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「復讐するは我にあり」(1979年作品)感想 [映画]

今村昌平監督による日本のドラマ映画。出演は緒形拳、小川真由美、倍賞美津子。

<あらすじ>

犯罪者の榎津巌は頭がおかしく、偽善者の父に反発して犯罪を繰り返していく。金と女と酒に溺れながらも、榎津は犯罪のことだけは忘れない。警察は血の付いた札を使ったことで榎津を割り出して指名手配した。大学教授、弁護士、適当にウソをつきながら、他人の愛人を奪っていく。

奪った愛人が邪魔になってその母ともども殺し、質屋に家財道具を売り払う。そのとき売春府に目撃されて警察に通報される。捕まった彼には死刑が言い渡され、父と面会するがお互いを罵り合うばかり。榎津巌の遺骨は父と義理の妹によって崖下へ投げ捨てられた。

<雑感>

榎津巌のモデルは実際の死刑囚であった西口彰。完全に頭がおかしいだろ? 昭和の時代ってこんな感じ、とくに70年代ってこんな感じだった。70年代があまりに理不尽で暴力的だったために、80年代はその反動で文化的にポップが追及された。人間の内面のドロドロをそのまま描いて提示するのではなく、その人物像を分類して個人というものから切り離す作業が行われたわけだ。

榎津巌という人物にそのまま感情移入することは、脳を興奮させる効果しかなく、こうした犯罪者心理への感情移入によって脳に傷がつく結果しかもたらさない。まとめの部分で「犯罪者の榎津巌」と断っているのはそのためである。西口彰の人生に父の影響などほとんどない。彼の犯罪性向が高かっただけのことなのだ。

☆4.0。映画としてはこれは傑作の部類に入る。しかし忘れないで欲しいのは、こうした表現を70年代に追求したことで、興奮した人間が詐話師となって「戦時中に人肉を食った」「日本軍は南京で残虐行為を働いた」「朝鮮人女性を強制連行して性奴隷にした」とウソをつくことになったことだ。

「人間とは醜くドロドロしたもの」との勝手な思い込みによる暗黒妄想の垂れ流しが、70年代に行われた。団塊世代は「人間とは何か」との問いに対して醜くドロドロした得体のしれない怪物である」との答えを出して、自分たちの答えに合わせてありもしない事件をでっちあげていった。

邦画が面白くもなんともないのは、検証されることが当たり前になった時代になって、70年代の古臭い人間観についても答えをごり押ししようとするからだ。今村昌平がこの作品を撮ったときと何がどう変わっているのかも考えたことがない。

「正答とは何かを知らないがゆえに、正答を求めて研鑽する」ことを彼らはしない。目の前にある誤った答えに飛びつき、他人を批判するのである。それが70年代文化を作った団塊の世代の失敗なのに、それを真似して失敗しているのだから邦画界の共産党員の頭の悪さは異常である。


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