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「太陽の季節」(1956年作品)感想 [映画]

古川卓己監督による日本の文芸映画。原作は石原慎太郎。出演は南田洋子、長門裕之、三島耕。

<あらすじ>

高校生の津川竜哉は、ボクシングに興味を持って練習を開始した。ボクシング部でナンパに出た竜哉は、銀座で令嬢の英子と出会う。体力を持て余した竜哉は、英子を乱暴に奪い、若い英子もまたそれに応えた。そして彼女の妊娠が発覚する。高校生の竜哉にはピンとこない話だった。

産みたいと願う英子を、竜哉は冷たく突き放した。英子が堕胎することになって医者に駆け込むが、腹膜炎を併発して死んでしまった。竜哉には激しい後悔だけが残った。

<雑感>

「太陽の季節」は石原慎太郎の文壇デビュー作で、石原裕次郎の銀幕デビュー作だ。このふたりが世に登場したときのインパクトはすごかったそうだ。ちょうど両親が小学校から中学に上がるころそれに立ち会った世代で、子供心に時代の変革を感じ取ったという。

ちなみにオレが小6の衝撃は「機動戦士ガンダム」と「グイン・サーガ」だった。時代の変革を感じたものだよ(同列)。

奔放に振舞い自由に生きる若者がみずみずしく描写されていながら、戦争の暗い影を見せず、一方で若者の思慮の足らなさと不器用にしか振舞えない未熟さが活写されている傑作。原作も面白いのだが、映画の魅力は何と言っても英子役の南田洋子の美貌だ。

お人形のような輝くばかりの美しさ、そんな美貌を手に入れる興奮、配慮が足らずに令嬢を孕ませてしまい困惑する男の弱さ、それを簡単に死なせてしまった後悔。まさに青春小説の傑作なのである。

原作もそうだが、映画でもドラマの疾走感は失われていない。子供(竜哉)にとっては、美貌の令嬢との出会い、肉体関係、妊娠発覚、死。これらは一瞬の嵐のような出来事だったのだ。竜哉は子供なので、なすすべなく見送るしかない。そんな時間感覚が大人とは違う子供に見える景色が、同時代から下の世代に強い影響を与えたのだ。

この作品に石原裕次郎が出演できたのは、放蕩者の弟を心配した石原慎太郎のたっての願いによるものだったという。縁故出演なので端役に過ぎないのだが、映像化したときの石原裕次郎の画面映えに衝撃を受けた水の江瀧子がそのまま彼を主演に映画の企画を進め、瞬く間にスターになった。

オーディションはすべて落選している彼のスター性を見抜いたのは、水の江瀧子である。女性が活躍できない社会とはいったい何だったのか。フェミニストは「女性ガー」と言いながら本音は「わたしが活躍できないのはおかしい」と言ってるだけなのだ。無能だから相手にされないだけなのに。

☆5.0。映画の成功はひとえに疾走感を上手く演出出来たことによるのではないだろうか。もたもたした編集だったらこうはならなかった。

それにしても南田洋子は美しい。お姫さまみたいだ。昭和の女優さんの美麗な写真集のシリーズって企画できないものだろうか。AKBとか朝鮮人とか、本当にどうでもいい。





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