけど、こうして旅をして社会を眺めてみると、意外になんとかなるものだね。ぼくはね、ベルリ、アジアはもっと貧しい世界だと信じて育ったんだ。だからベルリがユーラシア大陸を旅してアジアの産業はかなりのレベルだと教えてくれたとき、ずっとこっちへ来てみたかったんだよ。自分の目で見てみないとわからないことってあるからね」
ベルリは一人旅していたころを思い出しながら遠くを眺めていた。
神戸の港には大型の輸送船が多数入港して、コンテナをクレーンで降ろしていた。大型船も、港で働く工作機械も、いまはバイオエタノールで動いている。地球の裏側ではフォトン・バッテリーの代替への置換はすでに始まっていた。ベルリは懐かしそうに口を開いた。
「あのときは行く先々でいろんな人に話を聞いて、やっぱりキャピタル・タワーが地球の裏側にあることで、アジアの人たちはフォトン・バッテリーが宇宙からもたらされていることを実感しにくくて、それが地下に埋まっている知識の発掘への情熱に繋がったんだって教えてもらったんです」
ハッパが応えた。
「ヘルメスの薔薇の設計図は、宇宙ドッグであったラビアンローズに残っていた軍事技術だったから、その流出は大変な問題を引き起こしてしまったわけだが、よく考えれば民生技術は地下に埋まっているんだ。ぼくが手に入れたこのシャンク、というか、モビルワーカーも、西暦時代のものだっていっていたな。錆びた機械を発掘してその技術を解析するなんて、やりがいのある仕事だったんだけどなぁ」
そういうと、ハッパはまたしても沈み込んで黙ってしまった。
ノレドはベルリの袖を引いて、そっと耳打ちした。
「ベルリ、こんなにのんびりしてていいの? カール・レイハントンとどうやって戦うのか考えた?」
「まだ何も考えていないけどさ、でも、いまのハッパさんを残してアメリアへ戻れないだろう? それに、あいつはこういったんだ。『わたしと同じように絶望しろ』って」
「絶望?」
「ガンダムに乗って絶望しろって。もちろん、どういう意味かは分からないよ。その意味も知りたいんだ。それに、ぼくも旅の途中でケルベスさんに連れられてメガファウナに戻っちゃったから・・・」
そう告げると、今度はベルリが黙り込んでしまった。困った男たちだと組んだノレドの腕を、リリンが引っ張った。
「どうしたの?」
リリンはしばらく会わない間に少しだけ背が伸びて、少女っぽくなっていた。彼女はキラキラと輝く海に浮かぶ船から降ろされる荷物に興味を持ったようだった。
「あのコンテナの中には荷物が入ってるの?」
「そうね」
「物が余ってるから運んできたの?」
「余ってる? いや、そうじゃないよ。あれは『交易』というもの。お金と交換で買ってきた品物なんだ。物と物を交換しようとすると、物の価値は運んでいる間にも変動してしまうから、価値が一定した通貨というものを使って安定的に物が交換できるようにしたんだね」
「でも、作りすぎたから交換してるんでしょ?」
「ああ、そうか」
ノレドはリリンがトワサンガ生まれであることを思い出した。スペースコロニーであるトワサンガは、通貨も使われているが、地球よりもっと計画経済的なのだった。宇宙では、空気も水も計画的に生産される。貨幣制度は、物資を交換するためではなく、個人の消費志向に自由度を持たせるための手段に過ぎない。
ノレドとリリンの話に聞き耳を立てていたハッパが、遠くからふたりに声を掛けた。
「リリンちゃんは小さいからわからないと思うけど、いや、ぼくもトワサンガの経済には詳しくないんだけどさ、きっと宇宙では個人で消費しきれないほどの物資の独占が禁止されているはずだよ。買占めを認めてしまったら、宇宙での経済活動は成り立たないはずだ」
「トワサンガは労働本位制なんですよ」ベルリがハッパに応えた。「買占めはもちろん禁止されているんですけど、労働に細かく工数が決められていて、獲得した労働ポイントに応じて月収が与えられる。だから、出産や子育てにも労働ポイントが付くので、働いたり子育てしている人は何不自由なく欲しいものは手に入る。でも、物資は常に不足気味でしたね。これは、空気と水に制限があるからで、何か新しい物資を生産しようとすると、生産の材料になる空気と水の調整をしなきゃいけない」
「お、さすが、トワサンガの王子さまだね」
「ベルリは王子さまなの?」リリンが尋ねた。「そうなの?」
「違うよ」ベルリは慌てて否定した。「便宜上のものなんだ。行政を動かすには権力というものが必要で、権力に空白ができてしまっていたから、それで・・・」
リリンの父は、トワサンガ警備隊に所属していた。彼らがザンクト・ポルトにやってきたとき、ベルリとメガファウナは彼らと敵対関係になって、リリンの父が乗った戦艦を地球の大気圏に押し込んで死なせてしまったのはベルリ自身なのだった。ベルリは、リリンに対して大きな負い目があった。
「興味深い話だね」空気を察したハッパが助けに入った。「金本位制ならぬ労働本位制か。労働ポイントに連動した通貨は相続できるのかい?」
「労働ポイントの相続はできませんね。贈与もできないんですよ。富が蓄積されても、交換する物資が増えるわけじゃないので。不動産も賃貸ばかりで、住むところを得るためにも働かなきゃいけない。宇宙はとにかく労働が基本なんです。あれを貨幣経済と呼んでいいのかどうか・・・。少なくとも、神戸の港に陸揚げされる物資のように、自由に買える物なんてない。購買の概念が地球と少し違っているかも。宇宙での購買は、あくまでAかBかの選択です」
「それだとさ、付加価値が生まれにくいんじゃないのか?」
「そうかもしれません。芸術も政府や行政が認定した『芸術』にしかポイントがつかないので、新しいものが生まれない。食べ物も、より美味しいものに加工してより高く販売しようという創意工夫に乏しいので、どこへ行っても同じようなものばかりになる。トワサンガのセントラルリングは商業地帯で物が溢れているところなんですが、付加価値の競い合いとしての商業施設じゃなかったなぁ」
「高い義務意識と低い欲望。地球と真逆になってしまうんだな。スペースノイドとアースノイドが分かり合えないはずだよ」
4、
神戸の港で運搬の仕事を得たハッパは、2日ほどそこで働くことになった。
ノレドは時間が気掛かりで仕方がなかったが、ベルリは何を考えているのか、ハッパのペースに合わせてのんびりと構えているのだった。
神戸の港は、物で溢れかえっていた。空気と水をほとんど無尽蔵に得られる地球では、資本を投入して大量生産することで大きな利潤を生むことができる。種さえあればどんな植物でも育つし、所有者のいない野生動物の肉も取り放題だ。野生動物は毎年いくらでも増えてしまうために、むしろ駆除が追い付いていない。宇宙とはまるで違う環境がそこにはある。
成長したリリンは、ウィルミットの温かくも厳しい教育の甲斐もあって、好奇心旺盛な子供に成長していた。彼女はノレドやラライヤとビーナス・グロゥブを訪れたときのこともよく記憶しており、あるときノレドに向かってこう話した。
「ビーナス・グロゥブにはなんであんなに美味しいものがたくさんあったの?」
リリンは、ビーナス・グロゥブで食べ歩きしたときのことを話しているのだ。あのとき、ノレドとラライヤは、ビーナス・グロゥブとトワサンガの違いを見つけようとした。ところが、ふたりは行く先々で美味しいものを見つけて食べてばかりで、重要なことは何一つ発見できなかったのだ。
しかし、それは彼女たちに知識がなかっただけのことだった。美味しい屋台がたくさんあること、それはつまり、付加価値をつけることでより高い利潤を目指している行為だったのだ。トワサンガとは違う経済運営だったからこそ、ビーナス・グロゥブには美味しいものが溢れていた。
ラ・ハイデンは、スコード教と芸術を深く愛する人間だった。それもまた、より大きな付加価値をつけて大きな利潤や承認欲求を満たす行為の表れである。大きな称賛を浴び、大きな利益があるから、芸術は研磨されていくのだ。では、トワサンガとビーナス・グロゥブでは何が違うのか。
「成長余地じゃないかな」ベルリは応えた。「ビーナス・グロゥブは資源衛星を獲得して、成長するコロニー群だった。それに比べて、トワサンガは成長を意識した設計になっていない。トワサンガを作ったメメス博士は、ザンクト・ポルトもトワサンガも、クンタラの避難地域くらいにしか思っていなかったはずだ。そこで人間を繁栄させるつもりがそもそもないんだ」
「興味深い話がたくさん聞けるねぇ」ハッパは楽しそうだった。「つまり、ビーナス・グロゥブはトワサンガと同じスペースノイドの高い義務意識が根底にありながらも、より自由経済に近くて、人々の創意工夫と経済成長余地があったと。それは、海の存在も大きいね」
「海の存在がそれを可能にしていることはあると思います。シー・デスクですね。あれがビーナス・グロゥブの環境をより地球に近づけている。それに、人間そのものの目指しているものが違う。ビーナス・グロゥブの人間は、肉体を繁栄させることを前提に胚を成長させて肉体化した人たちの末裔です。いったん眠らせていた生命を、死の覚悟を持って肉体にした。滅びるつもりなんかないんです。繁栄させるための決断があった。でも、トワサンガはそうじゃない。カール・レイハントンという思念体は、人間を排斥した地球環境の観察者たらんとしているので、肉体を増やそうとしていない。メメス博士はそれに同調していた。でも彼はクンタラの繁栄は望んでいた・・・」
ノレドが尋ねた。
「それって、クンタラを地球の支配者にするつもりだったんじゃないの? レイハントンに人類を絶滅させて、そのあとでクンタラが地球を乗っ取るみたいな」
「うーん」ベルリは考え込んだ。「それがしっくりするのは確かなんだよ。レイハントンに協力して、クンタラの安全だけを保障させる。その考え方は、思念体全体に共有されてしまうので、滅多なことで変更はできない。カール・レイハントンは人類を滅ぼし、その間だけクンタラはザンクト・ポルトとトワサンガで生き残る。やがてレイハントンたちジオンの残党は、思念体に戻って眠りに就く。地球は彼らによって防衛され続ける。その間に、地球に戻って・・・」
ハッパが首を傾げた。
「ジオンは地球を観察しているんだろう? だったらさ、地球でクンタラが繁栄して、またアースノイドとしての傲慢な振る舞いを始めたら、やっぱり滅ぼされちゃうじゃないか。相手は永遠の命を持っているわけだろう? 数千年後、地に満ちたクンタラが宇宙世紀と同じことを考えてしまうかもしれない。永遠に人類を観察している生命体。死ぬこともない。そんなの、ぼくらじゃ勝てっこないじゃないか。ぼくは、ビーナス・グロゥブ方式を支持するけどね」
「ですよね」ベルリも同意した。「メメス博士は何を考えていたんだろうって」
ノレドはしばし考えて、かねてから思っていたことを口にした。
「メメス博士って人は、クンタラだけの繁栄を考えていたわけでしょう? だから、カール・レイハントンが人類を滅ぼすことに抵抗がなかった。それはクンタラ以外の人類って意味だから。もしかして、カール・レイハントンを殺しちゃう方法を知っていたのかもよ。だって、彼がいなくなれば、地球は全部クンタラのものになるわけでしょう? クンタラの子孫だけが生き残るわけだから」
「ベルリの話を聞く限り」ハッパはノレドに質問した。「思念体というのは幽霊みたいなもののようだ。もともと死んでいる人間を殺せるのかい? どんな方法がある?」
「それを言われると困っちゃうけどさ・・・」
顔をしかめたノレドを見て笑いながら、ハッパは話題を変えた。
「実はね、ぼくは新しい夢を見つけたんだ」
「夢?」
「そう、夢だ。ぼくは世界を見分しながらアメリアへ戻って、このディーゼルエンジンを量産する会社を作ろうと思うんだよ。発掘品のレプリカだから、この製品に特許は存在しない。フォトン・バッテリーが供給されるようになったとしても、今回の経緯を見る限り、ビーナス・グロゥブは供給過剰状態は作らないと思うんだな。それは戦争に発展してしまうから。でも、人間の繁栄には経済成長が必要だ。だったら、フォトン・バッテリーで足らない分を何かで補わなきゃいけない。ぼくはディーゼルエンジンに夢を託すよ。つまりさ、ぼくには未来が必要なんだ。あと4か月半で地球が滅びてしまうとか、変な膜に覆われてしまうとか、幽霊みたいなやつに滅ぼされてしまうとかさ、そういうのは勘弁願いたい。メメス博士のこととかもそうだ。ぼくには『今』から続く未来へ行きたい。誰かがコントロールした未来じゃなくてね」
港で働くうちに、船員たちと親しくなった4人は、沖縄、台湾、香港へと寄港する船に同乗させてもらえることになった。船会社の担当はこう話した。
「フォトン・バッテリーが供給されなくなってから、海域に海賊が出るようになりましてね。あなたのその戦闘用モビルスーツに護衛してもらえると助かるんだよ」
その人物は、陽光に光り輝くガンダムを指さして言った。
こうしてモビルワーカーのハッパとノレド、リリンは貿易船に乗り込み、ベルリはガンダムで船を護衛することになった。
神戸を発した彼らは、沖縄を経て一路台湾へと向かった。
次回、第40話「自由貿易主義」後半は、2月15日投稿予定です。
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