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「西遊記」(1960年作品)感想 [映画]

東映動画長編アニメ第3作目。第13回ヴェニス児童映画祭特別大賞受賞作。

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子供のころ、夏休みなどで必ず放送されていた映画。いまの子が幼少時にジブリなどを見て育っているように、我々は東映動画のアニメで育ったのだ。その頃から数十年ぶりに観てみたが、記憶の中にある内容とかなり違っていた。

まず本作には手塚治虫が関わっている。それが悪い方向に働いているとしか思えない。手塚は「漫画だから」を言い訳に使ってディテールにこだわらなかった作家だった。それがディテールから組み立てていく東映の作風と全然噛み合っていない。「西遊記」にいつもの面白くない手塚ギャグを入れてあるところが恐ろしく恥ずかしい。

ディテールにこだわらないために統一されたトーンがなく、東洋的な雰囲気が出せていない。古代中国の雰囲気も出せていない。そういうものを醸し出すための工夫が一切なく「西遊記って知ってるでしょ。あれあれ」とばかりに話を組み立てている。石から生まれるところも何も描いていない。孫悟空というキャラを1から描かず、孫悟空をみんな知ってるという前提で話を組み立てている。これは子供向けでやるべきことではない。人生で最初に触れる「西遊記」がこの作品だったらと思うと悲しくなる。

「西遊記」という物語を「西遊記」をまだ知らない子供たちに見せることを考えていない。オレは手塚のファンではあるが、彼のこういういい加減なところが嫌いだ。宮崎駿なら絶対にやらないはずの構成である。

よくこんなものをやる気になったなと調べてみると、案の定当時の東映スタッフからは猛反発を喰らったらしい。そりゃそうだ。「西遊記」をやるならば、中国風の雰囲気を作り上げ、孫悟空というキャラクターを子供にもわかりやすく組み立てた上で、上質の動画で物語を紡ぎたかったはずだ。手塚のように空の上に神様がいて天体望遠鏡で地上を覗いていたり、神様が怒って西洋の騎士に悟空を退治するようにけしかけたり、劇中に電話を出したりはしなかったはずだ。そんなことは自分の作品でやれと。

幼少のころ気づかなかった雑さが目立って悲しいばかりだった。おそらくのちに「西遊記」の物語を絵本などで知って、手塚的な部分を記憶から消し、東映動画的な素晴らしいアニメーションの場面だけを記憶の中に残していたようだ。記憶を改変して残していたのである。

数ある日本で作られた「西遊記」ものの中でも最低の部類に入るだろう。ただし作画は本当に素晴らしい。手塚を絡ませるべきではなかったな。

本作の動画には、のちに短編アニメの作家となる月岡貞夫が動画として参加している。手塚の下から派遣されたらしい。月岡貞夫の短編アニメは手塚の作品などよりよほど芸術性が高く素晴らしいものばかりなのでぜひ機会があればご覧になって欲しい。オレも全部は観ていないはずだから、BDとかで出してくれるとありがたい。彼の「アニメーション」という本は、何かの展示会で買ったはずだ。展示会だったか、短編アニメの映画祭だったかは忘れてしまった。

正直、観るんじゃなかった。記憶の中にあった東映動画の「西遊記」は、こんなひどい作品ではなかった。もっと美しく、お猿の悟空たちが冒険する話だった。

夢を壊された気分だ。


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「羅生門 デジタル完全版」(1950年作品)感想 [映画]

黒澤明監督の映画「羅生門」のデジタル完全版というものを視聴。ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞。

原作は芥川龍之介の「藪の中」と「羅生門」、小説版の「羅生門」単独の原作ではなく、脚本はかなり違う。小説を先に読んでいると、内容が全然違うのでオレのように混乱する。

最初に観たのは高校生のとき。どこかの名画座だったと思う。客はオレの他は大学生らしき人物と老夫婦だけ。そんな中で観たモノクロームの「羅生門」は衝撃的だった。

物語はある殺人事件の裁判の様子を多視点で語る形式になっている。時代は平安時代末期、検非違使が5人に対して質問をするが、どの証言も食い違っていてどれが本当かわからない。

朽ち果てた羅生門で雨宿りをする木こりと坊主が、その日あった尋問を回想する場面から始まる。彼らはその日の尋問で何もかも信じられなくなったと嘆き、こんな怖ろしいことはないと震えている。そこにもうひとりの男が屋根を求めてやってきて、どんなことがあったのか話してみろとせっついた。

検非違使に対して最初に証言したのは木こりだった。木こりは遺体の発見者であり、そのときの状況を詳しく述べた。次に証言したのは坊主だった。坊主は遺体となって発見される侍(平安時代の武士)と馬に乗るその妻を見たと話した。

次に証言したのは、武士を殺害したという多襄丸(たじょうまる)だった。多襄丸は他の罪で絡め捕られ、証言の場に引き出されてきた。彼は豪放磊落な性格のようで、夫婦の女の方を見たとき強く欲情し、その女を奪ってやろうと一計を案じて武士を森の奥へと誘い込み、縄で縛りあげた挙句に女を犯した。そして自分になびいた女を夫に見せ付けてやろうと縛られた男の下へと連れて行き、散々笑い飛ばした。女を奪って逃げようとした矢先、その女がふたりの男に(醜く乱れた)恥を見られたとあっては生きていけないから夫を殺してくれと頼まれた。しかし縛られたままの男を殺すのは本懐ではないと縄を解いて正々堂々と戦って勝った。だが女はその隙に逃げ去ってしまった。というものだった。

次に証言したのは、逃げた女だった。女の話は多襄丸が語ったものとはまったく違っていた。それによると多襄丸は夫を騙して縛り上げ、自分を犯して笑い者にした。それでも飽き足らず縛り上げた夫の元へと自分を連れ出し、犯された自分と妻を犯されているあいだ何もできなかった夫を引き合わせてさらに笑った挙句にどこかへ走り去ってしまった。自分は夫に許しを乞うたが、他の男に犯された自分を夫は冷めきった眼で見るだけだった。それに耐えきれず失神し、気がついてみると自分の短刀が夫の胸に突き刺さっていた、というものだった。

次に証言したのは、殺された夫の霊魂だった。霊媒師によってこの世に呼び戻された武士の魂は、多襄丸に犯された妻はうっとりと美しい顔で強姦した多襄丸に寄り添い、自分を捨てて多襄丸のものになると了承した。ところが妻は自分の淫らな本性を知っている男がこの世にふたりいては生きていけないと、夫を殺してくれと多襄丸に懇願した。ところがそれを聞いた多襄丸は腹を立て、女を足蹴にして夫である自分にこの女をどうして欲しいかと尋ねた。自分が応えられずにいると呆れて女を逃げるがままにし、自分の縄を解いてどこかへ行ってしまった。取り残された自分は世を儚んで妻の短刀で自害したところ、こと切れる寸前に誰かが胸の短刀を引き抜いていくのがわかった。というものだった。

彼の証言もまた違い、事実がどこにあるのか誰にも見当がつかなかった。木こりは、武士の男は多襄丸の両刃の剣で殺されたていたのだから、どちらも女の短刀で殺されたという夫婦の証言は絶対におかしいと言い張った。

それを訝しんだ雨宿りに身を寄せた男は、木こりを追求した。すると木こりは、検非違使が怖くて嘘の証言をしたが、本当は自分は問題の一部始終を見ていたのだと証言を翻した。

木こりの話では、女を犯した多襄丸は女に自分の妻になってくれと懇願していた。だが女は、女というのは力づくで奪うものだと両者をけしかけ、わざと男同士を争わせようとした。ところが夫は犯されながら欲情する妻に呆れ果て、馬の方が惜しいからそんな女はくれてやると言い放った。多襄丸も泣いてばかりの女に呆れ果て、女というのはこのようにたわいもないものだと突き放した。するとふたりの男にバカにされた女の態度は豹変し、お前らは所詮意気地がないから争わないだけなのだと男どもをなじった。男たちは戦うように仕向けられたものの、武士は身なりのわりにまともに戦う術がなく、多襄丸もまた怯えているばかりで豪放磊落な物言いとはまったくの別物だった。最後は多襄丸が勝ったものの、女は逃げ去ってしまい、脚をもつれさせた多襄丸は結局人を殺めただけで何も得られなかった。

というものだった。結局、誰もかれもが虚勢を張って嘘をついていたのだった。だが、すぐに木こりの話も嘘だと分かった。雨宿りに入ってきた男が、羅生門に捨てられた赤ん坊の衣服をはぎ取って盗もうとするのを木こりが咎めたとき、そういうお前は女の持っていた宝飾のついた短刀を盗んだのだろう、だから検非違使を怖れ本当のことが言えなかったのだろうと追求した。それは正しく、木こりは黙ってしまうしかなかった。

というお話だ。事実をありのままに受け入れることがなかなかできない人間の悲しさが描かれている。

こうでありたいと願っても、人間はなかなか理想通りにはなれない。強い男でありたいと願っても叶わず、良い夫であろうとしても叶わず、良き妻であろうとしても叶わず、正直者であろうとしても叶わない。人間はかように弱く悲しい存在だという話が、土砂降りの雨の中で淡々と語られていく。

最後、捨てられた赤ん坊を木こりが引き取ると言い出した。自分には子供が6人いるから、もう1人くらい増えても苦労は変わらないという。それを聞いた坊主は喜び、子を木こりに与える。そのとき降り続いていた大雨は上がり、晴れやかな日差しの中を木こりは立ち去っていく。この最後の場面のカタルシスが素晴らしいのだ。

この映画は撮影技法が珍しく、そこが評価されることが多い。モノクロ作品ののっぺりとした画面に、太陽の光や鏡による反射を持ち込み、さらに黒々とした羅生門の風情と対比させて強い濃淡を作り出している。同時期のアメリカのモノクロ映画と比較してみると、この映画の画面があまりに眩いことに驚くだろう。

人間の愚かしさを描き、捨てられた赤ん坊の衣服さえ剥ぐ非情さと、貧しさ故に美しい短刀を奪い、本当のことが言えなかった木こりの悲しさと優しがが同時にあるところがいい。虚勢を張る人間の愚かしさと、貧しくとも心の優しさはすべて奪われないという安心感がある。この映画を観て、ただ人間の愚かしさばかり語るようではいかんのである。虚勢を張らず、ありのままに生きて優しくあれという作品なのだから。

登場する役者が8人とも素晴らしい。嫁が志村喬を気に入っていた。

若き日の京マチ子の美しさは眩いばかりだ。


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「乱」(1985年作品)感想 [映画]

黒澤明監督による最後の時代劇。シェイクスピアの「リア王」をベースに、戦国時代の逸話なども盛り込まれた脚本になっている。

今回黒澤を観ることになったきっかけは「雨あがる」だった。あれを「不完全な作品に思える」と感想を言ったところ嫁から「では完全な作品って何なの?」ともっともな指摘を受け、完璧な作品としてオレが選んだのが「乱」だった。

でも本当は黒澤作品の中で一番好きなのは「蜘蛛巣城」である。プライム特典には「乱」と「羅生門」があったが、「羅生門」より派手なシーンが多いのでこちらにした。

「乱」はプラザ合意があった年に公開された沈鬱な映画だ。黒沢渾身の悲劇で映画の完成度も高いが、世の中はバブル景気の入り口にあり、円の価値が一気に2倍になっていく中で時代に取り残された感がある悲しい作品であった。円の価値が2倍というのは、ドルベースで日本人の所得が2倍になるということで、これからは輸出ではなく輸入で利益を上げようとデパートなどが鼻息荒かった時代である。

バブルが起こった年、バブル世代は中学生から大学生であった。もちろん株などやっているはずもなく、一部の若くして金を持った人間を除いてバブルの恩恵は受けていない。就職が若干緩かったことがいいことかもしれないが、1985年に中学生だったバブル世代は就職と同時にバブル崩壊に見舞われる。リストラの嵐に巻き込まれ、波乱の人生を送ることになった。

バブルに浮かれていたのは、当時30代後半から40代後半になっていた団塊の世代だ。なにせ数が多く横並び体質なものだから、株が流行すればみんなで株を買い、バブルが崩壊すればみんなで株を売り払った。まるでバカなのだが、そんな気分の中に、晩年の黒澤明は生きていた。

彼が語る重厚な悲劇や重厚な喜劇は、世界の黒澤の名の下で珍重されていたが、充分に評価されているとはいいがたかった。80年代は軽薄の時代であり、90年代は虚飾の時代であった。本質を求める気風は潰え、マーケティング理論がもてはやされるようになっていた。

このころから日本人は日本人の容貌を失いつつあり、フェミニストは広く世間から父と母を奪っていき、世界は男と女に分断された。

「乱」に描かれる大殿一文字秀虎(仲代達矢)は、男として目指した侵略、拡大志向によって一国一城の主となり、70歳を過ぎてようやく父として生きようとした矢先、長男一文字太郎孝虎(寺尾聰)の妻楓の方(原田美枝子)の子としての妄執にすべてを奪われ、一族は死に絶える。物語の登場人物たちには立場がそれぞれあり、男としてだけの人生や女としてだけの人生などはどこにもない。

大殿一文字秀虎(仲代達矢)は、男として自らの一族を拡大し、隠居を決めて父としての幸せを願った。

長男一文字太郎孝虎(寺尾聰)は、従順な子として生きてきたが突如家督を譲ると言われ困惑し、いつまでも子ではいられない、男として生きねばと焦った挙句に失望を一身に集めた。

次男一文字次郎正虎(根津甚八)は、男として奔放に生きていたが、兄を追い落として家督を奪ったのちに統領の重責を思い知って自分を見失い、失態を重ね自滅する。

三男一文字三郎直虎(隆大介)は、子として正しい在り方をもって父に進言し、疎まれ、遠ざけられ、それでも父を慕い続けるが男として立つ前に撃たれて死んでしまう。

幼き頃に城を追われ、両親を殺され、両親を殺した相手の息子の嫁となった楓の方(原田美枝子)にとって、女は武器でしかなく、その精神はずっと子のままであった。この場合の「子」とは、子供のことではなく、親の「子」という意味だ。子であり続け、両親の仇を討つことに賭けた執念は、一文字家の嫁という立場を突き付けられた途端に潰え、殺されてしまう。

この映画に「個」はない。人間は繋がり「連続」であり、その経過に得たひとときの安定は、立場の交代、役割の交代とともに瓦解していく。

たしかにこの作品は沈鬱で、希望がないように見えるが、まだしも人間は繋がりの中で必死に生きようとしていた。黒澤にとって人の悲喜劇は、繋がりの希望の中で成功したり失敗するものであり、失敗するから繋がりそのものを否定して人は「個」として生きよう、といったたぐいのものではなかった。

繋がり「連続」の瓦解は、悲劇でも喜劇でもなく、ただの絶望であった。黒澤作品は、どんな悲劇を描こうともそこに絶望はない。絶望は劇にはならない。「どん底」のような作品でもそれは一緒である。ただ絶望するだけの人々にもまだ、人の繋がりはあるのだ。絶望するのが嫌だから、他者との繋がりを切って「個」となり、個と個が連携するなどという戯言からは距離を置いていた。

1994年に大江健三郎がノーベル賞を受賞し、「個」としての人間の在り方をここぞとばかり連呼していたころには、黒澤はすでに達観の境地にあって、人と人が連なる喜劇を撮るようになっていた。すでに悲劇を撮ってもそれは人との繋がり「連続」の失敗としてしか捉えてもらえないと分かり、一文字秀虎のただの父として余生を過ごしたいという願いの幸福感が伝わらないと分かっていたのだろう。

1985年に公開された「乱」は、個に分解される前の、最後に人間を描いた映画だったかもしれない。


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「アイアンマン」(2008年作品)感想 [映画]

「アイアンマン」がもう10年前なのかー。月日が経つのは早いなぁ。

この作品は何度もレンタルで観ているが、アメコミ映画に詳しくない嫁のリクエストで視聴。何度観ても面白いね。脚本が本当に良く練られている。こういうのを作られちゃうと日本映画は苦しい。日本は日本で別の手段で頑張ってるけど。

日本のことで個人的に不満なのは、アメリカがアメコミヒーロー復活に湧いていたころ、日本は萌えアニメの最盛期で、男のくせに少女漫画のような絵を見て喜んでる連中が大量発生したんだよね。それが本当に嫌で、なんで女の子を守れる強い男に憧れないんだろうって。あんなあの気狂い以下だからな。

有名作だからあらすじとかはいらんよな。

あらすじと言えば、昔アメコミは単純なストーリーの代名詞だった時代もあったんだ。それで80年代に衰退した。90年代くらいから日本のアニメの複雑な物語に触発されて、コミックの絵柄も少しずつ変えていき、ストーリーをハリウッド映画の脚本並みにブラッシュアップして見事に甦った。

アメリカのコミックは分業が当たり前なので、編集者の力が強く、その気になれば望む画力のある漫画家への変更や、有能な脚本家への変更などすぐに出来てしまう。ヒーローも権利は出版社にあるから、一度人気が落ちた漫画のヒーローを編集者が復活させることも可能。スーパーマンなんかは編集者が変わって劇的に甦った。

それと比べて日本はすべて漫画家任せだから、ひとつの漫画の人気が落ちたら打ち切り、ひとりの漫画家が死んでも打ち切り、次から次へと新しい主人公を乱造しなきゃいけないから、次第に飽きられてしまう。

0から1を生み出す漫画家と、1を10にする漫画家、その後を引き継いでいく漫画家、全部資質は違う。いまは1を10にする漫画家はあまり評価されない。この状況はもっと早く改善すべきなんだけどね。漫画家もすべてを背負わされているから、すべての権利を主張してしまう。上手くいってるのは作者が急に死んでしまった「クレヨンしんちゃん」くらい?

メディアミックスでやってるけど、なかなか思うようにはいかないねぇ。


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「下妻物語」 (2004年作品)感想 [映画]

深田恭子と土屋アンナが可愛いだけじゃないっすか。

あーでもあんまりこの手の映画は観ないから新鮮でしたよ。

もう14年も前の映画なんですなぁ。

EDで流れた「タイムマシンにお願い」はサディスティック・ミカ・バンドの名曲。


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「魔法使いの嫁」第20話 感想(死にたくないと思ったはたから) [アニメ/特撮]

心の病が治ってきたと思ったら今度は左手がドランゴンになっちゃったという。

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不幸を一身に背負いすぎてる。

ドラゴン誘拐を巡る一連の騒動は、チセがドラゴンの魔力を吸い取り、その呪いにかけられたことで一応の解決をみた。ドラゴンの呪いに身体を侵食されたチセだが、その呪いを解く方法はエリアスにもわからない。

そこに魔女を名乗る女性が現れ、チセを見舞う。その女性は呪いに侵されたドラゴンの腕を見て面白いといい、チセに魔女の仲間にならないかと誘った。

当初エリアスは反対だったものの、このままでは彼女は春を越せないと告げられ、魔女の集会に参加させる決心をした。

と、ここまで。

なんか一応魔女になれば呪いに侵されたドラゴンの腕が治療できる可能性もあるとのことだが、魔女になってしまうと魔法使いとの相性というか、魔法使いと魔女は一緒にいていいのだろうかとか、いろんな問題が出てきそう。

嫌な予感しかしない。これがエリアスとチセが引き離されるきっかけなのだろうか?

ハーレクインロマンスみたいな展開になってるけど、これはこれでとても面白い。

作りも丁寧で毎週楽しみになってるな。



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「ダーリン・イン・ザ・フランキス」第7話 感想(産婦人科?) [アニメ/特撮]

生殖機能を失った大人と生殖機能再生のために人工的に作られた子供たちの話なのか?

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本能から遠ざかって生物としての機能を失った人類が、もう一度本能を呼び覚ますところから始めようとしているとか。それで子供たちに暴力と性を意識させようとしているとか。

あの産婦人科にあった冊子によって生殖と子供のことを知ってしまった子供たちは、大人たちに認められることが大人になる条件ではないと気づいてしまい、子供たちだけで出奔して小さなコミュニティーを作って自然出産してみるとか。

そんな感じだろうか?

彼らとは違うゼロツーはやはり仲間にはなれそうもない。ヒロがゼロツーとイチゴのどちらかを選ばなければならない場面もきっとあるだろう。

今回は産婦人科のところがなかなか良かった。ゼロツーはどこかに運ばれている途中なんだな。




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「少年猿飛佐助(アニメ) 」(1959年作品)感想 [映画]

1959年に公開された東映の長編アニメ。ベニス国際児童映画祭グランプリ受賞作品。

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1年前の「白蛇伝」に次いで制作された長編アニメで、この作品から大塚康生氏が原画マンとして名前を連ねている。

講談で有名になった猿飛佐助と真田十勇士の話を元にしているが、内容は完全オリジナル。ある時佐助が山椒魚に食われそうになっていた小鹿を助けた。ところがその山椒魚というのは、その昔世を騒がせて法力によって封じられた妖術使い・夜叉姫であり、自分を封じた僧侶が亡くなると同時に再び世に出て悪さをするようになっていたのだ。

このままでは村人が安心して暮らせないと感じた佐助は、幼少の身ながら仙人の下へ修行に出て忍者になることを決意する。

そして修行によって身に着けた忍術で、夜叉姫の妖術に打ち勝ち、村人たちを守った。その活躍を目にした真田幸村に佐助は自分の下で働かないかと頼まれるが、まだ幼いことを理由にこれを断った。

大まかにはこんな筋立てになっている。講談と違い子供向けアニメなので、真田幸村の家臣にしてやるという申し出を断っているのが面白い。

たしかに古い作品で、現代のアニメとはテンポが違うのだが、そういう点に我慢できるなら絶対に観ておいた方が良い作品だ。セル画時代の傑作映画のひとつだと思う。東映にとってこれがたった2本目の長編映画であることに驚く。

「白蛇伝」の感想でも書いたが、当時東映はアニメを新しい柱の一つにと考え、既存の制作会社の吸収などを積極的に行い、かなりの好待遇で新人アニメーターなども募集していたそうだ。しかしたった2本目で到達したこの映画のクオリティーの高さに驚くばかりである。

冒頭の夜叉姫の本当の姿である山椒魚との戦いのシーンや、仙人の下での修行シーン、山賊の襲撃シーン、夜叉姫との戦いのシーンなど、素晴らしい場面がたくさんある。今回の視聴で気に入ったのは、山賊が村を襲うときに火矢を放つシーンだ。夜空にまがまがしい炎の矢が弧を描いて飛んでいき、屋根に突き刺さる場面のレイアウトが良い。実に映画的なシーンだった。

レンタルでわざわざ借りては観ない作品だろうが、アマゾンのプライム特典に置いてあるので時間のある方は是非ご覧になってはいかがだろうか。


王と鳥―スタジオジブリの原点

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大塚康生の機関車少年だったころ (KLASSE BOOKS)

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大塚康生インタビュー  アニメーション縦横無尽

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  • 作者: 大塚 康生
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「テルマエ・ロマエⅡ」(2014年作品)感想 [映画]

なんでこんなん売れたんだろ?

阿部寛は確かに素晴らしい。でもそれ以外なんかあったか? と。


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「テルマエ・ロマエ」(2012年作品)感想 [映画]

冒頭30分くらいは笑えたんだけど、残りは退屈だったな。


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