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「ガンダム レコンギスタの囹圄」第38話「神々の侵略」後半 [Gのレコンギスタ ファンジン]

「ガンダム レコンギスタの囹圄」


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第38話「神々の侵略」後半



1、


アイーダは大きな思い違いをしていた。アメリアで育った彼女は、クンタラへの差別に対し、その酷さについて徹底した教育を受けていた。情操教育の一環として刷り込まれたクンタラ差別は、心にトラウマを植え付けるほどで、クンタラ差別は絶対的な悪として彼女の心を支配していた。

アメリアのクンタラは、数こそ少数派であるものの、その差別の歴史を逆手に取って政治闘争に打ち勝ち、都市部の土地の占有や金融の支配を通じ、この国で最も力のある圧力団体になっていた。大統領派との政治闘争を余儀なくされるアイーダが、まず最初に頼ったのは、父であるグシオン・スルガンの有力な後援者であった彼らであった。

アイーダにとって彼らクンタラは永遠の弱者であった。だからこそ支援せねばならないし、差別という因習は撲滅しなければならないと思っていた。

彼女にとって、ゲル法王が悟るに至ったスコードとクンタラの教義の一致は、人類社会を大きく前進させる画期的なものであった。アイーダは、アメリアの自分の後援者は、ゲル法王の新しい教義と新しい宗教団体は喜ばれ、受け入れられるものと信じ切っていた。

しかし、実態はそうではなかった。

「スコードとクンタラが同じもので、人類がみな平等とは、少々虫が良すぎるのではありませんかな。スコード教和解派などというが、自分がスコード教を追い出されたので新しい教団を作っただけに決まっている」

「彼らは教団やら教会がないと信仰した気にならないのでしょう。彼らは形ばかり。我々クンタラのような、魂の宗教じゃない。求めるのは物質ばかりだ」

アイーダに呼び出されて、カリル・カシスに会うことになった後援会の代表4人は、いまアメリアで起きていることに苦虫を噛み潰したような表情になっていた。アメリアでは、キャピタル・テリトリィからやってきたゲル法王の唱える人類の融和が大ブームとなっていたのである。

新しい宗教によってスコード教徒とクンタラ教徒が一緒になり、差別の因習を乗り越えようと大きなうねりが生まれていた。

その煽りを受け、クンタラが行い、半ば利権化していた同和教育はやめようとの機運が生まれていたのだ。同和教育は古臭いもので、差別を固定化するだけだとの意見が出始めていた。

「何百年、何千年と我々を差別してきながら、ちょっと宇宙の誰かさんと会っただけで、明日からいままでのことがチャラになる、そんなものではないでしょう?」

「左様」白い顎髭を蓄えた老人が相槌を打った。「1000年差別してきたのなら、1000年謝り続けてもらわねば釣り合わぬというものだ。まだ同和教育が始まってたかだか500年。あと500年は地面に額をこすりつけてもらわねば」

「しかも、新しい宗教の法王はまた自分だという。クンタラ差別がなくなったというのなら、クンタラを法王にしてみればいいのだ。出来るわけがない。そんなことは考えもしないくせに、いけしゃあしゃあと明日からみな平等です、仲良くしましょうもないものだ」

「ニューヨークが壊滅しただけで大損害なのに、ワシントンまで引っ越しさせて、街を再建する費用を出せだの、いいようにこき使われてしまいにはこれだ! 小娘が、こちらの言うことを何でもハイハイと聞いていればいいものを!」

「もうそれくらいにしておけ、総監さまのお出ましだ」

アイーダはキエル・ハイムひとりを伴って現れた。一緒にキャピタル・テリトリィに赴くハリー・オードはオルカをいつでも飛ばせるように準備していた。そしてカリル・カシスは、彼らとの会見を断り、仲間とともに準備があるからとオルカに巨大な荷物を運びこんでいた。

肝心のカリルがいなくなったことで、アイーダはクンタラの支援者の誰かひとりをキャピタルに随行させようと考えていた。

「これは、姫さま」

白い顎髭の老人、グールド翁がアイーダの手を取って口づけをした。彼はキエルにも同じようにした。

「みなさんの中で、メメス博士という人物を知っていらっしゃる方はおられませんか?」

4人は顔を見合わせたが、誰もその名について知っている者はいなかった。ちょっとガッカリしたアイーダであったが、気を取り直してキエル・ハイムを紹介した。

キエル・ハイムの名は、4人のいずれも知っていた。彼らはアメリアで出版された「クンタラの証言 今来と古来」のことを知っていたからであった。詳しく説明しようとするアイーダを、キエルは手で制した。キエルは4人の表情に含むところを感じ取っていた。

アイーダは何のことかわからずにいたが、気を取り直して本題に入った。

「宇宙からさる高貴なお方が地球に来られるかもしれず、そのメメス博士のことを詳しく調査せねばならなくなったのです。アメリアのクンタラの代表として、みなさんにはその調査に参加していただきたいのです」

4人は顔を見合わせ、明らかに乗り気ではなさそうだった。彼らは義務意識の強いアイーダに付き合わされて、負担ばかり増えていくことに耐えられなかった。言葉とは裏腹に、彼らにとってクンタラという身分は、自己防衛に使える便利な衣服であり、心を支えるようなものではなかったのだ。

グールド翁が、自分は引退した身であるからと調査の協力を申し出た。アイーダは頷いて、彼をハリー・オードが待つオルカへと案内した。

西から吹き付けてくる潮風が、遅れて船に乗り込む者たちの髪を巻き上げた。

「こちらは」アイーダがキエルに老人を紹介した。「グールド翁といいます。多くのメディアで社主をされております」

「グールド翁、よろしくお願いします。キエル・ハイムと申します」

「あなたは」グールドは息を切らしながら階段を上った。「あのキエル・ハイムの子孫で、同名を名付けられたということでよろしいのかな」

「わたしはあの方で、あの方はわたしです」

そう答えたキエルの言葉に、グールド翁は首を捻るばかりであった。彼らの乗った船は、一路キャピタル・テリトリィを目指した。


2、


カリル・カシスは、孤児のころから彼女を慕って集まってきた若いクンタラの女性10人とともに、一足先にオルカに乗り込んでいた。いま彼女たちは、大きな荷物を運び入れた狭い一室に集まって聞き耳を立てていた。ひとりがヘッドセットをつけてマイクでしきりに呼び掛けている。

彼女たちの顔がパッと輝いた。応答があったのだ。スピーカー越しに聞こえてきたのは、ルイン・リーの声であった。ルインの驚いた声が室内に響いた。

「まさかこの回線をいまだに使っている人間がいるとは思わなかった」

彼がゴンドワンでクンタラ解放戦線として行動していたころ、カリルはジムカーオの命令をルインに伝達する役割を負っていたのだ。彼女たちがオルカに運び入れたのは、アグテックのタブーにされている長距離通信装置であり、アイーダが所持しているものと同じであった。

カリルは、ビーナス・グロゥブに流刑になっているはずのルインが地球圏にいることに驚いた。地球にやってきているというビーナス・グロゥブ艦隊と行動を共にしているのかと思いきや、ルインの答えはまったく意外なものだった。

「わたしは人類が半年間で使用するフォトン・バッテリーとそれを満載したフルムーン・シップという惑星間航行船、高性能モビルスーツ、それにビーナス・グロゥブ製の巡洋艦を手に入れた。ジムカーオ大佐が反乱を起こしたおり、あなたには良くしていただいた。いまはどちらにおられるのか」

カリルはキャピタルの政治体制を崩壊させたのちに自分が仲間とともにアメリアへ出奔したことと、アイーダに懇願されてムーンレイスの戦艦でキャピタル・テリトリィに向かっていることを話した。

「ムーンレイスの船とあらば、あのスモーとかいうモビルスーツがあるはずだな。これは厄介なことになった」

「キャピタルを制圧するおつもりで?」

「いずれはそうだが、流刑となって以来、我々はほとんどの時間を宇宙船の中で過ごしている。どこかで休息を取らせねば兵が参ってしまう。南極寄りのどこかで休息を取ろうと思っていたのだが」

「ではそうなさいませ。その間にわたくしがキャピタルに残っているクンタラたちに、ルイン・リーがフォトン・バッテリーを携えて帰ってくると焚きつけておきましょう。ウィルミット長官に土地の権利を剥奪されたキャピタルのクンタラは、またかつての虐げられた状態に逆戻りしています。彼らに必要なのはあなたのような英雄です。わたくしもできる限りのことをしてお待ちしております」

「かたじけない。おそらくは1週間ほど兵を休ませることになるだろう」

通信機を切ったカリルは、自分に残された時間が1週間しかないことに焦った。彼女の目的は、キャピタル・テリトリィの支配者になることだった。通信を切った彼女は、眼鏡をかけた女性にいま1度念を押すように尋ねた。

「あんたのメメス博士の話は本当なんだろうね? 『もしメメスの名を聞いたら警戒せよ。空の上で神々の戦いが起こり、地上に多くの神が降りてくる。神は地球を奪いに来たのだ。だから警戒せよ』『もしメメスの名を聞いたら警戒せよ。古き者たちの理想が闇となって地球を覆う。クンタラは闇の皇帝を引きずり穴の中に押し込めろ』」

「本当かどうかはわからないけど、昔おじいちゃんに聞いたことがあって」

「空から恐怖の大王が降りてくるって?」

「大王じゃなくって、たしか皇帝だと言ってました。闇の皇帝が空から降りてくるから、『クンタラたちはメメスの名前を聞いたらすぐにタワーで星の世界へ逃げてこい』って。宇宙にはクンタラが生き延びる世界があって、闇の皇帝が地球を滅ぼした後の世界はクンタラのものだって。これ、ビグローバーが改修される前は壁に古代文字で書かれていたって話で、改修で消されてしまったとか。ウチのおじいちゃんは改修の労働者だったから古代文字を書き写して、あとで詳しい人に読んでもらったって」

「こういうのはなんでわかりやすく懇切丁寧に遺してくれないんだろうねぇ」カリルは溜息をつきながら両手を組んで大きな胸を持ち上げた。「要するにこうだろ。神様やら皇帝やらが地球に降りてくると地球は終わり。クンタラはタワーで宇宙へ逃げる。そこには楽園がある。皇帝を穴に押し込める。そして地球はあたしたちクンタラのものになる」

「たぶん・・・」眼鏡の女は首を傾げながら自信なさげに肯定した。「キャピタル・タワーは、地球に万一のことがあっても宇宙船に乗せてもらえないクンタラたちの避難装置みたいなものじゃないかと」

「どう考えたってあたしたちの勝ちじゃないか。人間はクンタラ以外は神様や闇の皇帝に滅ぼされるんだよ。地球が全部クンタラのものになる。こんな痛快な話はないね! あたしは地上のクンタラを導いて、クンタラの指導者になる。そして、地上にクンタラだけの理想の世界を作ってみせるよ。あんたたち、みんな力を貸すんだよ!」

はい、お姐さまと唱和する威勢のいい声が、部屋の外にまで響いた。


3、


フルムーン・シップを脱出してトワサンガの高速船に乗り移ったクンタラ解放戦線のメンバーたちは、その船では大気圏突入ができないことを知らなかった。

彼らの船は大気圏上空で燃え尽き、大爆発を起こした。フルムーン・シップのモニターでそれを確認したステアは、おもわず目を逸らした。

彼らが死んだことで、フルムーン・シップがビーナス・グロゥブの船員たちに奪い返されたことをルインに知らせる人間がいなくなった。ヘルメス財団の人間が死ぬことでラ・ハイデンの意思は誰にも伝わらず、ギャラ・コンテが死ぬことでトワサンガで起きた愛国運動の情報は失われた。人の死は、人と人との断絶を大きくするばかりだった。

艦隊に戻るか、アメリアへ向かうかで揉めていたフルムーン・シップは、いったんザンクト・ポルトに落ち着くことになった。

本当は誰しも船を降りて一服したいところであったのだが、船はビーナス・グロゥブの住人と地球人の混成で運用されており、意見がまとまらない有様だった。人と人は対立し合ったまま、疑心暗鬼を解消することができずに、双方睨み合う形で乗員は船内に留まっていた。

キャピタル・テリトリィのゲル法王を通じて通告されるはずだったフルムーン・シップの自爆の話は、彼らには伝わっていない。その親書はルインの手にあり、ルインはギャラ・コンテに聞いたままキャピタルにいるトワサンガ元代表ジャン・ビョン・ハザムに届ける気でいる。

しかもルインは、ラ・ハイデンの言葉は脅かしに過ぎないと高をくくり、フォトン・バッテリーを使用するつもりであった。ルインがヘルメス財団から奪った船は、いま南極にほど近い地点に身を潜めて、フルムーン・シップの到着を待っていた。

いったん落ち着いた雰囲気になったフルムーン・シップでは、船員たちが交代で食事を摂ることになった。ステアは2人分を手にしてブリッジに戻り、猿ぐつわを噛まされたままだったマニィに与えた。身体はグルグル巻きにされたままだったので、ステアがスプーンですくって彼女に食事を与えた。

「あんたさ」ステアがいった。「子供をビーナス・グロゥブに置いてきたんだろ? いったいどういうつもりなんだい?」

マニィははじめこそ無視して差し出されたスプーンに食らいつくだけだったが、子供のことは気掛かりだったらしく、ステアには自分の気持ちを話してしまうことに決めたようだった。

「ビーナス・グロゥブには、クンタラはいないんだって。だから、あそこで普通の人間として育ててもらうことにしたんだ」

「あんただって普通の人間じゃないか」ステアは呆れた表情になった。「みんな普通の人間ばかりさ。普通じゃないのは、あのカール・レイハントンだけだろ」

「アメリア人のあんたにはわからないんだ」

「なんでさ。クンタラなんて、自分がそう思い込まなければ別にどうってことはないじゃん。現にノレドはクンタラだけどスコード教徒で、普通の人間として生きている」

「キャピタルはそうじゃないんだよ」

「そんな古い風習はいつか変わるのに。アイーダだってベルリだって、そんなものはなくしてしまいたいと思っているだろう?」

「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。自分の子供には『クンタラのくせに』なんていわれ方はしてほしくない。だってあの子には何の罪もないんだから」

「そんな理由でビーナス・グロゥブに置いてきたって・・・。あんた、もしかして死ぬつもりで来たのかい?」

「そうかもしれない」マニィは否定しなかった。「もうあたしもルインも、罪を重ねすぎた。あたしたちは、カーバを目指す。そのために罪を作って地獄に堕ちるならそれでもいい。でも、あの子には罪はない。だから、あたしは・・・」

ステアがスプーンを差し出しても、マニィは首を横に振るばかりになってしまった。ステアは諦めてトレイを片付けた。ステアは、ルインという男はマスクとしてしか知らない。横暴で粗野なあんな男のために、ひとりの女性が泣くのは許しがたいことだった。

マニィの処分すら決まらないうちに、ザンクト・ポルトから使節団がやってきた。彼らにはビーナス・グロゥブの船員が対応することになり、地球人は口を利いてはいけない決まりが作られた。ステアはそんな彼らの態度に、ビーナス・グロゥブに差別がないという話の信憑性を疑った。

やってきたのは、ウィルミット・ゼナムとゲル法王とその随行員であった。ウィルミットはこの船にラ・ハイデンが乗船しているものと思い込んでいたようで、いないとわかるとガッカリした様子であった。彼女は気を取り直して船をキャピタルに招聘したいと申し出た。

「お話はありがたいのですが、そうしたことは総裁がお決めになることでして」

ウィルミットとゲル法王は、キャピタル・テリトリィの代表とされている人物だったので、ビーナス・グロゥブ側は副官が対応した。

ウィルミットはこの返答にも失望した様子だった。彼女は艦長席に縛り付けられているマニィの姿を認めた。ノレドと一緒に行動することの多かったマニィが、クンタラ解放戦線のメンバーとしてテロ活動に身を投じたことはウィルミットも承知していたが、国民である彼女を放っておくことはできなかった。

「マニィ・リーはキャピタル・テリトリィの国民ですので、できれば拘束を解いて身柄を引き渡してはいただけないでしょうか?」

「いえ」副官は首を横に振った。「反乱罪は重罪ですので」

「そうですか」取り付く島もない態度にウィルミットはさらに落胆した。「ときに、キャピタル・テリトリィでは、ラ・ハイデン閣下がキャピタルからビーナス・グロゥブまでの一括支配体制を構築するのではないかとの噂があるのですが、何かお話は伺っておりませんでしょうか?」

突然のぶしつけな質問に驚きを隠せなかった副官であったが、地球人を憐れむ気持ちもあり、本当のことを少しだけ伝える決心をしたようだった。

「支配体制のようなものは、それほど重要ではないのです。大切なのは、ヘルメスの薔薇の設計図の回収です。これができない限り、そちらが望んでいるような事態には進まないでしょう」

これを聞きとがめたのはゲル法王であった。

「どうか、お願いがあるのです。ゲル・トリメデストス・ナグが重要な発見をしたと。わたしが、ラ・グー前総裁との約束を果たしたと。どうかどうか、ラ・ハイデン閣下にお伝えしていただきたい」

「それは必ずお伝えすると約束いたしましょう。しかし、ヘルメスの薔薇の設計図が回収されない限り、ビーナス・グロゥブが取り得る対応は限られてくるのだとお察しください」

副官はそれだけ告げると、ふたりを船から降ろした。

フルムーン・シップを降りエアロックを抜けたゲル法王は、焦燥の色を隠せなかった。しかもふたりが艦を降りるなり、フルムーン・シップは宙域から離脱して地球に向けて降下を始めたのだった。


4、


月に残ったカル・フサイたちエンジニアは、ビーナス・グロゥブ艦隊の攻撃が乗り込んできて間もなく降伏していた。

月を制圧したビーナス・グロゥブ艦隊のラ・ハイデンは、そこがすでに無人に近い状態であることに安堵しながら、カル・フサイらに月面基地の成り立ちについて説明を受けた。月面着陸から始まる月開発の歴史を一通り聞いたラ・ハイデンは、カル・フサイらを拘束するようなことはせず、フラミニア・カッレと同じように自分の傍にアドバイザーとして配した。

エンジニアのカルは、ラ・ハイデンに少し気後れしながらも、ベルリに託った話を伝えた。それは地球にこれから起こることであった。

「全球凍結?」ラ・ハイデンは首を捻った。「地球のような大きな惑星がひとりでに凍ってしまうというのか?」

「周期的なものなので不思議な現象でも、特別な現象でもないのです。ただこれから地球は全球凍結に向かい、赤道付近以外の人類の居住は不可能になります」

「それに対するアースノイドの行動計画はどのようなものか聞かせて欲しい」

「ありません」

「ない?」ラ・ハイデンは驚いて目を瞠った。「地球は全域に人類が散らばって暮らしているはずだ。居住可能区域が赤道付近に限定されるのならば、早急に移住計画と面積当たりの食糧増産、配給制度について行動指針がなければ対応できないはずだが」

「いや」カルは背中に汗が噴き出すのを感じていた。「世界政府というものがないので、そのような行動指針はございません」

「キャピタルは何をしているのか?」

「キャピタルはキャピタルのことで精一杯なのでございましょう。いやしかし、ビーナス・グロゥブからエネルギーの供給を受けられた場合、全球凍結になっても世界各地に居住コロニーを建設して現状の政治体制でも各民族は生き続けることが可能になるはずなのです。ぜひ閣下には、そのようなこともご配慮いただきたく・・・」

「居住不適格な地域にコロニーを建設してそこで暮らすということは、アースノイドがスペースノイドのように強い義務意識をもってそれを維持する大きな責務を背負って生きるようになるということだ。例えばそれが可能だとしよう。だが、赤道付近に暮らす者とコロニーに暮らす者との間の格差はどうなる? 赤道付近の居住地を手に入れた人間は遊んで暮らし、コロニーに住む人間は厳しい生活を自らに課すしか生きるすべはない。もしそのような世界になるのだとしたら、宇宙世紀初期にあったアースノイドとスペースノイドの対立が地球上で再現されてしまうことになる。違うか?」

「あ、いえ、その通りかと」

「ジオンと連邦の戦いと同じではないか。では伺うが、赤道付近の居住可能地域は、誰がどのように統治するのだ? 先住民か?」

カルは、これはまずいことになったと全身に大汗をかいた。

「まだ何も決まってはおりませんが・・・、先例では、良い土地は、戦争に勝った集団が支配してきました。閣下はお気に召さないかもしれませんが、それが自然の摂理というものでございまして」

「より屈強で、より弁が立ち、より科学が発達し、より狡賢く、汚く手に入れた物を神の恵みだと自分にウソをつける人間が地球の支配者になるわけか」

「そうならないように、そうであってはならないからと、スコード教のようなものがあり、ビーナス・グロゥブの方々の意向を汲む形で人類は発展していかねばならないと・・・」

「うむ。ありがとう。あなたは誠実な人間のようだ。部屋を与えるので少し休んでもらいたい」

「いえ」カルは食い下がった。「どうか、地球人を見捨てないでいただきたい」

「わかっている」ラ・ハイデンはモニターに映った地球の小さな姿に目をやった。「全球凍結の話を伺って、いまの地球に必要なのはやはり神であることがよく理解できた。地球にヘルメスの薔薇の設計図がばら撒かれてしまい、赤道上にある限られた土地は戦争によって奪い合うことになるというのならば、やはり人類はビーナス・グロゥブが計画的に支配するしかなさそうだ。ところで、全球凍結というのは一体何年ほど続くものなのだろうか?」

「はっきりと予測できないのですが、おそらくは1万2千年ほどではないかと・・・」

カルの言葉を聞いたラ・ハイデンは、杖でコツンと床を叩いた。

「カール・レイハントンがやりたいことが少しわかった。ビーナス・グロゥブの同志たちよ、月面基地の破壊は延期し、艦隊は直ちにキャピタル・テリトリィに進軍する。アースノイドから自治権を剥奪し、従わない民族はすべて絶滅させる。」


5、


フルムーン・シップの副艦長がブリッジを離れたわずかな隙に、ステアと、彼女によって縄をほどかれたマニィが協力してブリッジを再占拠した。

「こんなことをして何になるんだよ」

マニィに銃を突き付けられたブリッジクルーは、情けなさそうな声で訴えた。

「地球にはフォトン・バッテリーが必要なんだよッ!」ステアが怒鳴り返した。「みんな待ってるんだ。あたしはフォトン・バッテリーのためにこの船の操舵士になったんだから、フルムーン・シップの分だけでもアメリアに持っていく!」



フルムーン・シップの大気圏降下に驚いたのは、戦艦オルカを任されたドニエルも一緒だった。

ドニエルはウィルミットとゲル法王、それにクン・スーンらジット団のメンバーをザンクト・ポルトに残したまま慌てて出撃して、フルムーン・シップを追いかけた。オルカの中は急な出撃にてんやわんやの有様で、特にスタンバイ命令の出たモビルスーツデッキはわけがわからないままパイロットが操縦席に乗り込んだ。



ステアとマニィは、アメリアとクンタラ解放戦線でフルムーン・シップのフォトン・バッテリーを半分ずつ分け合うことで合意したのだった。巨大運搬船を動かすことのできないマニィたちは、まずアメリアで半分荷物を降ろし、その後南極まで船を移動させる条件で手を組むことになった。

地球へ向けて降下していくフルムーン・シップを、ドニエルのオルカが追いかけ、さらにずっと後方にはビーナス・グロゥブ艦隊が地球へ向けて移動していた。

大気との摩擦熱で真っ赤に燃えるフルムーン・シップとオルカ。



その地点から1万キロ離れた場所で、同じように大気圏突入を試みている機体があった。クリム・ニックが搭乗するMSミックジャックであった。

彼は一緒だったトワサンガの高速艇がクンタラ解放戦線に乗っ取られた際に船とのドッキングを解いて、単独で地球までの飛行を乗り切り、モビルスーツを覆っていた推進装置を切り離すと大気圏突入用の機体の外殻を頼りにあてどもなく地球への降下を試みたのだった。

彼はどこを目指して飛んでいるわけではない。ただ、後期型サイコミュを上手く使いこなせばミック・ジャックの思念とコンタクトできるとの言葉にすがっていたのだ。サイコミュは激しく作動していた。自分のコクピットの様子が違うことは分かったが、クリムにはサイコミュの知識がなく、なぜ大きな動作音を立てているのか理解が及ばなかった。



サイコミュを作動させているのは、トワサンガのカイザルの中で眠るカール・レイハントンであった。彼はクリム・ニックがミックジャックを離れてカイザルに近づいてきた時間を利用して、クリムの機体のサイコミュに細工を仕掛けていたのだった。

「上手くいくかな?」

レイハントンは傍にはべるサラ・チョップに尋ねた。サラは上手くいくでしょうと応えて、カイザルのコクピットから出ていった。

コクピットのひとり残されたカール・レイハントンは、誰に同期するわけでもなく、誰に伝えるわけでもなく、独り言を呟いた。

「サイコミュは、此岸と彼岸の境界を曖昧にしていく。ついに地球は閉じられるのだ」



摩擦熱と圧縮されプラズマ化した空気で真っ赤に燃えるミックジャックの中は、異常を示す警報が鳴り響いていた。コクピットの温度はみるみるうちに上昇し、フォトン・バッテリーが耐えうる限界値が近づいたことを警報音が知らせていた。彼はその音を、意識の遠くで聴いていた。

まさか自分がこんなつまらない死に方をするとは思わず、クリムは脱力したまますべてを成り行きに任せると覚悟しているようだった。

「これでお前の所へ行けるのか」クリムは呟いた。「ミックの命と引き換えに貰った命だったが、安い死に方で使ってしまったものだ」

後悔といえばそれだけだった。大統領の息子という立場に安住することを嫌い、自分の力を試した挙句がこれであった。ゴンドワンでの成功も、キャピタルでの成功も彼の脳裏には一切の満足を与えてはくれなかった。

地球には強い男が必要で、それは自分に違いないと覇権主義を掲げて戦ったところが、アイーダとの争いに敗れ、ベルリとの戦いに敗れ、挙句はルインに成果を掠め取られてしまった。おまけに自分は大切な人を失った。

これがオレの限界であったかと彼が自虐の笑みを浮かべたとき、機体は爆発し、3個積載されていたフォトン・バッテリーが連鎖的に大爆発を起こした。

爆風は丸い水蒸気の波紋となって広がった。その輝きは地上からも観測できるほど巨大なものだった。人々は何が起きたのかわからないまま、オーロラのような丸い虹を眺め続けた。

機体が冷えて通常飛行に切り替わったフルムーン・シップとオルカもまたその輝きを観測した。何かが大気圏に突入して、爆発を起こした。もしそれに人が乗っていたのならば死んだであろうと。

誰しもそう考え、すぐさま印象的な光景以外のことを忘れた。

ステアはアメリアへフォトン・バッテリーを運べることに喜びを感じていた。

マニィはステアが裏切るのではないかと疑心暗鬼になりながらも、いざというときは殺してやろうと考えていた。

フルムーン・シップを追いかけるドニエルは、攻撃命令を出すかどうか迷っていた。

誰も、爆発で死んだ人間のことを考えようとはしなかった。

静かな時間が流れた。

脈打つ音が聞こえている。耳が塞がれてしまったかのようだった。その感覚を持っていたのは、機体の爆発で死んだはずのクリムであった。クリムは、自分が自分でないような気がしながら、自分がまだ消え去っていない気がしていた。それでも、彼は目を開ける気にはならなかった。

クリムは懐かしい声で身体が揺さぶられるのを感じて、ゆっくりと目を開いた。

コクピットが急に狭くなったような不思議な感覚に襲われ、ふと見上げると、そこにはミック・ジャックの姿があった。

「いったいどこへ行こうというんです?!」

声の主は紛れもなくミック・ジャックだった。彼女は狭いコクピットの中に挟まるように身を横たえ、大きな声でクリムに何かをさせようとしているようだった。大きな声で叫びながら、手足をバタバタと動かしている。何度も何度も「どこへ行くのか」と問われたクリムは、ようやくモニターを確認した。

「ここはどこだッ!」

モニターに映し出された光景は、クリムがいままで見たことのない景色であった。分厚い雲に覆われた鉛色の空の下には果てしなく続くかのような氷の景色が広がっている。吹きつける強風と雪がみるみるうちにコクピットの室温を下げていき、時折降ってくる雹が機体に当ってバラバラと音を立てていた。

「北極? 南極か?」

「違うみたいですよ、ほら」

ミック・ジャックが座標を指さした。示された地点は、アメリアまで2千キロ北東の海上だった。

「そんなわけがあるか、これが海だとッ?」

海が凍っていた。果てしなく続く氷の大地は、アメリアにほど近い大西洋なのであった。光の射さない空と沈鬱に鈍く光る氷の大地は、とてもアメリア大陸に近いとは思われない。クリムの脳裏に「全球凍結」という言葉が浮かんだ。しかし彼は、そのことを考えるのをやめて、満面の笑顔で叫んだ。

「ミック・ジャックじゃないかッ!」

「本当にどうしちゃったんでしょうね」ミックも戸惑っているようだった。「この世界が死後の世界なのかどうかは知りませんが、あなたが温かいのはわかります」

「ああ、オレもだよ」

ふたりは真っ直ぐアメリア大陸への自動操縦に切り替えると、しばし互いの体温を感じ合った。

そんなふたりの抱擁を、異変として察知している人々がいた。

それはトワサンガに残るカール・レイハントン、そしてサラとラライヤ。また月の内部の冬の宮殿にいたベルリとノレドであった。












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